農協おくりびと (20)ふたつの毛の国
ちひろの町には、JRが走っている。名称は「両毛線」。
ふたつの毛をつなぐ鉄路、という意味が有る。
4世紀のなかば頃。北関東の群馬県と栃木県はひとつの国として扱われていた。
「毛野国(けのくに)」と、ひとくくりで呼ばれた。
境界腺はどこにも見当たらず、ひとつの細長い大きな国を形成していた。
毛と言っても人体に生える毛のことではない。
うっそうと茂る原生林の荒野一帯を指して、まるで毛のようだと例えた。
古墳時代の中ごろ。横に細長い毛野国は西側の一帯(現在の群馬県側)を、
上毛野(かみつけの・こうづけの)と呼ぶようになり、
東側を(現在の栃木県側)を下毛野(しもつけの)と分離して呼ぶようになった。
こうして北関東の奥地に、ふたつの毛の国が誕生した。
さらに時代が進んだ712年。
群馬側は上野国(こうずけのくに)と命名され、栃木側は下野国(しもふさのくに)
と名づけられ、上下の毛の国に区分が付いた。
全国の国名を漢字2文字で統一しようという国策が、実行されたからだ。
かくして栃木県から下の毛は消滅してしまったが、群馬には上毛(じょうもう)の
二文字が残った。
現在、「両毛(りょうもう)」と呼ぶときは栃木県の西部と、群馬県側の
東部一帯を指すときに使われている。
ちひろの住む町は、JR両毛線で上京するには不便すぎる。
ちひろの町は、東京の真北にある。
ちひろの町を通るJR両毛線は首都のある南へ向かわず、何故か、北関東のすそ野を、
東から西へ横切っていく。
東へ1時間あまり電車に乗って移動していくと、青森へ向かう東北本線に接続する。
接続駅の小山駅で北からやって来た電車に乗り換えると、ようやく関東平野の真ん中にある
分岐駅の大宮駅(埼玉県)に向かって南下していく。
同じく西へ50分ほど揺られていくと、信越本線と上越線の始発駅、高崎駅に着く。
上京するためにはここから大宮へ向かう高崎線に、乗り換えなければならない。
ちひろの町から東京まで、直線距離でおよそ100㎞。
だがJR両毛線は無駄に40キロずつ、ひろげた扇の稜線をそれぞれ東と西の端へ走っていく。
人を運ぶよりも、物資の輸送を重視して作られたからだ。
盛んに生産されていた繭や生糸。桐生織に代表される織物などを輸送するため、
明治の初期から中期にかけて、両毛線はつくられた。
歴史はきわめて古い。しかし、当時の繁栄した沿線の様子はすでに何処にも残っていない。
遺構のようなものなら、いくつか残っている。
駅前にポツポツと、大正から昭和初期にかけての木造の建物が見受けられる。
女郎たちが居たという朽ちかけた木造の木賃宿。
古びた提灯をかかげていたと思われる、昭和初期の呑み屋らしき跡。
小さく仕切られた部屋がいくつも有ったという、日本旅館。
得体のよくわからない、ただ古いだけの建物が、平成の家屋の中に埋もれて、
いまも残っている。
ゆうりんはそんな駅前の一角に、ポツリと一軒、赤い提灯を揺らしている。
いまの若い女将は、3代目にあたる。
白い割烹着の女将は弘悦が言った通り、たしかに別嬪さんの部類に入る。と思われる。
「容姿が綺麗な順に、佳人、麗人、美人、並上、並、並下、醜女(ぶす)、
違面(いづら)、面誤(つらご)とつづく」
「ランクの中に入っていないじゃないの。別嬪さんという名称は?」
「普通の品物と違うから、別嬪だ。
特別に良い品ものとして昔は、別品と書いたそうだ。
それがやがて、すぐれた人物を意味するようになり、女性に限らず男性にも使われた。
そのうちに女性の容姿だけを指す言葉にかわり、高貴な女性を意味する「嬪」の
文字がつかわれるようになった。
お前も真面目に化粧すれば、たぶん、別嬪の一番下くらいには滑り込めそうだな」
(21)へつづく
