話はトシヤの生活の質を高めることだけでは終わりません。
本人の心やカラダの資質を向上させるだけでは、私がいなくなった後に息子がよりよく生きるには片手落ちです。
体が不自由な方のための車椅子が、うちの子たちにとっては「人」なのです。
ほどほどの介助と見守りをしてくれる人がどうしても必要です。
ただし、こればっかりは特定の人にお願いしておくというわけにはいきませんので、とても不確定なものです。
私が生きている間に出来ることはなんだろう?
そう考えたとき、私という人間を通してトシヤの存在を社会の人に知っておいてもらうことだと思いました。
私がエッセイを書くようになった動機です。
ただ自己満足で書き連ねていても意味がありませんので、出来るだけ多くの人の目に留まるような場に投稿したり、コンクールに応募し続けました。
もし入賞しなくても、審査員の人だけは私が書いたトシヤのことを知ってもらえるのです。
私がプロの物書きになろうと思った年までの数年間、私は書いて書いて書きまくりました。
おかげさまで、文章力も自然に磨かれたのか、年に何度も入賞することが出来るようになり、新聞投稿がきっかけですばらしい方々と知り合えたり、最初に考えていたよりも遥かに大きな実りがあって、ほんとうに書いてよかったと思ったものでした。
私がトシヤのことを書くとき、それは自分の遺書だと思って書いています。
将来私の書いたものを目にした人たちが、トシヤをどういう思いで育ててきた親がいたのかを、ほんの少しでもいいから心に留めておいていただけたら幸いです。
直接的には私が誰かに何かを託すことは出来ないかもしれません。
それでも、トシヤが世の中から忘れられた人として放置されることだけは回避したい。
親の自己中な考えかもしれませんが、本音です。
私はそのために、書くだけの仕事ではなく、人が元気に幸せになって下さるようなセラピストの仕事もするようになりました。
周囲の人が幸せになっていけば、それは回りまわってトシヤにも幸せの波動が来るだろうと思うからです。
これが、私が仕事をしている理由です。
sakuraさんのそこらへんの気持ちが知れて、良かったと思ってます。 ぜひ第二冊も出してくださいね。書いて教えてくれてありがとう。
今年から医療関係でボランティアを始めることになりました。 ずっとやりたいと思ってたけどやっとその時がきました。
回りまわって、トシヤくんやsakuraさんに幸せの波動が届けばいいな。
自分を信じて自分の役割を果たそうとするあなたは偉いと思います。
ボランティアでまたひとまわり大きなまゆんさんになるんだろうな。