ぼくのプレミア・ライフ(ニック・ホーンビィ 新潮文庫)
イギリスのプレミアリーグのアーセナルの熱狂的ファンである著者の少年時代から中年の手前までのアーセナルの編年記風のスポーツエッセイ。
著者のアーセナルへの傾倒ぶりは社会常識を超えていて、ホームでの試合がある日はどれだけ重大なイベントも入り込む余地はない。アーセナルが不様な負け方をすると言葉の字義通りの「絶望」状態に陥る。
著者ほどの思い入れがあるわけではないが、私もひいきのプロ野球チームが不調で負けが込んだりするととても不愉快な気分になる。もうシーズンが終わってほしい、試合の結果を知るのがこわい、とすら思う。
金を賭けているわけでもないし、ファンという立場をやめてしまえばいいのに、そう簡単にいかないのが感情の不思議さ。毎年シーズンが始まる前には選手名鑑を買って一人一人しげしげとプロフィールを確認し、うきうきして開幕を迎えてしまう。
選手名など固有名詞が頻出して、私にはそのほとんどの意味がわからないのだが、著者の感情の起伏の激しさにつられて(?)読み進められてしまう。
人生における様々な問題・トラブルが「アーセナル生活」のあいまにうまく織り込まれていて、ただの「ファン日誌」とは一味違うところが、本書が評価される理由だろう。
ところで本書の対象となった期間は、1960年代終わり頃から90年代初めで、その大半がアーセナルにとっては暗黒時代ともいえる時期。そんな時期のファンの苦しみを書いているからこそ面白さが増していると思う。
21世紀にはいると100年ぶりにリーグ年間無敗という記録を打ち立てリーグ最強のチームになり、ボロボロの施設として描かれているホームスタジアムは新設されてピカピカになった。こうした、現在のアーセナルのファンのエッセイだと「勝った、勝った、また勝った」になってちょっと白けてしまいそうだ。
原題は「FEVER PITCH」なのだが、邦題の「ぼくのプレミア・ライフ」の方がより本書の内容にフィットしていてセンスもいい感じ。ただ、本書の解説によるとイギリスのフットボールリーグが「プレミア・リーグ」と名乗りはじめたのは、本書が記述の対象としている時期の直後だそうで、その意味ではややルール違反と言えるのかもしれない。
イギリスのプレミアリーグのアーセナルの熱狂的ファンである著者の少年時代から中年の手前までのアーセナルの編年記風のスポーツエッセイ。
著者のアーセナルへの傾倒ぶりは社会常識を超えていて、ホームでの試合がある日はどれだけ重大なイベントも入り込む余地はない。アーセナルが不様な負け方をすると言葉の字義通りの「絶望」状態に陥る。
著者ほどの思い入れがあるわけではないが、私もひいきのプロ野球チームが不調で負けが込んだりするととても不愉快な気分になる。もうシーズンが終わってほしい、試合の結果を知るのがこわい、とすら思う。
金を賭けているわけでもないし、ファンという立場をやめてしまえばいいのに、そう簡単にいかないのが感情の不思議さ。毎年シーズンが始まる前には選手名鑑を買って一人一人しげしげとプロフィールを確認し、うきうきして開幕を迎えてしまう。
選手名など固有名詞が頻出して、私にはそのほとんどの意味がわからないのだが、著者の感情の起伏の激しさにつられて(?)読み進められてしまう。
人生における様々な問題・トラブルが「アーセナル生活」のあいまにうまく織り込まれていて、ただの「ファン日誌」とは一味違うところが、本書が評価される理由だろう。
ところで本書の対象となった期間は、1960年代終わり頃から90年代初めで、その大半がアーセナルにとっては暗黒時代ともいえる時期。そんな時期のファンの苦しみを書いているからこそ面白さが増していると思う。
21世紀にはいると100年ぶりにリーグ年間無敗という記録を打ち立てリーグ最強のチームになり、ボロボロの施設として描かれているホームスタジアムは新設されてピカピカになった。こうした、現在のアーセナルのファンのエッセイだと「勝った、勝った、また勝った」になってちょっと白けてしまいそうだ。
原題は「FEVER PITCH」なのだが、邦題の「ぼくのプレミア・ライフ」の方がより本書の内容にフィットしていてセンスもいい感じ。ただ、本書の解説によるとイギリスのフットボールリーグが「プレミア・リーグ」と名乗りはじめたのは、本書が記述の対象としている時期の直後だそうで、その意味ではややルール違反と言えるのかもしれない。