北へふたり旅(90)

「おかしくないか?」
時計の針が6時を過ぎた頃から、客の数が増えてきた。
毎日通い詰める客も多いという。この店がいかに愛されているか分かる。
空席が見当たらないほど混んで来た。
向かい席へ、外国からの観光カップルが座った。
50歳前後の夫婦に見える。
どちらも見るからに体格が良い。(肉ばかり食っているとこうなるのかな?)
わたしのささやきに妻が(じろじろ見ると失礼にあたります)
とたしなめる。
「おかしいよな」ぼそっとつぶやく。
「何が?」
「鬼殺しと生ビールの2杯目は来たが、刺身とホッケが出てこない。
どうなってるんだ。
忘れたかな、釧路生まれのどさん娘ちゃんが」
当のどさん娘ちゃんはあちこちから呼ばれ、店の中を走り回っている。
「お姉ちゃん」と呼びとめてみた。
しかし、「はぁ~い」と明るく答えて無視された。
「忙しそうですね・・・」
「混んで来たからね。バイト1人では無理がある」
「6時30分さなると、もう1人来るの。
ふだんはこったらさ混まないのに、なんで今日さ限って満席なんっしょ」
もうすこし経ったら来ますからと、どさん娘が駆け抜けていく。
6時30分をすぎたころ、もうひとりのアルバイトが姿を見せた。
こちらは細身の金髪だ。
「ごめんなさい。お待ちどうさま。何っしょ?」
どさん娘が戻ってきた。
冷房がきいているのに前髪の下のひたいが、汗でひかっている。
「何か忘れていないか、君」
「あっ・・・」どさん娘の反応は速かった。
「わたしったら・・・」すごい勢いで厨房へ飛んでいく。
どうやら思い当たるようだ。
待つこと3分。てんこ盛りのマグロが目の前にあらわれた。
「ごめんなさい!。生のマグロは切るだけで間に合ったけど、
さすがにホッケは焼くまで時間がかかるっしょ。
もうちょっとお待ちください。
ほんとさほんと、ごめんなさい!」
どさん娘がまるでバッタのように頭を下げる。
「いいよ、いいよ。忙しかったんだ。無理もない」
「頼まれたのは忙しくなる前だべさ。
遅くなったのは、厨房へメモを出すのをわすれたわたしのせいです。
ごめんなさい。ごめんなさい。
超特急で焼いてくださいと、厨房へ懇願してきました」
「君、呑める?」
「は・・・?」
「お酒は飲める、と聞いてるの」
「呑めますが・・・」
「じゃ、一杯呑んで。はい」
なみなみと注いだ酒を、どさん娘の前へ突き出す。
「本来は禁止されているだけんど、非常事態でしょ、したっけいただきます」
覚悟を決めたどさん娘が、ぐっとひといきでグラスを呑み干す。
「お見事」思わず妻が手を叩く。
「おう!ブラボ~!」
様子を注視していた外国人カップルが、大きな手で拍手をおくる。
(91)へつづく