農協おくりびと (22)堂々とカンニングが出来る?

「怒るなよ。
落ち込んでいるお前さんを見て、慰めてあげようと思って声をかけたんだ。
だが俺たちの間にあと3時間しか残っていないというのも、事実さ。
悪いなぁ。あと1年待ってくれないか。
修行が終れば、僧侶としてまたここへ戻って来るから」
「呑気なことを言っている場合じゃないでしょ。
明日発生するかもしれない無理難題を、1年後に先送りしてどうすんの。
葬儀査定も覚えなきゃいけないし。いろいろ有りすぎて大変なのよ、あたしも」
「相変わらず要領が悪いな、お前は」弘悦が、ふたたび鼻で笑う。
「そんなもの覚える必要なんかない。堂々とカンニングすることが出来るんだぜ、
葬儀の場では、な」そんなことも知らずに新しい職場へやって来たのかお前は、
とふたたび光悦が横目で笑う。
「神聖な葬儀の場で、司会者が堂々とカンニングをする?
不謹慎過ぎるでしょう。そんな行為は」
「だから要領が悪すぎると言ってんだ。お前さんは。
葬儀場の司会席のテーブルが、どんな形になっているか思い出せ。
司会者の手元が見えないような構造になっている。
手元にすべての資料が、ちゃんと置けるようになっているんだ。
斎場ってのは忙しい日には、2つも3つも葬儀を出す。
その時に、故人の名前なんか間違えてみろ。
その場でいきなり大騒動がはじまる。
故人の名前はもちろん、喪主、主な親族の名前、指名焼香する人の順番などを、
手元に置いて、つねに確認しながら式を進めていく必要がある。
そのために、手元が見えないような形になっているんだ、
斎場の司会席というのは」
「あ・・・」言われてみればその通りだと、ちひろが葬儀場の様子を思い出す。
「そのうえ斎場の司会者ってのは、カンニングが堂々とできる目線にもなっているんだ」
と光悦がさらに続ける。
「司会席に立ったら、まず、ごく自然にあごを引く。
顔全体を斜め15度くらいにまで傾ける。
そうすることで伏し目がちの視線になる。声もまた、若干だが低くなる。
どうだ。手元に置いたメモや書類が、ぜんぶ目の中に飛び込んでくるだろう。
あとは葬儀の進行にあわせて、手元の書類を読み上げていけばいい。
どうだ。チョロイもんだろう、斎場の司会者なんて」
「あ・・・」ちひろの目が、真ん丸になる。
「そういうことが出来る事実を知っただけでも、ここへ来た甲斐が有るだろう、お前」
どうだと言わんばかりに、光悦が胸を張る。
なるほどねぇとうなずいたちひろが、あらためて嬉しそうな目を光悦に向ける。
「で。これから残った2時間30分。わたしたちはいったいどうすればいいの?。
口説くには時間が足らないし、口説かれてもいきなり『はい』とは応えられません。
うふふ。困ったわねぇ、何の話をすればいいのかしら、わたしたち」
「口説く?。もしかしたらお前。いまでもひとり身のままか、ひょっとして?」
「悪かったわね。30を過ぎた女が、いまだに独り身のままで。
そういうあんたこそ、どうなのさ?。
ちゃんと居るんでしょうね、女房のような女が2人や3人」
「女房みたいな女が2人も3人も居たら、俺は重婚罪で逮捕されちまう。
だいいち修行中の身だ。
こころに決めた女は居るんだが、俺もいまだにひとり身だ」
(へぇぇ・・・やっぱり居たんだ。こころに決めた女が、こいつには・・・)
ちひろの鋭い目が、光悦の横顔を食いつくように見つめる。
(23)へつづく
新田さらだ館は、こちら

「怒るなよ。
落ち込んでいるお前さんを見て、慰めてあげようと思って声をかけたんだ。
だが俺たちの間にあと3時間しか残っていないというのも、事実さ。
悪いなぁ。あと1年待ってくれないか。
修行が終れば、僧侶としてまたここへ戻って来るから」
「呑気なことを言っている場合じゃないでしょ。
明日発生するかもしれない無理難題を、1年後に先送りしてどうすんの。
葬儀査定も覚えなきゃいけないし。いろいろ有りすぎて大変なのよ、あたしも」
「相変わらず要領が悪いな、お前は」弘悦が、ふたたび鼻で笑う。
「そんなもの覚える必要なんかない。堂々とカンニングすることが出来るんだぜ、
葬儀の場では、な」そんなことも知らずに新しい職場へやって来たのかお前は、
とふたたび光悦が横目で笑う。
「神聖な葬儀の場で、司会者が堂々とカンニングをする?
不謹慎過ぎるでしょう。そんな行為は」
「だから要領が悪すぎると言ってんだ。お前さんは。
葬儀場の司会席のテーブルが、どんな形になっているか思い出せ。
司会者の手元が見えないような構造になっている。
手元にすべての資料が、ちゃんと置けるようになっているんだ。
斎場ってのは忙しい日には、2つも3つも葬儀を出す。
その時に、故人の名前なんか間違えてみろ。
その場でいきなり大騒動がはじまる。
故人の名前はもちろん、喪主、主な親族の名前、指名焼香する人の順番などを、
手元に置いて、つねに確認しながら式を進めていく必要がある。
そのために、手元が見えないような形になっているんだ、
斎場の司会席というのは」
「あ・・・」言われてみればその通りだと、ちひろが葬儀場の様子を思い出す。
「そのうえ斎場の司会者ってのは、カンニングが堂々とできる目線にもなっているんだ」
と光悦がさらに続ける。
「司会席に立ったら、まず、ごく自然にあごを引く。
顔全体を斜め15度くらいにまで傾ける。
そうすることで伏し目がちの視線になる。声もまた、若干だが低くなる。
どうだ。手元に置いたメモや書類が、ぜんぶ目の中に飛び込んでくるだろう。
あとは葬儀の進行にあわせて、手元の書類を読み上げていけばいい。
どうだ。チョロイもんだろう、斎場の司会者なんて」
「あ・・・」ちひろの目が、真ん丸になる。
「そういうことが出来る事実を知っただけでも、ここへ来た甲斐が有るだろう、お前」
どうだと言わんばかりに、光悦が胸を張る。
なるほどねぇとうなずいたちひろが、あらためて嬉しそうな目を光悦に向ける。
「で。これから残った2時間30分。わたしたちはいったいどうすればいいの?。
口説くには時間が足らないし、口説かれてもいきなり『はい』とは応えられません。
うふふ。困ったわねぇ、何の話をすればいいのかしら、わたしたち」
「口説く?。もしかしたらお前。いまでもひとり身のままか、ひょっとして?」
「悪かったわね。30を過ぎた女が、いまだに独り身のままで。
そういうあんたこそ、どうなのさ?。
ちゃんと居るんでしょうね、女房のような女が2人や3人」
「女房みたいな女が2人も3人も居たら、俺は重婚罪で逮捕されちまう。
だいいち修行中の身だ。
こころに決めた女は居るんだが、俺もいまだにひとり身だ」
(へぇぇ・・・やっぱり居たんだ。こころに決めた女が、こいつには・・・)
ちひろの鋭い目が、光悦の横顔を食いつくように見つめる。
(23)へつづく
新田さらだ館は、こちら