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斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

1995年1月17日5時46分

2017-01-18 00:47:46 | 自然の驚異
あれから22年、阪神淡路大震災からもうそんなに経ったとは。

あの時の衝撃は今でも忘れずに覚えています。
真っ暗闇の中で、突然、頭の上にブルトーザーが大きな音を立てて、
迫ってきたかのような感じでした。

前日の夜6時頃、家に遊びに来た友人と帰り際に
「神戸には地震がないから・・・」という会話を交わしたばかりでした。

電気、水道、ガスが止まり、毎日給水に出かけました。
電気につづいてガスが比較的早く復旧したものの、水がないので
2週間近くお風呂にも入れず、洗濯もできず、食器の洗い物も普段の
十分の一以下の量で済ませました。

でも不思議なもので慣れるとそれほど不自由には思いませんでした。
「人間の適応性」はすごいものだと感じました。と同時に
「今まで何という無駄使いをしてきたのだろう」と思いました。

震災から3週間目、友人と誘い合わせて長田区に炊き出し
ボランティアに出かけました。普段なら40分程で行ける所が、
渋滞で4時間余りかかりました。粉塵のためマスクが必要でした。
トイレは使えないので10時間位は我慢して過ごしました。

大きなビルがまるで長方形の積木が“パタッと”そのまま横になった
かのように倒れていました。その姿が何故か、不思議でなりません
でした。長田区のまちの中には「戦争の記録」に残された終戦後の
焼野原の光景そのもののような場所もありました。
倒壊した家や建物の下敷きになって逃げられず焼け死んだ人たちが
たくさんいたと聞いています。

何故かその光景を見ていると自然と涙が流れてきて止まりませんでした。
人間とはこの自然界を構成するチリのような小さな存在に思えてきました。

今にして思えば、東日本大震災のような原発事故による放射能汚染の
被害がなかったことが、最大の救いだったように思います。