赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (67)
たまの嗅覚
たまが、清子の顔をペロリと舐める。
寒いのだろうか。全身が霧から落ちたしずくで濡れている。
『寒いんだろう、お前。いま、拭いてあげるからね』
清子が、リュックサックの中から乾いたあたらしいタオルを取り出す。
そのとき。ガサッと小さな音を立てて、ビニールの袋が地面に落ちた。
落ちたのは、行動食の柿の種の袋だ。
袋の隅に小さな穴が開いている。
『あら・・・落ちたのは行動食のカキのタネです。
袋の下に、小さな穴が開いていますねぇ。
たま、お前、もしかして、リュックの中でこっそりこれをかじっていたのかい?』
『悪いかよ。腹が減ったもんで、道々、おいらが食べた。
でもよう。香ばしい醤油の匂いのするカキのタネは、好物だ。
だけど固いだけのピーナツは苦手だ。
なんで柿の種に、わざわざピーナツなんか混ぜるんだろうな。
人間のすることは良くわからねぇ。
だからよ。おいら、ピーナツは嫌いだからぜんぶ、途中で捨ててきた』
行動食は、エネルギー補給するための食料だ。
たくさんのエネルギーを消費する登山では、低血糖に陥ると集中力が切れ、
思わぬ転倒につながることもある。
補給しないまま歩き続ければ、シャリバテ※になる。
(※ 飯が足りずバテること)
ガス欠にならぬよう、行動中も積極的にエネルギーを取りつづける必要がある。
「偉いぞたま!。
お前のピーナツ嫌いは、私たちのピンチを救ってくれる切り札になる!」
恭子がとつぜん、大きな歓声をあげる。
何のことだかさっぱりわからず、たまはきょとんと恭子の顔を見つめる。
清子にも、まったく意味がわからない。
それでもたまの身体を拭く手を止め、恭子の顔を振りかえる。
「いま、行動食のカキのタネを、つまみ食いしたって言ったわね、たま。
ピーナツだけを食べずに、来る道々、捨ててきたんでしょ。
その匂いを辿れば、避難小屋まで戻れるかもしれないわ!」
あっ・・・事の重大性に、清子も気がつく。
たまのつまみ食いが、こんなところで役にたった。
恭子が結んできた目印のオレンジ色のテープは、濃密な霧に隠れて、
現状ではまったく役に立たない。
しかし。ここまでの道筋に、たまが捨ててきたピーナツが点々と残っている。
「すごいぞ、たま。お前はやっぱりさいわいをもたらす奇跡の三毛猫だ。
嵐が来る前に、避難小屋へ戻ることができるかもしれない。
たま。お前の出番がやってきた。
道に捨ててきたピーナツの匂いを、かぎ分けておくれ!」
『えっ、この悪天候の中で、ピーナツのかすかな匂いをかぎわけるのか。
無茶なことを、平然と言うなぁ恭子のやつも。
視界の効かない霧の中だぜ。
おまけに油断していると頭上で、いきなり雷鳴が轟く最悪のコンデイションだ。
こんな中、おいらに仕事をさせるつもりかよ。酒蔵の10代目は・・・」
『つべこべ言わず、頑張ってちょうだい、たま。
この状態を見れば分かるでしょ。いまはあなただけが頼りなの。
ピーナツを頼りに、避難小屋まで戻れるかどうかの、ぎりぎりの瀬戸際なのよ』
『そう言うけどなぁ。犬とは違うんだぜ、おいらは』
『じっとこのままこうしていても、助かる見込みはない。
たぶん、この天候は回復しない。
待っていても、時間とともに悪化していくだけ。
助かる道はただひとつ。
自力で、尾根道の先にある避難小屋まで戻るしかありません。
それともなにか、おまえさんは、ここでのたれ死んでイヌワシの餌にでも
なりたいというのかい?』
恭子のするどい眼が、たまを覗き込む。
『イヌワシの餌だって。冗談じゃねぇ。さすがにそれだけは、勘弁だぜ』
おいらまだ、こんなところで死にたくねぇと、たまが首を振る。
