桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

漏洩被害・続き

2007-10-18 12:42:02 | エッセイストsakura
ちょっとぉ~もういい加減にしてほしい。

さっきの続きなんですけどね。

カード会社から、番号切り替えの手順(あくまでも私が足を運んだり時間をやり繰りしてやらねばならんこと)の説明電話が来たのだけどさ。


まず、私のカードは郵貯のキャッシュカードと一体型だった。

だから「ゆうちょ銀行の窓口へ行かれまして、紛失のお届けをされてから再発行手続きをなさってください」ってさ。

はぁ・・・


また長い時間、窓口に並ぶんだね、私が。


息子のことで役所行ってたりってホント忙しいのになー(-∀-;)


それと、息子を送り迎えするのに絶対ETCが要るのに、ある期間(切り替えが済むまで)使えないらしいじゃない。


ムキー!!(*`д´)

とりあえず、出かける用があるので、グチりは中断。

情報漏れ被害(怒)

2007-10-18 11:01:46 | エッセイストsakura
先日、あるネットショップサイト運営会社より「個人情報漏洩のお詫び」という封書が届いた。

え?いったい何を買ったとこだっけ?
と、古いメールを探ってたら2年前にPCを買った当初に、画像加工ソフトをwebからダウンロードで購入した店だったことがわかった。

もしかすると自分のクレジットカードの情報その他が漏洩しちゃったってこと?

いやーな予感。

その翌日、カード会社からクレジット番号の切り替え手続きをしろという手紙が来た。
本人確認の電話をして来いと書いてあったので、した。

この時点で、怒りモード70%。

カード会社に文句言っても仕方ないけど(って、ちょっと怒り口調でしゃべったけど)、番号切り替えするってことは、定期的に支払いしてるプロバイダーとかmixiとかgooとか諸々に変更の手続きを「私が」しなきゃなんないわけだ。


あ、怒りモード87%にアップ。

実際、不正使用の実害があるかどうかわかんないし、今後どういう被害に遭うかも未知(だって名前も住所も電話もメアドも漏れてるんだよ)だけど、もう今の時点で精神的被害を被っております。


ソフトウエアをダウンロード販売するショップの決済って、クレジットカードでしか出来ないしくみなんだから、こっち(消費者)は防衛の手立てがないじゃない。

もうセキュリティーがあまあま!!
親会社が大手企業ってことが、さらに腹立たしい。


人一倍メンドクサがりの私は考えただけで萎える・・・



怒りモード98%

ほろ苦い思ひ出と黒川紀章さん(3)

2007-10-17 00:01:28 | エッセイストsakura
お待たせしました。
いよいよ最終章です。


たぶん、それまでの人生で一番勉強したんじゃなかろうかと思うくらい、受験勉強に打ち込むこと5ヶ月。

美大系の受験課題の練習も、けっこうはまってやりました。
夜間コースに入るまでは、デッサン用の鉛筆の削り方も、デザイン筆の使い方もまったく知らなかったのですから、何もかも新鮮でもあったのです。

特に、色の構成をする平面構成というデザイン課題は非常に面白く、予備校の先生に「もう1年浪人して視デ(ムサビの視覚伝達デザイン科)を狙ってみない?」と冗談を言われることもありました。

怒涛の浪人生活の末、おかげさまで受験した大学にすべて合格し、第一希望だった大学の建築学科へ入学することが出来ました。

今の時代も同じかもしれませんが、子どもが受験(お受験?)となると家族も周囲も腫れ物に触るくらいに気を使うって感じではありませんか?

私も受験生当事者だった頃は、それが当たり前みたいに図々しくしてたように思うのですが、こうやって振り返ってみると、なんて甘ったれお嬢ちゃんだったんだろーと思います。

親にも負担を掛けてしまったけれど、果たしてそれに報いるような仕事をしてきただろうか?と考えると、非常に肩身が狭いです。


ただ、あの当時私の突拍子も無い申し出を黙って許してくれたおかげで、今の私がいるのは間違いないです。

黒川さんの突然の訃報が、あの当時のことの振り返ってみるきっかけになりました。
私にとって、黒川さんの作品は羨望を持って眺めるもの以上に、非常に生々しく自分の人生の一頁に陣取っているものなのです。



建築を学んでる学生たちにとって、黒川さんの世代の建築家は雲の上の人のように偉大でありました。

晩年は、急に都知事選に出馬したり参院選に出たり、クルーザーや不思議な選挙カーでの遊説とか、我々には「???」な行動をされていましたが、やりたいことやっちゃえ!という虫の知らせみたいなことだったのでしょうかね。

とても残念です。

合掌

ほろ苦い思ひ出と黒川紀章さん(2)

