5年前の9/11。
私にとっても因縁深い忘れられない日になっている。
5年前の春、私は初めての本を出版し、そのご縁でその年のフナイ・オープンワールドに講師として講演させていただいたのだ。
講演日は2001年9月10日。
30~50人規模の講演会なら何度か経験もしていたけれど、会場は横浜のパシフィコ国際会議場であり、蓋を開けてみたら300人ほどの聴衆であった。
生まれて始めて、人前に立つことを怖いと思ったことをよく覚えている。
それでも、なんとか90分を乗り切り、こんな新米の私に、こういうすばらしい体験をさせていただけたことに深く感謝したものだった。
翌日の夜、遠くから会場に足を運んでくれた友人から祝福の電話をもらっている最中、付けっぱなしのテレビのニュース画面に釘付けになった。
NYの世界貿易センタービルに、なんと旅客機が突っ込んでしまっているのだ。
電話口の友人と、いったいこれは何?と訝しがった。
世の中を大きく変えてしまうくらいの大事件が起きたのだ。
フナイOWでの講演は、私の人生を今居る方向へ変えてくれたビッグイベントだった。
もし、その日が一日でも二日でも早かったなら、
私の講演も中止だったろう。
テロなのだから当たり前だ。
毎年複雑な思いでこの日を思い出す。
私にとっても因縁深い忘れられない日になっている。
5年前の春、私は初めての本を出版し、そのご縁でその年のフナイ・オープンワールドに講師として講演させていただいたのだ。
講演日は2001年9月10日。
30~50人規模の講演会なら何度か経験もしていたけれど、会場は横浜のパシフィコ国際会議場であり、蓋を開けてみたら300人ほどの聴衆であった。
生まれて始めて、人前に立つことを怖いと思ったことをよく覚えている。
それでも、なんとか90分を乗り切り、こんな新米の私に、こういうすばらしい体験をさせていただけたことに深く感謝したものだった。
翌日の夜、遠くから会場に足を運んでくれた友人から祝福の電話をもらっている最中、付けっぱなしのテレビのニュース画面に釘付けになった。
NYの世界貿易センタービルに、なんと旅客機が突っ込んでしまっているのだ。
電話口の友人と、いったいこれは何?と訝しがった。
世の中を大きく変えてしまうくらいの大事件が起きたのだ。
フナイOWでの講演は、私の人生を今居る方向へ変えてくれたビッグイベントだった。
もし、その日が一日でも二日でも早かったなら、
私の講演も中止だったろう。
テロなのだから当たり前だ。
毎年複雑な思いでこの日を思い出す。