蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。

2014年10月16日 | 本の感想
ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。(辻村深月 講談社文庫)

近頃、題名が長い小説(に限らず出版物全般かもしれません)が目立ちます。
しかし、私の好みとしてはタイトルは短く、それでいて、読み終わった後に、そのタイトルを聞くと物語の全体像が鮮やかに頭の中で自動リピートされるようなものが良いと思っています。
例えば、「山月記」、「沈黙」(遠藤周作)、「蒼穹の昴」といったものが好みです。

ここで、大胆かつ失礼なことを言ってしまうのですが、当世の2大売れっ子作家、宮部さんと伊坂さんは、タイトルの付け方がイマイチではないでしょうか。、ひねりがないというか、ありきたりというか、本歌取りみたいなのが多いというか・・・
もっとも、最近はマーケティングを重視して出版社と相談してタイトルを決めることも多いらしいので、著者のせいばかりにはできないのでしょうが。

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」という題名が何を意味しているのかは、終盤になるまで全くわからないのですが、種明かしされると、この本のタイトルはこれ以外ありえない、と思えるほど絶妙の命名?だと思いました。

実は、「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」というのは、主要登場人物の誕生日(8月7日)のことなのですが、ここまで明かしてネタバレにならない(・・・ですよね)ところがまた素晴らしい。

とても仲がよかった母親を殺害して失踪してしまったチエミの行方を、幼なじみの主人公が追う話で、全体的に重苦しいのですが、(文庫本の作品紹介が「彼女が逃げ続ける理由が明らかになるとき、全ての娘は救われる」というように)ラスト近くで「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」の意味が明かされる時、一種のどんでん返しのように、物語の世界観が鮮やかに転回するのが見事でした。
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アバウト・タイム

2014年10月15日 | 映画の感想
アバウト・タイム

20年以上前だけど、会社の語学研修で3カ月、ロンドン周辺に滞在したことがあった。
それまでにはほとんど使ったことも聞いたこともなかった単語で、その頃のイギリスで頻繁に耳にしたのは、「ボアリング」と「ディボース」だった。
慢性的な不景気と北アイルランド問題に絡むテロ事件で悩み苦しんでいた国らしい言葉だったかもしれない。ホームステイ先もシングルマザーと子供二人という家庭だった。
イギリスは地震がないこともあって、建物を初めとする固形資産?は古ければ古いほどありがたい、という考え方をする人が多いようで、滞在先の家も何もかもが古びていた。バブル真っ盛りの日本から来た若者にとっては、何もかもがみすぼらしく見えたものだった。

***

主人公(ティム)の家系の男子はタイムトラベル能力があり、ティムも21歳になった時、父からその事実を伝えられる。
自分が生まれる前と未来には行けないが、自分が経験した過去ならいつでも何回でも現在と過去を行き来できて、過去に戻ってやり直したことがそのまま現在に反映される(つまり、何回でもやり直しができる)。
回数が限定されるとか、体力を消耗するといった制約はないという、何とも都合の良い能力なのだが、本作ではこの能力はただの小道具にすぎず、ありがちなパラドックスとか能力の見返りの悲劇みたいな展開とは無関係で、基本的には気楽にみられるコメディだった。

実際、ティムはこの能力を(金儲けとかには使わず)、主に自身の恋愛成就のために利用する。それも、浮気がばれそうになったら過去に戻って浮気をしなかったことにすればいいじゃん、みたいな邪な使い方ではなくて、たった一人の女の子を射止めるために使う。

ちょっと前に(コミック版を)読んだ「オール・ユー・ニード・イズ・キル」みたいな筋書で、殺されては過去にもどって戦闘技術を磨く「オール・・・」の主人公のように、ティムは恋愛や結婚前後の過程を何度も繰り返しては、自分好みの人生に洗練させていく。

本作で描かれるイギリスは美しい。海岸近くに立つ瀟洒な自宅の庭での日光浴、ゴミ一つ落ちていない砂浜、きれいで安全な地下鉄。古びた建物や建具・家具さえもが愛おしく(今になって使い古したものの良さがわかるようになった)、主人公の周囲にどす黒い悪意を抱く人は誰もいない。結婚式をぶち壊しにしたはずの嵐さえもが素敵なイベントかのように見えてしまう。

しかし、これはティムが何度も過去に戻って自分の人生を自分好みに改変したから起こったことに違いない。
逆にいうと、夢のように素敵な人生は何回も過去に戻って変更を繰り返さないと実現できないのではないか?
(ティムが見捨てたパラレルワールドに残された人はどうなったのだろう?例えば、あの長男はパラレルワールドで突然失踪した父親を恨まなかったのだろうか?)

もしかしたら、現在のイギリスは冒頭に記したような時期とは異なり、もっと良質な社会に変貌しているのかもしれない。
しかし、本作で描かれたような環境にいる人がそれほど多いとも思えない。
イギリスに住んでいる人からみたら「ありえねー」的な甘い甘い夢物語と感じられるのではなかろうか。
2時間ほどの上映時間の間、現世にはあり得ないタイムとレベルという小道具を使ってユートピアを上手に提示することで、観客を魅了することには成功しているし、そんなこと考えずに素直に「よし、日々の暮らしを充実させよう」と決意するのが正しいやり方ではあるのだが。

蛇足・・・いつも正装してティムの実家に居候している叔父さんもタイムトラベル能力があるはずで、いつも 隣に座った来客の名を忘れてしまうのは、過去から戻って来たばかりだから?なのだろうか。謎めいたムードがとても良かった。
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村上ラヂオ

