大江戸釣客伝(夢枕獏 講談社)
江戸時代、綱吉の治世下、(現在の)東京湾での釣りに魅入られた人々(宝井其角、英一蝶、津田釆女)の消息を群像劇的に描いた作品。
芭蕉の高弟で芭蕉亡き後、江戸の俳諧の第一人者である其角、天才的絵師の一蝶、あるいは彼らのパトロンである紀伊国屋文左衛門にとって、釣りは数ある趣味・趣向の一つにすぎません。(中毒度:1)
一方、将軍の側近衆をクビになって出世の道を断たれ、血縁にも不幸が相次いだ津田釆女にとっては釣りは唯一の気持ちのよりどころで、日常のふとした余暇にも釣りのことを考えてしまうほどでしたが、生類憐みの令で釣りが禁止された後は(こっそり海釣りをする人はたくさんいたけれど)、決して釣りには手を出しませんでした。(中毒度:2)
もう一人の登場人物、“なまこの新造”は釣りに熱中するあまり、大工の仕事も妻子も投げ捨ててしまって釣りや釣り道具作りに文字通り人生を捧げてしまいます。(中毒度:3)
このように、実生活にはあまり役立たない、嗜好性の強い行動(趣味)にハマってしまった経験は多かれ少なかれ誰にでもあると思います。ハマっている最中は、何をしていてもソノことしか考えられなくなります。恋愛もそうしたことの一つかもしれません。
私個人の経験で「あれはまさに中毒症状だったなあ」と思えるのは、大学1年の時に近所のゲームセンターで「ボスコニアン」というシューティングゲームに夢中になってしまい、相当な数の100円玉をゲーム機に投入していたことです。
もう、寝てもさめても、緑色の敵基地をどういう順番で攻略するかを考えていて、ヒマ(とお金)さえあればゲームセンターへ行っていました。
結局、いつまでたってもゲームが終わらないほど習熟したことで、この熱病から醒めたのですが、以来、こうした状態になるのが怖くてビデオゲームを熱心にはやらなくなりました。
いまどきのゲームは作る方のレベルも上がっているでしょうから、「ネトゲ廃人」になる人の気持ちもわかるような気がします。
「こんな(何の役にもたたないことに)入れ揚げていてはダメだ」と本人が一番わかっているのに、身体が言うことをきかない、というのは中毒の典型的症状でしょうが、そこを何とか気持ちで抑えられている程度(上記の例で言うと(中毒度:1)の人のように、一つのモノにのめりこまない、気散じの手段を他に持つ、というのがいいかもしれません。
でも、其角も一蝶も津田釆女も、実は、釣りに身を滅ぼした“なまこの新造”に憧れがあるんですよね。「あなたと堕ちていきたい、どこまでも」というのも、人間として自然な欲望の一つなんでしょうね。
江戸時代、綱吉の治世下、(現在の)東京湾での釣りに魅入られた人々(宝井其角、英一蝶、津田釆女)の消息を群像劇的に描いた作品。
芭蕉の高弟で芭蕉亡き後、江戸の俳諧の第一人者である其角、天才的絵師の一蝶、あるいは彼らのパトロンである紀伊国屋文左衛門にとって、釣りは数ある趣味・趣向の一つにすぎません。(中毒度:1)
一方、将軍の側近衆をクビになって出世の道を断たれ、血縁にも不幸が相次いだ津田釆女にとっては釣りは唯一の気持ちのよりどころで、日常のふとした余暇にも釣りのことを考えてしまうほどでしたが、生類憐みの令で釣りが禁止された後は(こっそり海釣りをする人はたくさんいたけれど)、決して釣りには手を出しませんでした。(中毒度:2)
もう一人の登場人物、“なまこの新造”は釣りに熱中するあまり、大工の仕事も妻子も投げ捨ててしまって釣りや釣り道具作りに文字通り人生を捧げてしまいます。(中毒度:3)
このように、実生活にはあまり役立たない、嗜好性の強い行動(趣味)にハマってしまった経験は多かれ少なかれ誰にでもあると思います。ハマっている最中は、何をしていてもソノことしか考えられなくなります。恋愛もそうしたことの一つかもしれません。
私個人の経験で「あれはまさに中毒症状だったなあ」と思えるのは、大学1年の時に近所のゲームセンターで「ボスコニアン」というシューティングゲームに夢中になってしまい、相当な数の100円玉をゲーム機に投入していたことです。
もう、寝てもさめても、緑色の敵基地をどういう順番で攻略するかを考えていて、ヒマ(とお金)さえあればゲームセンターへ行っていました。
結局、いつまでたってもゲームが終わらないほど習熟したことで、この熱病から醒めたのですが、以来、こうした状態になるのが怖くてビデオゲームを熱心にはやらなくなりました。
いまどきのゲームは作る方のレベルも上がっているでしょうから、「ネトゲ廃人」になる人の気持ちもわかるような気がします。
「こんな(何の役にもたたないことに)入れ揚げていてはダメだ」と本人が一番わかっているのに、身体が言うことをきかない、というのは中毒の典型的症状でしょうが、そこを何とか気持ちで抑えられている程度(上記の例で言うと(中毒度:1)の人のように、一つのモノにのめりこまない、気散じの手段を他に持つ、というのがいいかもしれません。
でも、其角も一蝶も津田釆女も、実は、釣りに身を滅ぼした“なまこの新造”に憧れがあるんですよね。「あなたと堕ちていきたい、どこまでも」というのも、人間として自然な欲望の一つなんでしょうね。