落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(94) 裏路地の道産娘⑧

2020-04-18 17:51:14 | 現代小説
北へふたり旅(94)


 翌朝9時。時間きっかり、妻の携帯が鳴った。
きのう別れ際に番号を交換した、釧路のどさん娘からだ。
  
 「テレビ塔の下で、9時30分に待ち合わせです」


 「若い娘さんが、おれたちみたいな年寄りと付き合ってくれるんだ。
 嬉しいね。北海道の人はみんなやさしいな」


 「呆れた。あなたが言いだしたのよ、昨夜。
 それほどおせっかいを言うのなら、どこでもいいから俺たちを連れて行けって。
 覚えてないの?」


 「えっ、そんなこと言ったか俺・・・まったく覚えてないぞ」


 「困った酔っ払いですねぇ。うふふ」


 妻が着替えをはじめた。
妻は初めての人と、たやすく仲良くなれる。
秘訣は「袖振り合うも多生の縁です」と目をほそめる。


 「地球の総人口は77億人。日本の人口は、1億2616万7千人。
 いちどきりの人生で、何人の方と袖を振りあうことができるでしょうか」


 「袖を振りあう?。
 触れ合うなら知っているけど、それとは別の使い方があるのか?」


 「万葉の昔から、日本の女は袖を振ってきました
 触れ合うも同じ意味です。でも決定的な違いは距離です」


 「距離?」
 
 「袖が触れるのは、至近距離にちかづいたときだけ。
 通行人はたいてい袖に触れず、一生他人のまますれ違います」


 「そうだ。おおぜいのひとと道路で出会うが、ほとんどの場合、
 赤の他人のまま通行人としてすれ違う。
 では、袖を振るの意味は?」


 「袖ははるか遠くからでも振れます。
 知っているかしら。
 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る。
 ねっ。万葉をうんだ奈良時代から、人は袖を振って来たのです」


 袖のたもとが特に長く、着物の中でいっそう華やかさがある振袖。
成人式で多くの女性が振袖を身にまとい、20歳の記念日を華麗に飾る。
女性にとって振袖は特別なものだ。


 振袖が誕生したのは、江戸時代。
女性から思いを伝えることは「はしたない」とされた時代。
女たちは恋愛のサインを、振袖にたくした。


 江戸時代初期。踊り子たちが袖を振ることで愛情をしめした。
袖にすがると、哀れみを請うことを意味した。
この仕草を世の女性たちが模倣した。
男性からのアプローチに対し、「Yes」と伝えるときはたもとを左右に振る。
「No」ときは、たもとを前後に振って意思をしめした。


 「振る」「振られる」の語源はいまから400年前、こんなエピソードが
あったからだ。
結婚した女性は袖を振る必要がない。
そのため振袖の袖を短く詰め「留袖」として着るようになった。


 「ひととの出会いは一度きり。
 出会った瞬間に袖を振らないと、おおくの縁(えにし)は生まれません。
 わたし。どんなひとにも袖を振っちゃうの。
 怖いのよ。長年、水商売の世界を生き抜いてきた女は。うふふ」


 確かに妻はいろんな人とすぐ仲良しになる。


 「ほら。あちらで手を振っているお嬢さんがいます。うふっ」


 妻が指さす先、どさん娘が立っている。
ぴょんぴょんと上下しながら、両手をおおきく左右に振っている。


 (なるほど。たしかに女は手を振る生き物だ。
 それにしてもすごいな。ジャンプ付きで大歓迎を表現している)


 
(95)へつづく