陽気なギャングは三つ数えろ(伊坂幸太郎 祥伝社ノンノベル)
ギャングシリーズに限らず、著者の小説には、絶対的な悪者が登場して、これと戦おうとしたり、敵わないとみて逃げ回ったりする話が多いように思います。
本書では火尻という変な名前のゴシップ記者が悪者で、成瀬たち強盗グループ達に挑戦するのですが、火尻は(悪事が実にセコいし、強盗グループを相手にするにしては無防備すぎて)あんまりワルって感じがしないし、さほど強そうでもないです。
特殊な能力を持ち、綿密な計画をたてて銀行強盗を何度も成功させている成瀬たちの手にかかれば、火尻を闇から闇に葬ることなど造作もなさそうに見えます。しかし、成瀬らはあえて自ら手を汚そう(殺人をしよう)とはせず、火尻が借金を抱えている賭場の元締めにやらせようと画策するのです。
物語の筋立てに文句をつけても詮無いことですし、そもそもこのシリーズは(ストーリーをたどるというよりは)成瀬たちのグループ4人組やその他の登場人物との会話を楽しむべきものなのでしょうが、この、自分たちでできるのに自らの手は汚さない、でも敵役を(おそらく残虐に)抹殺してしまう、というやり方はちょっと卑怯なんじゃない?なんて思ってしまいました。(しつこく言うと、火尻より賭場の元締めの方がよっぽど手強そうで、もし、火尻にかけたトリック(これがけっこうトンデモ系)がバレた日にはとても大変なことになりそうで、成瀬がそんな計算すらできないのは不自然だと思います)
余談ですが、シリーズ第一作の「陽気なギャングが地球を回す」は映画化されましたが、今考えるとキャストがすごかったんです。
成瀬→大沢たかお
響野→佐藤浩市
久遠→松田翔太
雪子→鈴木京香
特に、響野のイメージに佐藤さんはピッタリ嵌っていて怖いくらいでした。
ただ、個人的には映画としての出来はイマイチかなあ、と思いました。せっかくいいキャストを集めたのだから、おふざけ気味の原作を多少離れてノワール的な話にしたらよかったのに、と思った次第です
ギャングシリーズに限らず、著者の小説には、絶対的な悪者が登場して、これと戦おうとしたり、敵わないとみて逃げ回ったりする話が多いように思います。
本書では火尻という変な名前のゴシップ記者が悪者で、成瀬たち強盗グループ達に挑戦するのですが、火尻は(悪事が実にセコいし、強盗グループを相手にするにしては無防備すぎて)あんまりワルって感じがしないし、さほど強そうでもないです。
特殊な能力を持ち、綿密な計画をたてて銀行強盗を何度も成功させている成瀬たちの手にかかれば、火尻を闇から闇に葬ることなど造作もなさそうに見えます。しかし、成瀬らはあえて自ら手を汚そう(殺人をしよう)とはせず、火尻が借金を抱えている賭場の元締めにやらせようと画策するのです。
物語の筋立てに文句をつけても詮無いことですし、そもそもこのシリーズは(ストーリーをたどるというよりは)成瀬たちのグループ4人組やその他の登場人物との会話を楽しむべきものなのでしょうが、この、自分たちでできるのに自らの手は汚さない、でも敵役を(おそらく残虐に)抹殺してしまう、というやり方はちょっと卑怯なんじゃない?なんて思ってしまいました。(しつこく言うと、火尻より賭場の元締めの方がよっぽど手強そうで、もし、火尻にかけたトリック(これがけっこうトンデモ系)がバレた日にはとても大変なことになりそうで、成瀬がそんな計算すらできないのは不自然だと思います)
余談ですが、シリーズ第一作の「陽気なギャングが地球を回す」は映画化されましたが、今考えるとキャストがすごかったんです。
成瀬→大沢たかお
響野→佐藤浩市
久遠→松田翔太
雪子→鈴木京香
特に、響野のイメージに佐藤さんはピッタリ嵌っていて怖いくらいでした。
ただ、個人的には映画としての出来はイマイチかなあ、と思いました。せっかくいいキャストを集めたのだから、おふざけ気味の原作を多少離れてノワール的な話にしたらよかったのに、と思った次第です