落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (52)

2017-02-23 18:26:29 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (52)
 下15里、中15里、上15里 3つも続く、15里の道




 『なぁ聞けよ。清子。オイラの話を。ひどいんだぜ、市のやつ。
 夕飯の時。旨そうなかつお節が出てきたんだ。
 かつお節はおいらの大好物だ。何も考えず、オイラも食いついちまった。
 今から考えれば、それが間違いのもとだった。
 食った途端。あれよというまに、眠たくなってきた。
 アノやろう。かつお節に睡眠薬を混ぜたんだ、きっと。
 おかげでぐっすり寝込んじまった。
 気が付いたらよう。なんだかゆらゆら揺れている、真っ暗闇の中だ』


 たまが、清子の胸元でさっきから愚痴をこぼしている。
オレンジ色のヤッケの胸元に、たまがすっぽり収まっている。
まるでたまのための、オーダーメイドだ。
ちょうどたまが収まるサイズの、ポケットが付いている。
このヤッケもまた、市が用意したものだ。


 清子はたまの愚痴を完全に無視している。
あるきはじめたときから、恭子との会話に夢中になっている。
林道を進んでいくと、小さなせせらぎに出る。
せせらぎに架かった小橋を越えると、登山道を示す大きな案内看板が
2人の行く手に大きくそびえる。



 「清子。ここからが飯豊山の、本格的な登山道だ。
 覚悟はいいかい。臆病風に吹かれて引き返すのなら、今のうちだよ」


 「とんでもありません。
 期待で胸が膨らみ、ワクワク高鳴っています。
 お天気は最高です。たまも一緒です。何一つ心配する要素はありません。
 あ・・・・頼りになる恭子お姉さんと一緒です。
 私は何ひとつ心配などはしていません」


 「なんだかなぁ。とってつけたようなお世辞に聞こえたぞ・・・まぁいいか。
 ほら、最初のマイルストーンが見えてきた。
 ここから少し難所に変っていくよ」


 「マイルストーン?。なんですか、それ?」



 「道の途中におかれた目印、道標のことだ。
 マイルストーンは物事の進捗を管理するため、途中で設ける節目のことを言う。
 到達点に向かうための、通過点の意味が有る。
 道路に置かれている里程標識なんかも、同じ役割を果たしている」


 「たいへんだぁ、お姉ちゃん。マイルストーンに下15里と書いてあります!。
 1里というのは、4キロでしょ。
 そうすると次のマイルストーンまでの距離は、ざっと60キロになります。
 いきなり、60キロもあるくのですか!」


 「あはは。これから始まる3つの急坂を、それぞれ15里と呼んでいるんだ。
 せせらぎの先。600mの場所からはじまる最初の登りを、下15里。
 そこからさらに500m登った先に、中15里が有る。
 さらに600m登ると、最後の上15里がでてくる。
 この急な上り坂を、1里が15里に相当するほど苦しいという意味から、
 そういう名前がつけられたのさ」


 「急な上りで、合計が45里ですか・・・・
 それはずいぶんとまた、歩き始めから難儀なことです。ねぇ、たま」

 「2キロあまりの山道で繰り返される、3つの急な上りだ。
 でもね。ここは名だたる名峰です。
 急な坂道が多いとは言え、登山道はきれいに整備されています。
 オーバーペースにならないように、道標をひとつづつ確かめながら、
 一歩一歩、慎重に登って行きましょう。清子」


 恭子が言うとおり足慣らしとも言える、平坦な杉林がしばらく続く。
しかしそれもつかの間のこと。
やがて本格的な登りが、2人の目の前に迫って来る。


 最初の尾根で地蔵山まで続いていく、長坂と呼ばれる急傾斜があらわれる。
20~30分登るごとに、休憩用の広場がつくられている。
広場がいくつも整備されているには、理由がある。
数日をかけて、山を散策する人たちが増えてきた。
大きな荷物を背負う登山者たちに、配慮したためのものだ。

 景観から杉が消える。雑木と灌木に覆われた登山道に変わると、
最初の休憩場所が見えてくる。
ここが急坂路の起点だ。ここから下15里の急坂がはじまる。



 「たま。最初の急坂、下15里が見えてきました。
 あらら。ほんまや~。いままでの登山道から比べると桁違いの急坂やな。
 杉の小径は、ほんの小手調べでしたなぁ。
 ここから先は、1歩くごとに1m上昇していくような、きつい坂どす・・・・
 しかたおまへん。ささいな距離で、15里分の苦労をするんどす。
 簡単には登らせてくれまへんなぁ、飯豊山の登りというものは・・・・」


 「どうしたのさ清子。変だぜ。
 どうでもいいけど、その中途半端すぎる京なまりは、なんとかならないのかい?
 歯がゆくて、なんだかあたしまで、力が抜けてしまいそうどす」


 「あはは。すんまへん。
 ウチ、極端に緊張すると、なぜかこんな口調になるんどす。
 かんにんどっせ。恭子おねえ~はん!」



 『大丈夫かいな清子は。
 ほんま。なにやら、ウチまでおかしくなりそうや・・・』


 恭子が額から流れ落ちてくる、大粒の汗を拭う。
急坂の途中で恭子が立ち止まる。真っ赤な顔をして登ってくる清子の姿を振り返る。
『なんやかんや言う割に、頑張って登っているやんか、この子・・・
意外と根性あるわ』
うふふと嬉しそうに、目をほそめる。


 (53)へ、つづく

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