知床100平方メートル運動40周年記念講演会と
知床100平方メートル運動推進北海道支部 設立総会が
来る2月24日(土)北海道大学総合博物館 S105室で
午後2時から開催されます。
記念講演会の講師は午來 昌氏(元斜里町長)です。
問合せ:斜里町役場 総務部 環境課 自然環境係
電話:0152-23-3131
Fax:0152-23-4150
E-Mail 100m2@town.shari.hokkaido.jp
この運動のことは新聞その他で少しだけは知っていましたが、
協力会員になったきっかけは2014年5月にニセコ町で開催された
【ニセコ会議】でした。この運動のパンフレットを手にして早速
申し込んだのを覚えています。このトラスト運動というのはイギリスに
居た時に【ナショナルトラスト】の会員だったので、日本にも同じような
運動が始まったのはとても良いことと思ったのを覚えています。
しかし、会員になるチャンスがありませんでした。
【ニセコ会議】で手にしたパンフレットに、申込書があったので、
早速申し込みました。
こうした自然遺産を大切に保護して未来へ残していこうとする運動が
日本中に広がっていくことを念じています。
知床と言えばもう数十年前になりますが、北大理学部山の会のメンバー
のとき、羅臼岳と硫黄山を縦走しました。カムイワッカの滝で入浴した
ことも、その時の記憶は今も鮮やかに残っています。その後斜里岳に
登りました。まだその頃は交通の便が無くて、斜里岳の帰りは数十キロ
歩いて町に着いた記憶があります。途中熊の足跡や糞をたくさん見かけました。
知床に行ったのはこの1回限りで、約1週間の日程でテントと山小屋で
過しただけですが、いつかまた行ってみたいと思っています。
以下は朝日新聞2016年11月26日からの記事です。
世界自然遺産知床の歴史
1964年6月 - 知床半島が知床国立公園に指定
1986年~1987年 「知床国有林伐採問題」発生
1998年 - 斜里町、羅臼町の町予算に世界遺産登録事業費が計上
2003年 - 日本政府が知床を世界遺産物件としてユネスコに推薦する
ことを決定
2004年 - ユネスコに対して推薦状を提出
2004年7月 - IUCNによる実地調査
2005年7月 - 世界自然遺産として正式登録
知床に自然大学院大学を 午来昌
羅臼岳(右奥)のふもとに「しれとこ100平方メートル運動」の
参加者の名簿が並ぶ=1986年
●午来昌 元斜里町長
ごらい・さかえ 元斜里町長 1936年、斜里町ウトロ生まれ。
開拓農家の3代目として生まれ、農業や山ガイドに従事。
斜里町長を5期20年務め、世界遺産登録を見届け勇退。
現在は知床自然大学院大学設立財団評議員。
■再生の困難さ・保全の歴史学ぶ
2005年、知床はユネスコの世界遺産に登録された。
世界の宝として認められ、世界に向けて発信できる土台ができた。
次なる目標は、地元としてどんなアクションプログラムを組むこ
とができるのか。
07年4月に斜里町長を退いた後、民間の皆さんがワーキンググループを
立ち上げ、町も加わり、知床に自然保護を学ぶ大学院大学を創ろうという
計画が生まれた。17年の開学を目指したが、残念ながら資金が集まらず、
スタートは大幅に遅れる見込みだ。
しかし、何としても実現させたいと考えている。
◇ ◇ ◇
斜里町人口1万2千人。羅臼町6千人。知床半島は古くは縄文時代の
初期から今日まで自然の恵みを受けてきた。人も動物も、森と川、海を
守りながら数千年を経て今日がある。知床の価値とは、流氷をはじめ
とする厳しい環境がつくりあげた自然生態系と生物多様性だ。
だが、この大地に住む人々は、自然との闘いの中に畏敬の念を持ちながらも、
生きるために、森を、大地を、海を、荒らして来た。私もこの地に生まれ
育った人間として反省し、変わりゆく故郷を見るにつけ、環境の大切さを
思うようになった。
知床は1964年に国立公園に指定されたが、70年代初めに日本列島
