日本史の謎は「地形」で解ける(竹村公太郎 PHP文庫)
本屋の平台でよく見かけましたし、いつも読んでいるとあるサイトで「とても面白い」と紹介されていたので、読んでみました。
著者は国土交通省で長年河川管理に携わり、局長まで務めた人だそうです。
なので、地形の中でも河川絡みの話題が多くなっています。
例えば、関ヶ原の後、家康が(天下取りのためには有利と思われる)京都・大阪にとどまらず、江戸に帰った理由は、東京湾に流れ込んで流域を湿地化していた利根川(を付け替えて現在の流れに変える)の工事を督励するためだったとか、
石山本願寺が信長の攻撃を10年にわたって耐えられたのは、大阪城があった地形(台地の上にあり周囲は湿地帯)のためとか。
まあ、それも一つの理由かもしれないけど、それだけじゃないよね、というネタが多いし、やたらと「これしかない」的な断言口調がちょっと押しつけがましい感じ(おそらく、著者も仮説(にすらなってない感じだが)にすぎないことはわかっていても盛り上げようとしてわざとオーバーな言い回しにしているとは思うものの)でした。
気になった(というかおかしいと思った)のは、冒頭の章では、家康が関ヶ原後、江戸に戻ったのは治水工事をすれば耕作面積が広がると見込めるため、と言っているのに、最後の章では関西圏の森林資源が枯渇しそうだったため、と主張している点。別の本ならまだしも、同じ本の中でこれはまずいんじゃないかと。それに、平安京から延々と京都近辺の森林資源を消費し続けられるほど京都あたりの森林が豊富だったとは思えないし。
本屋の平台でよく見かけましたし、いつも読んでいるとあるサイトで「とても面白い」と紹介されていたので、読んでみました。
著者は国土交通省で長年河川管理に携わり、局長まで務めた人だそうです。
なので、地形の中でも河川絡みの話題が多くなっています。
例えば、関ヶ原の後、家康が(天下取りのためには有利と思われる)京都・大阪にとどまらず、江戸に帰った理由は、東京湾に流れ込んで流域を湿地化していた利根川(を付け替えて現在の流れに変える)の工事を督励するためだったとか、
石山本願寺が信長の攻撃を10年にわたって耐えられたのは、大阪城があった地形(台地の上にあり周囲は湿地帯)のためとか。
まあ、それも一つの理由かもしれないけど、それだけじゃないよね、というネタが多いし、やたらと「これしかない」的な断言口調がちょっと押しつけがましい感じ(おそらく、著者も仮説(にすらなってない感じだが)にすぎないことはわかっていても盛り上げようとしてわざとオーバーな言い回しにしているとは思うものの)でした。
気になった(というかおかしいと思った)のは、冒頭の章では、家康が関ヶ原後、江戸に戻ったのは治水工事をすれば耕作面積が広がると見込めるため、と言っているのに、最後の章では関西圏の森林資源が枯渇しそうだったため、と主張している点。別の本ならまだしも、同じ本の中でこれはまずいんじゃないかと。それに、平安京から延々と京都近辺の森林資源を消費し続けられるほど京都あたりの森林が豊富だったとは思えないし。