落合順平 作品集

現代小説の部屋。

オヤジ達の白球(23)もと文学少女

2017-08-10 18:44:17 | 現代小説
オヤジ達の白球(23)もと文学少女



 湿布薬を貼り終えた祐介が、「さっきの話だが」と
陽子の顔を見上げる。


 「さっきの話?。ああ、男と出て行ったあの主婦のことかい。
 旦那は普通のサラリーマン。子どもはいない。
 旦那さんは真面目な人だけど、どういう仕事なのか、とにかく出張がおおい。
 ながいときは、2週間も留守になる」

 それが不倫に走った原因なのかなぁ、と陽子が声をひそめる。


 「そういえば最近、奥さんの生活パタンも、変って来たような気がする。
 着飾って外出する機会がおおくなったし、夜の遅い時間でも、
 人目を忍ぶような雰囲気で、こそこそ出かけることがある。
 変だとは思っていたんだ。
 だけど今夜、そこでばったりと出くわして、すべての事態を了解した」

 やっぱり不倫していたんだあの人妻は、と陽子が言葉を締めくくる。


 「堅物で通っている柊が、おまえの知っている主婦と不倫しているのか?。
 俺はそんな風には思えないが・・・」


 「何言ってんのさ。よく言うよ。
 論より証拠、あんたもその眼でしっかりみただろう。
 2人がここでこっそり会って、最後は仲良く身体を寄せて、出ていくところを。
 堅物だろうがエッチはするさ。
 女から誘惑されればほとんどの男は落ちる。
 ましてあの主婦は若いし、誰が見てもあの美貌だ。
 ほとんどの男が、コロコロ落ちるさ」

 「主婦の方から誘惑したのか?。
 柊の奴。俺の方から電話して、呼びだしたと言っていたぜ」


 「そうだろうね。忘れられないんだろうさ、女房以外の女の味が。
 不倫は現代の文化だなんて開き直っていた、どこかの芸能人が居たもの。
 なにが現代の文化だ。
 これが江戸時代なら死罪にあたる、不義密通の大罪だ」



 「よく言うぜ。
 そういうお前さんだって長年にわたり、総長の愛人として生きてきたくせに。
 そんな人間がさらりと言うようなことでは無いと思うけどな」


 「それはそれ。これはこれ!。うっふふ・・・・
 姦淫が重罪だった江戸時代でも、地位と金のある男たちには抜け道があったのさ。
 封建時代でも重婚は禁止だ。妻は1人だけ。
 でもね。金の力で、側室や妾を置くことは許されていた。
 そのくせ男女の道を外れた庶民の性交に関しては、厳しい姦通罪が適用されていたんだ。
 モラルとしては江戸時代の方が、はるかに上だったと私は思う」


 「詳しいな。そういえばお前、昔は文学少女だったよなぁ。
 作家になると思っていたら、いつの間にかのまったく別世界の愛人暮らしだ。
 わかんねぇもんだな。人生なんて、どんな風になるのか」


 「2言目には愛人、愛人て。私の前で大きな声で、はっきり言わないで頂戴。
 ひっぱたくよ、本気で。
 江戸時代の姦通罪は、被害者が訴え出ない限り表沙汰にならないの。
 また訴え出ても、動かない証拠を掴まないかぎり、奉行所が2人の姦通の事実を見極めるのは、
 とても難しい。
 感情のもつれでいちいち奉行所に訴えられたら、きりがないもの。
 だから奉行所は、当事者同士や、双方の家主や地主などの土地の顔役が
 話し合う『内済』を命じるの」


 「内済?。示談交渉みたいなものか?」



 「そう。第三者を入れて冷静に話し合うの。
 『内済』の結果、金を支払って解決することが多かった。
 この金のことを「首代」と言うの。江戸の相場は、七両二分。
 経済状態に応じて値段が変動するけど、これが金で片づける相場だった」

 

 「示談のための金額が七両二分?。今の値段に換算するといくらだ?」


 「一概に言えないねぇ。時代によって差が有るもの。
 「文政年間漫録」という文献に、大工さんの収入と生活費が事細かに記録されている。
 日当は銀5匁4分。今のお金にして、1万2000円。
 年間の労働日数が294日で、年収は、銀1貫587匁6分。今風に言えば343万円
 四畳半2間の住まいは、家賃が年間で銀120匁。26万円で、1月当たり2万1000円。
 家族3人(夫婦と子ども1人)のお米代も同じぐらいだ。年間で銀120匁。
 調味料代や光熱費にあたる「調味・薪炭代」の割合が結構高い。
 年間でおよそ700匁(151万円)もかかった。
 年収の半分近くをこうした雑費が占めている。
 だから、庶民が贅沢品や娯楽などに使えたお金は、決して多くはなかったと思う」


(24)へつづく


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