「善からは善のみが生ずるといまだに信じている者がいるとすれば、
それこそ政治のイロハもわきまえない『政治的未熟児』である。
指導者のよき動機もしばしばその仲間の、あるいは部下の余りに
人間的な動機によって裏切られるというのが、政治の現実である。
「政治にタッチする人間は、権力の中に身をひそめている悪魔の
力と手を結ぶもの」である。
しかもこの悪魔は恐ろしくしつこく老獪である。
「もし行為者にこれが見抜けないなら、その行為だけでなく、
内面的には行為者自身の上にも、当人を無惨に滅ぼしてしまう
ような結果を招いてしまう」。
可測、不可測の一切の結果に対する責任を一身に引き受け、
道徳的に挫けない人間、政治の倫理がしょせん悪をなす倫理
であることを痛切に感じながら、「それにもかかわらず!」
と言い切る自信のある人間だけが、政治への「天職」を持つ ―
心情倫理:自分が正しいと信じるままに行動するのか、
責任倫理:結果への責任を重んじて行動するのか ―。
この二つは絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って
「政治への天職をもちうる真の人間をつくり出すのである」
〈マックス・ヴェーバー 「職業としての政治」から一部抜粋〉
このヴェーバーの言葉を何度、いや何十回読み返したことか。
「それにもかかわらず!」と言い切れない自分自身に“政治”
への葛藤がある。
「職業としての政治」の訳者、脇 圭平氏は最後にこう結んでいる。
「(ヴェーバーの)『政治と倫理』に関する問題提起・・・・
20世紀政治学の古典として、「君主論」と比べられるこの本を
これから政治学を学ぼうとされる若い方々だけでなく、現に政治を
本業とされている「政治家」の方々にも、「君主論」と並べて読ん
でいただければと願っている。」と。
1919年1月ミュンヘンでおこなったヴェ―バーの講演は100年近く
経った現在も何ら変わることなく「政治」というものの真髄を
実に適切に語っているように思う。
それこそ政治のイロハもわきまえない『政治的未熟児』である。
指導者のよき動機もしばしばその仲間の、あるいは部下の余りに
人間的な動機によって裏切られるというのが、政治の現実である。
「政治にタッチする人間は、権力の中に身をひそめている悪魔の
力と手を結ぶもの」である。
しかもこの悪魔は恐ろしくしつこく老獪である。
「もし行為者にこれが見抜けないなら、その行為だけでなく、
内面的には行為者自身の上にも、当人を無惨に滅ぼしてしまう
ような結果を招いてしまう」。
可測、不可測の一切の結果に対する責任を一身に引き受け、
道徳的に挫けない人間、政治の倫理がしょせん悪をなす倫理
であることを痛切に感じながら、「それにもかかわらず!」
と言い切る自信のある人間だけが、政治への「天職」を持つ ―
心情倫理:自分が正しいと信じるままに行動するのか、
責任倫理:結果への責任を重んじて行動するのか ―。
この二つは絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って
「政治への天職をもちうる真の人間をつくり出すのである」
〈マックス・ヴェーバー 「職業としての政治」から一部抜粋〉
このヴェーバーの言葉を何度、いや何十回読み返したことか。
「それにもかかわらず!」と言い切れない自分自身に“政治”
への葛藤がある。
「職業としての政治」の訳者、脇 圭平氏は最後にこう結んでいる。
「(ヴェーバーの)『政治と倫理』に関する問題提起・・・・
20世紀政治学の古典として、「君主論」と比べられるこの本を
これから政治学を学ぼうとされる若い方々だけでなく、現に政治を
本業とされている「政治家」の方々にも、「君主論」と並べて読ん
でいただければと願っている。」と。
1919年1月ミュンヘンでおこなったヴェ―バーの講演は100年近く
経った現在も何ら変わることなく「政治」というものの真髄を
実に適切に語っているように思う。
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