『じゃあ素直に、あたしの言うことを聞くんだね。
いま頼りになるのは、お前さんの嗅覚だけだ。
嵐がひどくなる前に避難小屋へ戻ることができれば、わたしも清子も助かる。
おまえも、イヌワシの餌にならずに済む』
『でもよう、ちょいとした問題が有るぜ。
たしかに猫は人間に比べれば、数万倍~数十万倍の嗅覚をもっている。
だけど。餌の匂いをかぎわけるのに、特化してるんだ。
おいらが捨てたのは、大嫌いなピーナツだ。
できることなら、2度とピーナツの匂いなんか嗅ぎたくねぇ。
それでも探せというのは、立派な児童虐待だ・・・』
『生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
児童虐待だろうが、動物虐待だろうが、いまは関係ない。
四の五の言うのなら、イヌワシの餌になるまえに、わたしがお前を八つ裂きにする。
どうだたま。どちらでも好きなほうを選べ。
素直にピーナツの匂いを探して、避難小屋へ戻る路を探すか。
それともわたしに八つ裂きにされて、イヌワシの餌食になりたいか。
どちらでもよいぞ。好きな方を自由に選ぶがいい!』
『わっ、わかった。わかったよ。しょうがねぇなぁ。ピーナツの匂いを探す。
そのかわりおいらにもひとつだけ、交換条件が有る』
『なんだ。交換条件って。いいだろう、言って御覧。
この際だ。どんな条件でもいい、聞いてあげようじゃないか』
『Bカップの清子の胸じゃなくて、Dカップの恭子の胸に入れてくれるなら、
一生けん命、ピーナッツの匂いをかぎ分けてやってもいいぞ』
『清子より、わたしの胸のほうがいい?。
お安い御用だ。
ほら、おいで。ただしわたしのヤッケにポケットはないから、セーターの中だ。
それでもいいのなら、ほら、潜り込んでおいで』
(68)へつづく
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たまの嗅覚
たまが、清子の顔をペロリと舐める。
寒いのだろうか。全身が霧から落ちたしずくで濡れている。
『寒いんだろう、お前。いま、拭いてあげるからね』
清子が、リュックサックの中から乾いたあたらしいタオルを取り出す。
そのとき。ガサッと小さな音を立てて、ビニールの袋が地面に落ちた。
落ちたのは、行動食の柿の種の袋だ。
袋の隅に小さな穴が開いている。
『あら・・・落ちたのは行動食のカキのタネです。
袋の下に、小さな穴が開いていますねぇ。
たま、お前、もしかして、リュックの中でこっそりこれをかじっていたのかい?』
『悪いかよ。腹が減ったもんで、道々、おいらが食べた。
でもよう。香ばしい醤油の匂いのするカキのタネは、好物だ。
だけど固いだけのピーナツは苦手だ。
なんで柿の種に、わざわざピーナツなんか混ぜるんだろうな。
人間のすることは良くわからねぇ。
だからよ。おいら、ピーナツは嫌いだからぜんぶ、途中で捨ててきた』
行動食は、エネルギー補給するための食料だ。
たくさんのエネルギーを消費する登山では、低血糖に陥ると集中力が切れ、
思わぬ転倒につながることもある。
補給しないまま歩き続ければ、シャリバテ※になる。
(※ 飯が足りずバテること)
ガス欠にならぬよう、行動中も積極的にエネルギーを取りつづける必要がある。
「偉いぞたま!。
お前のピーナツ嫌いは、私たちのピンチを救ってくれる切り札になる!」
恭子がとつぜん、大きな歓声をあげる。
何のことだかさっぱりわからず、たまはきょとんと恭子の顔を見つめる。
清子にも、まったく意味がわからない。
それでもたまの身体を拭く手を止め、恭子の顔を振りかえる。
「いま、行動食のカキのタネを、つまみ食いしたって言ったわね、たま。
ピーナツだけを食べずに、来る道々、捨ててきたんでしょ。
