斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

あの日から26年 阪神淡路大震災を振り返る

2021-01-17 23:48:05 | 地震災害
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が
発生した年月日時です。あの日から26年、死者数は6434人。
日本における「ボランティア元年」とも言われています。

私は神戸市中心部から20キロ程離れた西区に住んでいたので
長田・兵庫区ほどの被災規模ではありませんでした。おそらく
震度6以下ではなかったかと思います。
思い返すと、地域にもよりますが、電気・ガス・水道が止まって
しまい、行政は当初全く機能していなかったので、給水車が出た
くらいで毎日水くみに行ったくらいです。水を汲みに行けない人
には誰か、近所の人が運んでくれたり、「公助」が無ければ、
「共助」しかありません。
自然発生的に「共助」、助け合いが生まれます。
これは人間の倫理・道徳に基づく行為に他なりません。

親類縁者のいる人はそこを頼って身を寄せたり、こうなったら全て
において「共助」しかありません。行政が動き出すまでどのくらいの
日数がかかったのか、地域により格差は大変大きかったと思います。
震災から1か月以上経っても食料など何ら救援の手が差し伸べられ
なかった地域が神戸市内にも何カ所かあったと聞いています。
混乱が極まり、戦争とはこんな感じではないかと思います。

ともかくあまりに突然で想定外で何をどうしたら良いのか全く見当が
つかない。ただその瞬間、場当たり的に対処していくしかなかったの
が現状でした。その期間がどのくらいだったのか、ともかく3週間は
お風呂に入れませんでした。水が出ないのですから。洗濯もできません。

あれから日本各地で大規模な災害が次々と発生し、災害への対策が格段
と進んで来ています。「備えあれば患いなし」とは言え、昨今の災害の
規模は大きく「自助」・「共助」では限界があり、「公助」の充実と
責任は今後ますます重要になってくると思います。

この阪神淡路大震災がきっかけとなり、ニセコに住んでいる今も
あの時のボランティア活動を通して知り合った仲間たちと今も絆が
しっかりと繋がっていることを実感しています。

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