新田さらだ館は、こちら
ちひろの町には、JRが走っている。名称は「両毛線」。
ふたつの毛をつなぐ鉄路、という意味が有る。
4世紀のなかば頃。北関東の群馬県と栃木県はひとつの国として扱われていた。
「毛野国(けのくに)」と、ひとくくりで呼ばれた。
境界腺はどこにも見当たらず、ひとつの細長い大きな国を形成していた。
毛と言っても人体に生える毛のことではない。
うっそうと茂る原生林の荒野一帯を指して、まるで毛のようだと例えた。
古墳時代の中ごろ。横に細長い毛野国は西側の一帯(現在の群馬県側)を、
上毛野(かみつけの・こうづけの)と呼ぶようになり、
東側を(現在の栃木県側)を下毛野(しもつけの)と分離して呼ぶようになった。
こうして北関東の奥地に、ふたつの毛の国が誕生した。
さらに時代が進んだ712年。
群馬側は上野国(こうずけのくに)と命名され、栃木側は下野国(しもふさのくに)
と名づけられ、上下の毛の国に区分が付いた。
全国の国名を漢字2文字で統一しようという国策が、実行されたからだ。
かくして栃木県から下の毛は消滅してしまったが、群馬には上毛(じょうもう)の
二文字が残った。
現在、「両毛(りょうもう)」と呼ぶときは栃木県の西部と、群馬県側の
東部一帯を指すときに使われている。
ちひろの住む町は、JR両毛線で上京するには不便すぎる。
ちひろの町は、東京の真北にある。
ちひろの町を通るJR両毛線は首都のある南へ向かわず、何故か、北関東のすそ野を、
東から西へ横切っていく。
東へ1時間あまり電車に乗って移動していくと、青森へ向かう東北本線に接続する。
接続駅の小山駅で北からやって来た電車に乗り換えると、ようやく関東平野の真ん中にある
分岐駅の大宮駅(埼玉県)に向かって南下していく。
同じく西へ50分ほど揺られていくと、信越本線と上越線の始発駅、高崎駅に着く。
上京するためにはここから大宮へ向かう高崎線に、乗り換えなければならない。
ちひろの町から東京まで、直線距離でおよそ100㎞。
だがJR両毛線は無駄に40キロずつ、ひろげた扇の稜線をそれぞれ東と西の端へ走っていく。
人を運ぶよりも、物資の輸送を重視して作られたからだ。
盛んに生産されていた繭や生糸。桐生織に代表される織物などを輸送するため、
明治の初期から中期にかけて、両毛線はつくられた。
歴史はきわめて古い。しかし、当時の繁栄した沿線の様子はすでに何処にも残っていない。
遺構のようなものなら、いくつか残っている。
駅前にポツポツと、大正から昭和初期にかけての木造の建物が見受けられる。
女郎たちが居たという朽ちかけた木造の木賃宿。
古びた提灯をかかげていたと思われる、昭和初期の呑み屋らしき跡。
小さく仕切られた部屋がいくつも有ったという、日本旅館。
得体のよくわからない、ただ古いだけの建物が、平成の家屋の中に埋もれて、
いまも残っている。
ゆうりんはそんな駅前の一角に、ポツリと一軒、赤い提灯を揺らしている。
いまの若い女将は、3代目にあたる。
白い割烹着の女将は弘悦が言った通り、たしかに別嬪さんの部類に入る。と思われる。
「容姿が綺麗な順に、佳人、麗人、美人、並上、並、並下、醜女(ぶす)、
違面(いづら)、面誤(つらご)とつづく」
「ランクの中に入っていないじゃないの。別嬪さんという名称は?」
「普通の品物と違うから、別嬪だ。
特別に良い品ものとして昔は、別品と書いたそうだ。
それがやがて、すぐれた人物を意味するようになり、女性に限らず男性にも使われた。
そのうちに女性の容姿だけを指す言葉にかわり、高貴な女性を意味する「嬪」の
文字がつかわれるようになった。
お前も真面目に化粧すれば、たぶん、別嬪の一番下くらいには滑り込めそうだな」
(21)へつづく
新田さらだ館は、こちら