その匂いを辿れば、避難小屋まで戻れるかもしれないわ!」
あっ・・・事の重大性に、清子も気がつく。
たまのつまみ食いが、こんなところで役にたった。
恭子が結んできた目印のオレンジ色のテープは、濃密な霧に隠れて、
現状ではまったく役に立たない。
しかし。ここまでの道筋に、たまが捨ててきたピーナツが点々と残っている。
「すごいぞ、たま。お前はやっぱりさいわいをもたらす奇跡の三毛猫だ。
嵐が来る前に、避難小屋へ戻ることができるかもしれない。
たま。お前の出番がやってきた。
道に捨ててきたピーナツの匂いを、かぎ分けておくれ!」
『えっ、この悪天候の中で、ピーナツのかすかな匂いをかぎわけるのか。
無茶なことを、平然と言うなぁ恭子のやつも。
視界の効かない霧の中だぜ。
おまけに油断していると頭上で、いきなり雷鳴が轟く最悪のコンデイションだ。
こんな中、おいらに仕事をさせるつもりかよ。酒蔵の10代目は・・・」
『つべこべ言わず、頑張ってちょうだい、たま。
この状態を見れば分かるでしょ。いまはあなただけが頼りなの。
ピーナツを頼りに、避難小屋まで戻れるかどうかの、ぎりぎりの瀬戸際なのよ』
『そう言うけどなぁ。犬とは違うんだぜ、おいらは』
『じっとこのままこうしていても、助かる見込みはない。
たぶん、この天候は回復しない。
待っていても、時間とともに悪化していくだけ。
助かる道はただひとつ。
自力で、尾根道の先にある避難小屋まで戻るしかありません。
それともなにか、おまえさんは、ここでのたれ死んでイヌワシの餌にでも
なりたいというのかい?』
恭子のするどい眼が、たまを覗き込む。
『イヌワシの餌だって。冗談じゃねぇ。さすがにそれだけは、勘弁だぜ』
おいらまだ、こんなところで死にたくねぇと、たまが首を振る。
『じゃあ素直に、あたしの言うことを聞くんだね。
いま頼りになるのは、お前さんの嗅覚だけだ。
嵐がひどくなる前に避難小屋へ戻ることができれば、わたしも清子も助かる。
おまえも、イヌワシの餌にならずに済む』
『でもよう、ちょいとした問題が有るぜ。
たしかに猫は人間に比べれば、数万倍~数十万倍の嗅覚をもっている。
だけど。餌の匂いをかぎわけるのに、特化してるんだ。
おいらが捨てたのは、大嫌いなピーナツだ。
できることなら、2度とピーナツの匂いなんか嗅ぎたくねぇ。
それでも探せというのは、立派な児童虐待だ・・・』
『生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
児童虐待だろうが、動物虐待だろうが、いまは関係ない。
四の五の言うのなら、イヌワシの餌になるまえに、わたしがお前を八つ裂きにする。
どうだたま。どちらでも好きなほうを選べ。
素直にピーナツの匂いを探して、避難小屋へ戻る路を探すか。
それともわたしに八つ裂きにされて、イヌワシの餌食になりたいか。
どちらでもよいぞ。好きな方を自由に選ぶがいい!』
『わっ、わかった。わかったよ。しょうがねぇなぁ。ピーナツの匂いを探す。
そのかわりおいらにもひとつだけ、交換条件が有る』
『なんだ。交換条件って。いいだろう、言って御覧。
この際だ。どんな条件でもいい、聞いてあげようじゃないか』
『Bカップの清子の胸じゃなくて、Dカップの恭子の胸に入れてくれるなら、
一生けん命、ピーナッツの匂いをかぎ分けてやってもいいぞ』
『清子より、わたしの胸のほうがいい?。
お安い御用だ。
ほら、おいで。ただしわたしのヤッケにポケットはないから、セーターの中だ。
それでもいいのなら、ほら、潜り込んでおいで』
(68)へつづく
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