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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

鳥と港

2025年04月22日 | 本の感想
鳥と港(佐原ひかり 小学館)

春指みなとは、大学院を出て就職した会社がいやでたまらない。仕事に意義が感じられず、上司の課長のすべての行動が神経にさわる。耐えきれずその会社をやめて、ふとしたことから知り合った不登校の高校生の森田飛鳥とクラファンで文通屋(応募者と文通をしてあげる)を始めるが・・・という話。

登場人物が追い詰められてる状況の描写がうまくて、読んでいる方も追い詰められた気分になれる。
就職した会社(というより上司の課長)に体質が合わず?みなとが全身全霊で?すべてを拒否するあたり、
文通屋の仕事を再就職のための逸話の一つくらいにしか思っていたなかった幼なじみの柊ちゃんと仲違いするあたり、
文通屋にも行き詰まり、パートナーの飛鳥と思惑がすれちがうあたり、
なんかは、「あー、自分はそんなふうだけにはなりたくない」と暗い気分になるのだが、裏返してみると、「今の自分はそこまでひどい状況でもないということか」ということでもあり、そこまで落ち込んだりしない妙な?効果もあった。

会社の課長さん以外の登場人物はいい人ばかりで、いくらなんでもメンタル弱すぎやろ、と思えてしまうみなとをやさしく励ます。特に、会社の先輩の下野さんや、プータローになっても何も聞かない両親なんかは、こんないい人ホンマにはおらんわな・・・と思えるほど。
一時的には対立?する柊ちゃんや飛鳥とも100点満点の円満解決するし。

というか、文通屋という商売とか、飛鳥との知り合い方(近所の公園に遺棄された家庭用郵便受に文通相手募集の手紙がはいっていた)とか、飛鳥の父は実は・・・とか、
読者のみなさん、このお話はファンタジーですよ、現実はもっときびしいですよね(アナタもご存知の通り)、と作者から言われているかのような感じだった。
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浮浪児1945ー

2025年04月19日 | 本の感想
浮浪児1945−(石井光太 新潮文庫)

東京大空襲の後、血縁者も家も失った子どもたちが上野近辺に集まってきた。戦後さらに多くの身寄りのない子供、家出してきた子供が地下道を中心に集まった。彼らは浮浪児と呼ばれ、男の場合はテキヤやヤクザの手伝いなど、女の場合(男に比べると数は少なかった)には新聞売り、場合によっては売春などをして日々をしのいでいた。やがて当局が取締に乗り出し、カリコミと呼ばれる保護拘束を行い施設に収容されても多くが脱走して上野に戻った。そうした施設の中で異彩を放っていたのは都立家政の近くにあった愛児の家。石綿さたよという女性が自宅に浮浪児を招き住まわせた自然発生的な民間施設。石綿家は富裕ではあったが、数十人を引取り、公的支援もほとんどなかったことから、借金までして維持していた。愛児の家出身者を中心として元浮浪児にインタビューしたノンフィクション。

愛児の家で育った通称ディック(米兵に教わって英語が流暢だったのでついたあだ名)という男性は、1989年にさたよが亡くなった時、多額の香典を持って葬儀に参加し、仲間にも葬儀に出るように連絡し、その後もたびたび線香をあげに訪れた、という話が最も印象的だた。元浮浪児たちにとっては、さたよは文字通り母親であった。こんな人がいて、この施設が今でも存続(今は法人化しているらしい)している。こういうのを奇跡とかいうのだろうか。

愛児の家を出た後、各地を放浪した上にバブル時代に事業で大成功し、大物演歌歌手の後援会長までつとめたという人の話も興味深かった。

元浮浪児という履歴は語りたくない人がほとんどで、高齢化で著者の取材時が生の声を聞ける最後だっただろう、というあとがきは、宣伝半分かもしれないが、そのとおりで、貴重な記録になっていると思う。
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少女には向かない完全犯罪

