桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

我が名を与えし人

2024-01-22 20:28:00 | 日々のこと
大事な人が逝ってしまったの続きです。

Mさんと私は、元々小学校のママ友として出会いました。

息子のトシヤの幼い頃、縁あってシュタイナー教育に基づいた幼児教育のグループの中で育て、幼稚園を経て考えた末に、1年遅らせて小学校に就学させました。
地元の公立学校の特殊学級(今の特別支援級)です。

当時はごく一部の授業や給食のときだけ、同学年の普通級に通級することになっていました。
なので、特に保護者同士で顔見知りになるなんてことはありませんでした。
でも、地域の子供会で同じ時期に役員をやったことで彼女とメールをくれた友の二人と出会います。子ども達が同学年(実際は一歳違い)だったのは偶然です。

私たち3人は急速に親しくなり、私は文章書き、彼女たちはイラストレーターとして活動していく中で、
とても充実した時間を過ごしました。
Mさんはことの外、私が頑張っていることを褒めてくれ、私が初めての本を出版した時には、私をプロデュースするために様々な提案をしてくれました。
雑誌に記事が載ることになると、進んで私のプロフィール写真を撮影してくれたり、匿名でエッセイ執筆時のペンネームを与えてくれました。

桜子がその名です。

「与えてくれた」とは、私と電話で話していた時に彼女の脳裏に桜吹雪の画が見えたから『桜子』にしようよ!という経緯があったからです。

ママ友だったことなど忘れてしまうほど、人生で大事な出会いのトップ3に入る関係です。

続きます。

大事な人が逝ってしまった

2024-01-22 11:32:00 | 日々のこと
私の人生でかなりの重要度の関わりがあった大切な友達が逝きました。
正解に言うと、亡くなっていたこと
を今知らされました

20日の朝、共通の友人からメール。

親しい間柄ながら、滅多にメールは交わさない仲なのに。
嫌な予感がしました。

「Mさんが去年の11月に亡くなっていたの知ってましたか?」

いや、知らない知らない!
でも、心の奥底でもしや?と思っていたけど確かめるのが怖くてそのままにしていたの。

毎年お互いの誕生日と新年には必ずメッセージの交換をしていたのにそれが無かった。

Mさんは5年前に15年在住していたパリでガンに罹患し、そのまま帰国後に手術、その後寛解した時点で私たち友人に公表し、とにかくびっくり狼狽えたという経緯がありました。
コロナ禍もあり、しばらくはパリには帰らないという話だったので、いつかは会えると思っていました。
ただ癌サバイバーの彼女にコロナ感染は御法度なので、会うのを先延ばしにしていたのです。

悔やまれて泣きました。

私より4つ年上でしたが、まだまだ若いしパワフルな人でした。
土曜日以来、心の中はMさんとの思い出でいっぱいで涙が止まりません。

画像はイラストレーターだった彼女が2021年元日に送ってくれたイラストです。

彼女に受けた影響、愛をしばらくここで書き綴りたいと思います。