2014年10月12日 | 本の感想
村上ラヂオ(村上春樹 新潮文庫)

「2」の方を先に読んだのだけど、とても良かったので、オリジナル?も読んでみた。
こちらもいい意味で脱力感がある、肩のこらない内容で楽しく読めた。

世界的文豪?でも、柿ピーを食べ始めたらやめるのはむずかしいという「柿ピー問題の根は深い」

ショートショートのさらに短縮版のような、でも味がある「猫の自殺」

スワローズに関するエッセイをもっともっと読みたいと思わせる「太巻きと野球場」

「平凡パンチ」の記事がバツグンだった「30年前に起こったこと」(以下、その部分を引用)
***
いや、懐かしいなと思いつつ、古い「平凡パンチ」を手にとってページをめくっていたら、ジョン・レノンがインタビューで怒りをぶちまけたという記事があった。ビートルズは既に解散していたけれど、レノンはまだ元気に生きていた。何をそんなに怒っているかというと、「俺たち(ビートルズの)四人はこれまでだいたいにおいて、女をみんなでまわして共有してきたんだ。なのにあいつら三人は、ヨーコだけは一度も手を出さなかった。それってひどい侮辱じゃないか。そのことで俺はずいぶん頭にきてるんだ」
***
いや、時代が違うというのか、今だったら、さすがにこんなコメント掲載できませんよね。。。

外国での快適なドライブの途中で、同乗者の妻が言いだした「現実という見過ごすことのできないずだ袋の底から、洗い忘れていた二週間前のテニス用靴下を引っぱり出すみたいに、陰惨な疑問」という表現が面白かった「あ、いけない!」
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外国人力士

2014年10月12日 | Weblog
外国人力士

大相撲の番付上位の多くが外国人力士で占められ、本場所で日本人力士が優勝することが極めて珍しい(というか、当分起こりそうにない)こととなっています。

昔もハワイなど南洋諸島?の外国人力士が活躍したことはありましたが、番付上位を独占してしまうという事態は想像もつきませんでした。

その割に、(現時点の)世間の外国人力士への風当たりは、あまり強くないように感じます。
フロンティアである高見山や小錦は、アウェイなムードを感じた、みたいなコメントをよくしていたような気がしますので、外国人力士をとりまく相撲ファンの雰囲気は(友好的な方向へ)変化してきたのかもしれません。

大きな原因は、モンゴル人力士が多いので、見かけが日本人と区別がつきにくいことでしょう。昔の強豪外国人力士の中でも風貌が日本人っぽい(というか西郷さんに似ている)の武蔵丸には(相対的に)逆風が弱かったような気がします。

もう一つの原因として、昔に比べて、外国人力士が話す日本語がうまい、日本人が話しているのとアクセントもふくめ違いがわからないほど流暢であることがあげられるのではないでしょうか。
高見山や小錦は、やっぱりどこか母国語でないことを感じさせる話し方だったのですが、最近の人は皆、外国語をしゃべっているような感じは全くありません。
比較的低年齢から来日していることが多いモンゴル出身者はまだわかるのですが、琴欧州や把瑠都もやたらと日本語会話がうまかった印象があります。

相撲部屋も外国人力士の受入に違和感がなくなり(というより、積極的に採用?するようになり)、おそらく、恵子でも日常生活でも日本人力士と同様の扱いをするようになった(のではないかと思われる)ことが原因でしょうか。
高見山らフロンティアの時代には、そもそも外国人にどう接すればいいかわからないので腫物にさわるような扱いだったともいいます。

相撲部屋では相当に出世するまで別宅を構えることなく、24時間年中無休で合宿状態と聞きますので、自然に日本語ができるようになるのでしょうね。
そうだとしても日常会話のアクセントまで日本人そのものになってしまうのは、やっぱりすごいな、出世していく力士は語学習得でも相当に努力しているんだろうな、と思います。
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アイネクライネナハトムジーク

2014年10月12日 | 本の感想
アイネクライネナハトムジーク(伊坂幸太郎 幻冬舎)

世の中には、天変地異のように人力が及ばない事柄を除いたとしても、いろいろ納得いかないこと、個人の力ではいかんともしがたい理不尽があります。
例えば、横柄でわがままな客の相手をしなければならない店員、コールセンターの担当者とかは、事の大小はともかく、毎日のようにそんな目にあっていると思います。
もっと大きなところでは、政策や支配者に対して、苛烈な弾圧をされてもデモ等の反抗を続ける人は、生命の危機と引き換えにできるほど、理不尽への不満が強いのでしょう。

伊坂さんの多くの作品のテーマは、このどうしようもない理不尽・不条理に対する抗議だと思います。
理不尽な事態を犯罪や超能力者に絡めて家学ことが多いと思いますが、本書ではそういった趣向はなく、いくつかの短編は斉藤和義さんのアルバムに寄せて書かれたものということもあり、恋愛小説的な装飾がほどこされています。

犯罪や超能力者がからんでいると、多少つじつまが合わないような所やご都合主義的な所があっても、(もともと非日常的シチュエーション下の物語なので)あまり違和感がないのですが、本書のように、ごく普通の日常生活を描くような内容だと、偶然の出会いや再会に説得力とかリアリティがあまり感じられないなあ、と思いました。

あと、いくつかの過去の場面と現在の場面を章ごとに行ったり来たりするのも伊坂作品の特徴ですが、本書の場合、それが目まぐるしすぎて、少々わかりづらい点がありました。(歴史もののように、付録で本書の物語の年表を載せたりしたら、面白いのに・・・)
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