2007-10-16 00:06:12 | エッセイストsakura
やっと、勉強してみたいと思う道を探し当てて、夏休みが終わるあたりから、私は大方向転換を図るべく動きました。

チューター制をとっていた予備校だったので、担当の先生に私の決意を相談し、もちろん両親にも頭を下げました。
有難いことに、両親は私が決めたことならと、ひと言の反対もせずそのまま黙って勉強させてくれました。

通っていた予備校と目と鼻の先にもう一校老舗の予備校があったのですが、そこには美大受験コースの夜間部があり、私は寮母の先生にも頼み込んで門限を10時にしてもらい、夜も予備校へ通うことになりました。

今になって思えば、マジでワガママ放題の娘のためによくぞ両親が目をつぶっていてくれたなーと感謝感謝ですよ、まったく。

日中の予備校では受験科目を勉強し、夜間コースでは鉛筆デッサン、平面構成,
透明水彩画などのデザイン系の課題の基礎を勉強しました。

時間的にも体力的にも非常にきつかったはずですが、学科の勉強だけでなく絵を描いたりする時間があるということで、実際にはストレスが帳消しになってたような気がします。

そもそも、そういうことが好きだったんですね。

それと、他の寮生の友だちとはまったく系統の違う大学を目指し始めたということで、ライバル意識を持ったり自分と成績を比較したりというストレスが無くなったこともプラスに働きました。

やっと自分が一生懸命になれる目的を見出したとき、私は天神の街中にそびえ立つある建物を意識するようになりました。

75年に建てられた「福岡銀行本店」の建物です。

巨大な黒い直方体の一部をごっそり切り取ったような、広い吹き抜け空間(ピロティ)のある斬新なビルでした。

親からの仕送りは、この福銀の口座に送られておりましたので、私はお金をおろすという口実で、この建物の空間を味わいに行っていたように思います。

これが世界的建築家、黒川紀章という人の作品なんだ。

吹き抜けの中にあるベンチに腰を下ろしながら、そこはこれから飛び込もうとしている世界への大きな憧れのシンボルとなっていきました。

ほろ苦い思ひ出と黒川紀章さん(1)

2007-10-15 19:37:31 | エッセイストsakura
記事に書こう書こうと思いながら、バタバタと出かけることが多かったので、今更ですが12日に急逝された建築家の黒川紀章さんで思い出したことを書いてみます。


あくまでも、小難しい建築の話ではなく私の青春時代に絡んだ思いですが。

話せば長いので、何回かに分けて書きます。

今は昔・・・
大学受験に失敗した私は、親元で浪人生活をする自信が無く(甘えて何にも変わらないだろうと思ったんです)、ワガママと知りつつも博多の予備校の寮に入って合格を目指すことにしました。

といっても、極楽トンボの18歳少女にはコレといった将来のビジョンも見えず、見たとしても実力がはるかに及ばないような気がして、得意だった国語、数学、英語で受験できる文系の学部(たぶん哲学科とか言ってたよーな)を志望していました。

生まれて初めての挫折とホームシックで、夏休みまでに体重が7キロほど落ちました。
とはいえ、寮では同じ境遇の友だち(といってもある意味ライバルですので微妙です)もいるし、おデブだったのがすっかり痩せられてちょっとテンションも上がって、自分なりに頑張れてる自信が芽生えておりました。

志望大学(学部)への強いモチベーションが生まれたのも、予備校の夏休みで実家へ帰ったときに、現役で東京芸大に受かった親友と会って話したことがきっかけでした。
彼女のユニークなキャンパスライフの話を聞き、芸術の分野にものすごく興味を持ってしまったのです。
元々、彼女も私も高校時代はずっと芸術コースで「美術」を専攻していたのです。

しかし、在校中は自分の進路にその選択はなかった・・・。

出来るなら、自分がやってみたいという方向へ進みたい。
でも、芸大や美大の受験は特別な準備が必要だし、受験まであと半年しかないのに今更進路を大幅に変えられるのか?
親にはこれ以上迷惑を掛けたくないので二浪は絶対いやだ。

私は夏休み中、無い頭を振り絞っていろいろとリサーチしました。

今のようにネットですぐ検索できるような時代じゃありませんのでね。
受験雑誌だけが頼りです。

そこでこれは私の希望に合うし、死に物狂いでやれば、今からでも準備が可能かもしれないという進路に行き当たりました。

美大系の建築学部です。



黒川さんはまだ出てきませんね・・・(苦笑)