改造論が全国に広がると、入植し苦労を重ね離農した開拓者の土地を、
不動産業者が現ナマをちらつかせ安い価格で買い占め始めた。
同じ農家の仲間として無性に腹が立ち、当時斜里町議だった私は
藤谷豊町長(故人)に直訴した。町長はすぐ行動を起こし、道庁、
農水省、環境庁や大学の先生方にも精力的に要請活動をするも、
救うことはできなかった。
そんな時、朝日新聞の「天声人語」で紹介された英国のナショナルトラスト
運動に注目した藤谷町長が77年、トップダウンで決断したのが
「しれとこ100平方メートル運動」だった。
「知床で夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、全国から寄付を募り、
土地の買い上げや森林再生のための資金とする。多くの人々の協力で、
支援の輪は全国へ広がった。あれから40年になるが、つい昨日のように頭をよぎる。
その後に起きた国有林伐採問題で、私は伐採賛成の町長と戦い87年に当選する。
首長として豊かなオホーツク海と知床の環境を守ることが何よりも大切と心に
決めて歩き始めた。子や孫の世代が未来に夢を抱き、故郷に誇りが持てる
町の姿を求め、羅臼町と協力して知床を世界遺産として残すことができた。
半世紀にわたって自然保護運動にかかわる中、様々な問題が起こったが
知床に生きる人々の思いを結集し、開発計画などに歯止めをかけることが
できたのは、この地に生きる一人として誇りに思う。
◇ ◇ ◇
だからこそ、知床に自然大学院大学をつくりたい。
斜里町と羅臼町、小さな町の大きな挑戦である。変わりゆく地球、野生動物と人間、
そして生態系との調和にどう答えを出してゆくのか? 知床をフィールドに
学ぶこととは、豊かな自然に触れるだけでなく、失われた自然の再生が
いかに大変か、環境を守るために重ねてきた歴史を実感できることでもある。
知床の現場でそうしたノウハウを学んだ「ワイルドライフ・マネジャー」を育て、
全国、世界へと送り出したい。これこそが未来への贈り物となるはずだ。
知床100平方メートル運動推進北海道支部 設立総会が
来る2月24日(土)北海道大学総合博物館 S105室で
午後2時から開催されます。
記念講演会の講師は午來 昌氏(元斜里町長)です。
問合せ:斜里町役場 総務部 環境課 自然環境係
電話:0152-23-3131
Fax:0152-23-4150
E-Mail 100m2@town.shari.hokkaido.jp
この運動のことは新聞その他で少しだけは知っていましたが、
協力会員になったきっかけは2014年5月にニセコ町で開催された
【ニセコ会議】でした。この運動のパンフレットを手にして早速
申し込んだのを覚えています。このトラスト運動というのはイギリスに
居た時に【ナショナルトラスト】の会員だったので、日本にも同じような
運動が始まったのはとても良いことと思ったのを覚えています。
しかし、会員になるチャンスがありませんでした。
【ニセコ会議】で手にしたパンフレットに、申込書があったので、
早速申し込みました。
こうした自然遺産を大切に保護して未来へ残していこうとする運動が
日本中に広がっていくことを念じています。
知床と言えばもう数十年前になりますが、北大理学部山の会のメンバー
のとき、羅臼岳と硫黄山を縦走しました。カムイワッカの滝で入浴した
ことも、その時の記憶は今も鮮やかに残っています。その後斜里岳に
登りました。まだその頃は交通の便が無くて、斜里岳の帰りは数十キロ
歩いて町に着いた記憶があります。途中熊の足跡や糞をたくさん見かけました。
知床に行ったのはこの1回限りで、約1週間の日程でテントと山小屋で
過しただけですが、いつかまた行ってみたいと思っています。
以下は朝日新聞2016年11月26日からの記事です。
世界自然遺産知床の歴史
1964年6月 - 知床半島が知床国立公園に指定
1986年~1987年 「知床国有林伐採問題」発生
1998年 - 斜里町、羅臼町の町予算に世界遺産登録事業費が計上
