高校野球の石川県大会の決勝で、星稜高校が0-8の9回裏、9点を取ってサヨナラ勝ちをしたニュースは、日本のみならず、(星稜高校がゴジラ松井選手の母校ということもあり)アメリカのメディアでも取り上げられたそうです。
試合経過をサンケイスポーツから引用すると
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星稜はエース・岩下が3回6失点と乱調で、打線も八回まで2安打と沈黙。0-8の九回、代打攻勢などで2点を返して反撃開始。小松大谷は山下から木村へ投手交代も、無死二、三塁から6番・梁瀬の左前2点適時打、7番・岩下の2ランで6-8.さらに一死一、三塁と攻め、遊ゴロの間に1点を挙げ、二死一、二塁から村上の中前適時打でついに同点。最後は5番・佐竹が左翼手の頭上を越える勝ち越し打を放ち、9-8でサヨナラ勝した。
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私は、このニュースに対して「奇跡の快挙」と感じるよりは、「時にスポーツは残酷だなあ」と、負けたチームの方に同情してしまいました。
星稜高校の関係の方には大変申し訳ないのですが「常連校なんだから、そこまでしなくても」とも、チラッと思いましたが、高校野球なんで、選手にとっては常連校とか強豪校とか関係なく、「今年、今大会がすべて」なんですよね。
ここで思い出したのが約1年前、宮城県予選決勝でサヨナラ負けを喫した投手のこと。次の新聞記事がとても強く印象に残っています。(以下、朝日新聞2013.8.1から引用)
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試合前の取材に応じていた西武の渡辺監督が突然、切り出した。「仙台育英、押し出しだってね」。全国高校野球選手権宮城大会の決勝の話だ。柴田の岩佐政也投手(3年)が押し出し四球でサヨナラ負けし初の甲子園切符を逃した。監督の脳裏に、苦い記憶がよみがえった。
1983年夏、群馬大会決勝。優勝候補の前橋工のエースだった。太田工戦、1-1で迎えた11回裏。2死満塁から四球を与え、高校野球が終わった。
「めったに無いよね。いまだに夏になると、言われるよ」
当時を「俺は3日間、本当に放心状態だった」と振り返る。そして続けた。
「でもね、俺は4日目から車の免許、取りにいったよ。夏休み中に取れた」
そう言って豪快に笑った。言葉の裏には、「切り替えて、前に向いてほしい」という思いがある。
30年前に負けた右腕はプロで3度の最多勝に輝き、指揮官でも日本一になった。「明日、立ち直ったら、俺より大物になるよ」。同じ経験を持つ先輩からの、力強いエールだ。(小俣勇貴)
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胸にグサリと突き刺さったナイフのような記憶を、笑い飛ばせるようになる一つの手段は、その後、痛恨の記録をあざ笑うような栄光の実績をあげることなのでしょうが、渡辺監督のように本当にそれを実現できるのは稀有な例でしょう。
しかし、小松大谷のエースは左投げで140キロを超すような実力の持ち主とのこと。
「ナベQもこう言ってるぜ。元気だせよ」といってあげたい気持ちです。
試合経過をサンケイスポーツから引用すると
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星稜はエース・岩下が3回6失点と乱調で、打線も八回まで2安打と沈黙。0-8の九回、代打攻勢などで2点を返して反撃開始。小松大谷は山下から木村へ投手交代も、無死二、三塁から6番・梁瀬の左前2点適時打、7番・岩下の2ランで6-8.さらに一死一、三塁と攻め、遊ゴロの間に1点を挙げ、二死一、二塁から村上の中前適時打でついに同点。最後は5番・佐竹が左翼手の頭上を越える勝ち越し打を放ち、9-8でサヨナラ勝した。
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私は、このニュースに対して「奇跡の快挙」と感じるよりは、「時にスポーツは残酷だなあ」と、負けたチームの方に同情してしまいました。
星稜高校の関係の方には大変申し訳ないのですが「常連校なんだから、そこまでしなくても」とも、チラッと思いましたが、高校野球なんで、選手にとっては常連校とか強豪校とか関係なく、「今年、今大会がすべて」なんですよね。
ここで思い出したのが約1年前、宮城県予選決勝でサヨナラ負けを喫した投手のこと。次の新聞記事がとても強く印象に残っています。(以下、朝日新聞2013.8.1から引用)
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試合前の取材に応じていた西武の渡辺監督が突然、切り出した。「仙台育英、押し出しだってね」。全国高校野球選手権宮城大会の決勝の話だ。柴田の岩佐政也投手(3年)が押し出し四球でサヨナラ負けし初の甲子園切符を逃した。監督の脳裏に、苦い記憶がよみがえった。
1983年夏、群馬大会決勝。優勝候補の前橋工のエースだった。太田工戦、1-1で迎えた11回裏。2死満塁から四球を与え、高校野球が終わった。
「めったに無いよね。いまだに夏になると、言われるよ」
当時を「俺は3日間、本当に放心状態だった」と振り返る。そして続けた。
「でもね、俺は4日目から車の免許、取りにいったよ。夏休み中に取れた」
そう言って豪快に笑った。言葉の裏には、「切り替えて、前に向いてほしい」という思いがある。
30年前に負けた右腕はプロで3度の最多勝に輝き、指揮官でも日本一になった。「明日、立ち直ったら、俺より大物になるよ」。同じ経験を持つ先輩からの、力強いエールだ。(小俣勇貴)
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胸にグサリと突き刺さったナイフのような記憶を、笑い飛ばせるようになる一つの手段は、その後、痛恨の記録をあざ笑うような栄光の実績をあげることなのでしょうが、渡辺監督のように本当にそれを実現できるのは稀有な例でしょう。
しかし、小松大谷のエースは左投げで140キロを超すような実力の持ち主とのこと。
「ナベQもこう言ってるぜ。元気だせよ」といってあげたい気持ちです。