911

2006-09-11 23:50:33 | エッセイストsakura
5年前の9/11。

私にとっても因縁深い忘れられない日になっている。

5年前の春、私は初めての本を出版し、そのご縁でその年のフナイ・オープンワールドに講師として講演させていただいたのだ。

講演日は2001年9月10日。

30~50人規模の講演会なら何度か経験もしていたけれど、会場は横浜のパシフィコ国際会議場であり、蓋を開けてみたら300人ほどの聴衆であった。

生まれて始めて、人前に立つことを怖いと思ったことをよく覚えている。

それでも、なんとか90分を乗り切り、こんな新米の私に、こういうすばらしい体験をさせていただけたことに深く感謝したものだった。

翌日の夜、遠くから会場に足を運んでくれた友人から祝福の電話をもらっている最中、付けっぱなしのテレビのニュース画面に釘付けになった。

NYの世界貿易センタービルに、なんと旅客機が突っ込んでしまっているのだ。

電話口の友人と、いったいこれは何?と訝しがった。


世の中を大きく変えてしまうくらいの大事件が起きたのだ。

フナイOWでの講演は、私の人生を今居る方向へ変えてくれたビッグイベントだった。


もし、その日が一日でも二日でも早かったなら、
私の講演も中止だったろう。
テロなのだから当たり前だ。



毎年複雑な思いでこの日を思い出す。


雪が積もるらしい

2006-01-20 18:28:17 | エッセイストsakura
今日はつまらないひとり言です。


ほんとに今年は寒いです。

実は今、風邪を引いてダルダルしてます。
熱はないのですけど、鼻が大変。
今年は花粉があまり飛ばないと聞いて、もう鼻の下がヒリヒリになることはないかなーと思ってたけど甘かったな~。
毎晩メンタムを塗ってます(泣)。

でもって、明日はいよいよ関東全域でも積雪らしい。
暦では大寒ですしね。

それにしても、センター試験の時ってどうしてこう天候が悪いんでしょ。
寒いは交通が危ういはで、いらん緊張を強いられますね。

わが家はtoshiyaが2週間ぶりに帰ってきます。
具合悪いけど、体に鞭打って食事に洗濯、入浴介助をしなければ。

せめてtoshiyaが風邪を引かないようにやらなければ。
って、もう鼻を垂らしてるらしいです・・・。





あなたは‘自立’してますか?

2006-01-18 10:47:41 | エッセイストsakura
webマガジン・レアリゼ、久々の更新です。

夏にレポートした、toshiyaが通っている養護学校についての記事です。
なぜ、障害を持った子どもたちだけが「自立、自立」と急かされなければならないか、それが私には非常に疑問でした。

親の安心のため?


「誰もが自分らしく生きるために」若葉養護学校レポート その2





本物の香りを知っている大人のためのリップ≪ガナッシュ・フォー・リップス≫

ヤバイです

2006-01-16 17:27:48 | エッセイストsakura
いつも元気が取り柄の私ですが、2日ほど前から微妙に喉と頭が痛い。

風邪の引き始めっぽいです。
しかし、今週から向こう3週間大事な仕事や用事が続いており、ここで倒れるわけにはまいりません!

漢方薬や食べ物などで何がなんでも乗り越えなければ。
ということで、ブログ等の更新もさぼりがちになりますが、どうぞご容赦ください。



フィトンα 森の空気

七草は韓国風で

2006-01-07 15:50:28 | エッセイストsakura
今日は七草ですね。
七草粥を作るのに、今はどこのスーパーでも小さな七草のセットが売ってあります。

ここのところの異常低温と豪雪で野菜の数も少ない上に、値段も高騰していますが、せめて七草ぐらいは・・・と私も手に入れました。

寒さに格別に弱い私、この冬はいかに体を温めるかというテーマで動いています。
特に食べ物には気を使っておりまして、最近はまっていたのが「参鶏湯(サムゲタン)」風のスープです。

サムゲタンは韓国宮廷料理の代表といってもよい、滋養豊富な料理ですが、普通に家庭で作るには大変。
(鶏丸々一羽のお腹に、高麗人参、なつめ、栗、餅米、にんにくなどのスタミナ満点な具を詰め込み、長時間鶏が十分やわらかくなるまで丸ごと煮込んだものですから)

材料だけは似たようなものを使って、野菜や豆やひじきなどを加えて我流のサムゲタン風スープを作ってました。

ところがついこの前、サムゲタンのレトルトを見つけたのです。
鶏が丸ごと入ってる!

