赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (49)
幅1m足らずの県境の道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/80/e82dd4d1d6aac5988ea0d38e4b4c0aeb.jpg)
「飯豊山へ登る?。いいねぇ、行っといで。
幅が3尺の登山道が、延々、7キロ以上も続いている。
行ってみる価値は充分にあるよ。行っといで、行っといで」
市が「いいところだよ」と清子の背中を押す。
飯豊山は、山岳信仰の山。
越後、会津、出羽の3国の境にそびえたち、3国を見下ろす山でもある。
山から生まれた水は、阿賀野川、荒川、最上川となり、3国の山野に恵みをもたらす。
飯豊山への参詣は、近隣の住民にとって、大人になるための通過儀礼であり、
男子が13〜15歳になると、飯豊山に登るのがしきたりになっている。
明治時代に実施された廃藩置県が、火種を産んだ。
会津の一部であった東蒲原郡が、福島県から切り離された。
この結果。飯豊山神社の奥宮は新潟県東蒲原郡実川村(現・阿賀町)に
編入されることになった。
これに、飯豊山神社の麓宮をもつ耶麻郡一ノ木村(現・喜多方市)が、猛反発した。
山頂の奥宮と麓宮は、一体のものとして崇拝されてきたからだ。
1907年。内務省の裁定により、飯豊山までの参詣道は一ノ木村の土地として
正式に認められた。
現在のいびつな形の福島・新潟・山形の県境は、これに由来する。
参詣道は、三国岳から御秘所(おひそ)、御前坂に至る4キロメートルの間は
幅約91センチメートル(3尺)。
飯豊山頂と飯豊山神社付近は、最大300メートルほどの幅になっている。
「幅が1m足らずの県境の道が、7キロ以上も続いていくのですか。
災難ですなぁ。
へその緒のような道を長々と打ち込まれてしまった、新潟県と山形県が」
「あはは。そういう言い方も確かにあるね、清子。
でもね。飯豊山は神聖な山だ。
喜多方に生まれた男たちは13~4歳になると、一人前の男の証明として、
この山へ登山するんだ」
「山岳信仰のようなものですか?」
「登拝するときは飯豊山神社が発行した「鑑札」をもつ、地理に詳しい
地元の「先達(せんたつ)」が、一般「道者(どうしゃ)」たちを引き連れてお山に入る。
それぞれが白装束に身をまとう。
塩、洗米、お金などを入れた頭陀袋を首から下げ、唱え言をあげながら登っていく。
先達は道者たちに指示を与え、山での戒めを説く。
危険なところでは、ワラ草履のヒモをきつく結ばせる。
『御山晴天』『米をまかんしょ~』と唱え、安全祈願のために米をまく。
道者を送り出したふもとの家では、生ものを絶ち、草刈りなどの金物を使う仕事を
避けて、登山の安全を祈った。
お山から戻ると、神社にお礼参りして無事を祝ったものさ」
「え?。ということは、市奴姐さんも、飯豊山へ登ったのですか!」
「あたりまえだ。あたしゃこう見えても男だよ。
飯豊山は近年まで女人禁制のお山だった。
江戸時代。禁を破って飯豊山中に入った小松のマエという女が、神の怒りに触れ、
石に変えられたという伝説が有る」
「じゃ、あたしと10代目が登山したら、石に変えられてしまうのですか!」
「大丈夫だよ、心配しないで行っといで。
時代はすっかり変わった。
女性でもいまは、大手を振って登れる山だ。
山上に咲き乱れるお花畑は、想像を絶するほどの美しさを持っている。
きっと病みつきになること、請け合いさ」
(50)へ、つづく
落合順平 作品館はこちら
幅1m足らずの県境の道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/80/e82dd4d1d6aac5988ea0d38e4b4c0aeb.jpg)
「飯豊山へ登る?。いいねぇ、行っといで。
幅が3尺の登山道が、延々、7キロ以上も続いている。
行ってみる価値は充分にあるよ。行っといで、行っといで」
市が「いいところだよ」と清子の背中を押す。
飯豊山は、山岳信仰の山。
越後、会津、出羽の3国の境にそびえたち、3国を見下ろす山でもある。
山から生まれた水は、阿賀野川、荒川、最上川となり、3国の山野に恵みをもたらす。
飯豊山への参詣は、近隣の住民にとって、大人になるための通過儀礼であり、
男子が13〜15歳になると、飯豊山に登るのがしきたりになっている。
明治時代に実施された廃藩置県が、火種を産んだ。
会津の一部であった東蒲原郡が、福島県から切り離された。
この結果。飯豊山神社の奥宮は新潟県東蒲原郡実川村(現・阿賀町)に
編入されることになった。
これに、飯豊山神社の麓宮をもつ耶麻郡一ノ木村(現・喜多方市)が、猛反発した。
山頂の奥宮と麓宮は、一体のものとして崇拝されてきたからだ。
1907年。内務省の裁定により、飯豊山までの参詣道は一ノ木村の土地として
正式に認められた。
現在のいびつな形の福島・新潟・山形の県境は、これに由来する。
参詣道は、三国岳から御秘所(おひそ)、御前坂に至る4キロメートルの間は
幅約91センチメートル(3尺)。
飯豊山頂と飯豊山神社付近は、最大300メートルほどの幅になっている。
「幅が1m足らずの県境の道が、7キロ以上も続いていくのですか。
災難ですなぁ。
へその緒のような道を長々と打ち込まれてしまった、新潟県と山形県が」
「あはは。そういう言い方も確かにあるね、清子。
でもね。飯豊山は神聖な山だ。
喜多方に生まれた男たちは13~4歳になると、一人前の男の証明として、
この山へ登山するんだ」
「山岳信仰のようなものですか?」
「登拝するときは飯豊山神社が発行した「鑑札」をもつ、地理に詳しい
地元の「先達(せんたつ)」が、一般「道者(どうしゃ)」たちを引き連れてお山に入る。
それぞれが白装束に身をまとう。
塩、洗米、お金などを入れた頭陀袋を首から下げ、唱え言をあげながら登っていく。
先達は道者たちに指示を与え、山での戒めを説く。
危険なところでは、ワラ草履のヒモをきつく結ばせる。
『御山晴天』『米をまかんしょ~』と唱え、安全祈願のために米をまく。
道者を送り出したふもとの家では、生ものを絶ち、草刈りなどの金物を使う仕事を
避けて、登山の安全を祈った。
お山から戻ると、神社にお礼参りして無事を祝ったものさ」
「え?。ということは、市奴姐さんも、飯豊山へ登ったのですか!」
「あたりまえだ。あたしゃこう見えても男だよ。
飯豊山は近年まで女人禁制のお山だった。
江戸時代。禁を破って飯豊山中に入った小松のマエという女が、神の怒りに触れ、
石に変えられたという伝説が有る」
「じゃ、あたしと10代目が登山したら、石に変えられてしまうのですか!」
「大丈夫だよ、心配しないで行っといで。
時代はすっかり変わった。
女性でもいまは、大手を振って登れる山だ。
山上に咲き乱れるお花畑は、想像を絶するほどの美しさを持っている。
きっと病みつきになること、請け合いさ」
(50)へ、つづく
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