2025年04月18日 | 本の感想
少女には向かない完全犯罪(方丈貴恵 講談社)

完全犯罪請負人の黒羽烏由宇は、ビルから突き落とされ地上の彫刻に串刺しになって瀕死状態。幽霊化した彼は、最後の依頼人の娘(音葉:小学六年生)から、依頼人である彼女の両親も殺害されており、復讐の手伝いを依頼する。幽霊として存在できるのは1週間。二人は音葉の両親が殺された現場をさぐるが、そこには両親の足跡はあっても犯人のそれは見つかっていなかった・・・という話。

2024年のミステリのランキングに入っていたのだが、著者の作品を読んだことがなかったので、手にとってみた。

ロジック系のミステリが好きな人にとってはそこが良いのかもしれないが、筋立てをひねくりすぎていて、次々に犯人候補をあげては消していくの繰り返しが少々くどい。
これまた本格系を読み慣れた人にとってはそうでもないのかもしれないが、犯人の手がかりが少なすぎじゃね?とも感じた。
メイントリック?の足跡の謎解きも、もったいぶった割にはたいしたことなかったような・・・
(文句ばっかり言ってすみません)
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仕事と生活に付いての雑記

2025年04月11日 | 本の感想
仕事と生活についての雑記(楠木建 日本経済新聞出版)

題名通り、雑誌や自身の有料サイトに掲載されたエッセイや対談を収載する。
著者は自分の考えを文書にして発表するのが大好きだそうで、その準備段階としてのゲラの推敲すらも快楽である、という。
確かに、読んでいて楽しめるし、かなり高尚?なこともわかりやすく書いているのかもしれないが、学者(一橋大学の先生)とは思えないようなエンタメ性?に満ちた内容が多い。

本書で初めて知ったのだが、かつては(経営学の一端として)軍事関係の研究もしていたらしく、その知識を活かしたエッセイも読んでみたいなあ、と思った。

キャンティ風レシピのパスタは、書いてあるとおりに作ったらたいそう美味しかった。(アラビアータはうまくできなかった)

交通違反を繰り返した人が(免停解除?のため)行った講習会で見せられたビデオの内容はお決まりの交通事故シーンではなく・・・という話が面白かった。

一橋の学生向けに書かれた「大学での知的トレーニング」、自分の娘にもそう教えたという「仕事1年目のアドバイス」は自分が新入生か新入社員の時に読みたかった。

でも、何と言ってもよかったは冒頭の「そんなにイイか?」とGAFAの収益構造を述べた「「無料」についての断章」だった。
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無人島のふたり

2025年04月07日 | 本の感想
無人島のふたり(山本文緒 新潮文庫)

2021年4月、著者は膵臓がんで余命4ヵ月と診断される。抗がん剤治療を試みるが耐えきれず自宅での緩和ケアを望む。同年10月初旬までの闘病日記。

題名は、自宅は軽井沢で元編集者の夫と二人で過ごす日々が孤島ぐらしのように感じられたことからつけたもの。

闘病記にありがちな、治療法とか薬品についての記述は最低限で、夫や訪問医や看護師との交流が中心に描かれる。
もしかして高いフィーを払っているせいなのかもしれないが、訪問医や看護師が本当に時間をかけて親身な対応をしてくれるのには驚いた。

著者は私と同じくらいの歳。そういえば、私の同級生や1、2年違いの先輩後輩でもがんを経験している人はけっこういたし、既に亡くなった人もいる。
著者も本書で述べているが、比較的若い時にがんを告げられると多くの人は「なんで私が」と思うと聞く。
医学的、生物学的?にはなりやすい人、なりにくい人がいるのだろうが、素人である一般人からすると、運命はいったいどういう基準、どういう順番で割当していくのだろう・・・と途方にくれてしまう。

著者の友人であった角田光代さんによる解説が秀逸で「なるほど、そういうふうに読むべきなんだなあ」と感心させられた。
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