これを鍋にあけて、水を足し塩を加えて、七草を刻んで韓国風七草粥を作りました。

めちゃめちゃ美味しい~~

クコの実も加えたので彩りもよくなりました。


手抜きですけど、体が温まるし、またハマりそうです







「不思議の国のアリス」の世界 - メイフェアスタジオ

私が目覚めた小説

2005-12-17 23:55:28 | エッセイストsakura
テレビを見ていたら、ショパンの「幻想即興曲」が流れてきた。

ふーっと幼い頃の記憶が甦って、また総毛立つ。
連想したからだ。

ショパンの恋人であったジョルジュ・サンドという女性作家が書いた「愛の妖精」という小説が、大人の世界への入り口になったことをはっきり覚えている。

読んだのはおそらく小学校の高学年か中学生になったころ。
思春期の入り口ではあったけど、晩熟の私はまだまだ幼い子どもだった。

私が読んだ「愛の妖精」は子供向けに編集してあるものだったと思う。

でも、人に恋をするとか、愛が人を変えていくということがあるのだ!ということに衝撃を受けたというか、何とも言われぬ感覚を持ったことだけはよく覚えている。
美しい容姿でなくとも愛されることとか嫉妬とか、まだよく理解できないままではあったが、確かに今まで自分がいた世界とは違う世界があるらしい。

この本を読んだとき、私は子どもと大人の間にある河を渡ったのだ。

余談だけれど、ジョルジュ・サンドという女性は激しい人生を送ったことでも有名な恋多き女性だったらしい。

今はその等身大の彼女に心を寄せられる自分になった。


今、また読んでみようと思う。


愛の妖精

岩波書店

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webマガジン・最新記事

2005-12-03 19:54:04 | エッセイストsakura
お待たせしておりましたが、記事連載中の「webマガジンレアリゼ」の桜子コーナーが更新されました。

「誰もが自分らしく生きるために」 第五話 若葉養護学校レポート・その1



俊哉が1年8ヶ月通った、若葉養護学校を父母のひとりでもある私が取材しました。
プロカメラマンの池田英臣氏にも同行してもらい、生徒たちの普段の姿を撮影してあります。

記事のレイアウト上、そうたくさんの写真が載せられないことが甚だ残念です。

レポートは3回に分けてお届けします。

今の日本の障害児教育の実情や、本当に必要なものは何なのか、皆様と意見をシェアするきっかけになることを祈っています。

レアリゼ「誰もが自分らしく生きるために」

2005-11-01 00:02:40 | エッセイストsakura
お待たせしました。

記事を連載しているwebマガジンレアリゼに、第四話がアップされました。

「誰もが自分らしく生きるために」第四話

どうぞ今一度、第一話からお読み下さい。
ご意見、ご感想などありましたら、コメントにかレアリゼまでお願いいたします



゛(*・・)σぽちっとな♪

◆メゾン・ド・ヒミコ◆

2005-10-12 21:58:49 | エッセイストsakura
久しぶりに映画を見に行った。

ずっと見たい見たいと思ってた「メゾン・ド・ヒミコ」。
8月末の公開だったのでもう上映が終わったんじゃ?と思っていたら、まだまだこれから全国へ行くらしく、渋谷のシネマライズで見れた。

監督は「ジョゼと虎と魚たち」「タッチ」の監督でもある犬童一心。
すごーく期待。

期待どおりというか、期待以上に面白かった。
ゲイの老人ホームが舞台だけど、そのホームがめちゃめちゃお洒落だし、住人の生活の仕方もお洒落。

きっと皆さん、私がオダギリジョー見たさに行ったんだろ~と思ってますね?
たしかにそれもありました。
でも、オダギリよりカッコよかったのが沙織役の柴咲コウ。

ゲイの父親との葛藤もあって、表情も暗くてブスい女の子っていう設定だったのだけど、眉間にシワを寄せる表情も美しい。
彼女の大きな切れ長の目が言葉以上のものを語るのが、すごく印象的だった。

ネタばれになるのでこれ以上は書かないけど、彼女の心が帰るところがメゾン・ド・ヒミコという結末になってすごく温かい気持ちになった。

映画館は空いていたのだけど、エンドロールが終わるまで席を立つ人はひとりもいなかったのもわかる。私の隣の女性は泣いていたし。

これ、お薦めの映画です。(今頃)

余談だけど、日本のお盆という行事があんなにも美しく温かいものだったなんて、日本人でありながら軽いカルチャーショックを受けた。


後期仕事始め

2005-10-11 23:24:50 | エッセイストsakura
昨日で秋休みも終わり、息子を群馬へ送っていった。

杜の子ファーム(寮)では先生方の心尽くしのバーベキューを頂いて、小雨の中であったが楽しく過ごしました。

てことで、今日から母も後期の仕事始めであります。
レアリゼにはまだ第3話までの掲載ですが、今後の記事も楽しみにしてください。


「レアリゼ・桜子のページ」