2003年 - 日本政府が知床を世界遺産物件としてユネスコに推薦する
ことを決定
2004年 - ユネスコに対して推薦状を提出
2004年7月 - IUCNによる実地調査
2005年7月 - 世界自然遺産として正式登録
知床に自然大学院大学を 午来昌
羅臼岳(右奥)のふもとに「しれとこ100平方メートル運動」の
参加者の名簿が並ぶ=1986年
●午来昌 元斜里町長
ごらい・さかえ 元斜里町長 1936年、斜里町ウトロ生まれ。
開拓農家の3代目として生まれ、農業や山ガイドに従事。
斜里町長を5期20年務め、世界遺産登録を見届け勇退。
現在は知床自然大学院大学設立財団評議員。
■再生の困難さ・保全の歴史学ぶ
2005年、知床はユネスコの世界遺産に登録された。
世界の宝として認められ、世界に向けて発信できる土台ができた。
次なる目標は、地元としてどんなアクションプログラムを組むこ
とができるのか。
07年4月に斜里町長を退いた後、民間の皆さんがワーキンググループを
立ち上げ、町も加わり、知床に自然保護を学ぶ大学院大学を創ろうという
計画が生まれた。17年の開学を目指したが、残念ながら資金が集まらず、
スタートは大幅に遅れる見込みだ。
しかし、何としても実現させたいと考えている。
◇ ◇ ◇
斜里町人口1万2千人。羅臼町6千人。知床半島は古くは縄文時代の
初期から今日まで自然の恵みを受けてきた。人も動物も、森と川、海を
守りながら数千年を経て今日がある。知床の価値とは、流氷をはじめ
とする厳しい環境がつくりあげた自然生態系と生物多様性だ。
だが、この大地に住む人々は、自然との闘いの中に畏敬の念を持ちながらも、
生きるために、森を、大地を、海を、荒らして来た。私もこの地に生まれ
育った人間として反省し、変わりゆく故郷を見るにつけ、環境の大切さを
思うようになった。
知床は1964年に国立公園に指定されたが、70年代初めに日本列島
改造論が全国に広がると、入植し苦労を重ね離農した開拓者の土地を、
不動産業者が現ナマをちらつかせ安い価格で買い占め始めた。
同じ農家の仲間として無性に腹が立ち、当時斜里町議だった私は
藤谷豊町長(故人)に直訴した。町長はすぐ行動を起こし、道庁、
農水省、環境庁や大学の先生方にも精力的に要請活動をするも、
救うことはできなかった。
そんな時、朝日新聞の「天声人語」で紹介された英国のナショナルトラスト
運動に注目した藤谷町長が77年、トップダウンで決断したのが
「しれとこ100平方メートル運動」だった。
「知床で夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、全国から寄付を募り、
土地の買い上げや森林再生のための資金とする。多くの人々の協力で、
支援の輪は全国へ広がった。あれから40年になるが、つい昨日のように頭をよぎる。
その後に起きた国有林伐採問題で、私は伐採賛成の町長と戦い87年に当選する。
首長として豊かなオホーツク海と知床の環境を守ることが何よりも大切と心に
決めて歩き始めた。子や孫の世代が未来に夢を抱き、故郷に誇りが持てる
町の姿を求め、羅臼町と協力して知床を世界遺産として残すことができた。
半世紀にわたって自然保護運動にかかわる中、様々な問題が起こったが
知床に生きる人々の思いを結集し、開発計画などに歯止めをかけることが
できたのは、この地に生きる一人として誇りに思う。
◇ ◇ ◇
だからこそ、知床に自然大学院大学をつくりたい。
斜里町と羅臼町、小さな町の大きな挑戦である。変わりゆく地球、野生動物と人間、
そして生態系との調和にどう答えを出してゆくのか? 知床をフィールドに
学ぶこととは、豊かな自然に触れるだけでなく、失われた自然の再生が
いかに大変か、環境を守るために重ねてきた歴史を実感できることでもある。
知床の現場でそうしたノウハウを学んだ「ワイルドライフ・マネジャー」を育て、
全国、世界へと送り出したい。これこそが未来への贈り物となるはずだ。