落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(103)北の赤ひげ⑥

2020-05-16 16:36:32 | 現代小説
北へふたり旅(103)


 気がついたら時計が午後の1時をまわっている。
今日は旅の3日目、明日の午前10時30分から、帰路の長い電車旅がはじまる。
(ということは札幌へ居るのは、実質あと半日か・・・)


 学生たちの喫茶店でゆっくりコーヒーをのんだ後、
海鮮丼が食べたいという妻の希望で、北大近くの食堂へ場所を移した。
メニュー表を見て驚いた。一番高い海鮮丼でも1400円。


 「安いな。大丈夫か此処・・・鮮度は?」


 「ご心配なく。ここは学生向けの極安食堂だべさ。
 でも間違っても大盛を頼まないでほしいっしょ。
 驚くなかれ、普通サイズがすでに超大盛ですから。うふっ」


 「大盛りの店なのか。ここは」


 「当たり前です。あなたと違い若い人たちは食欲旺盛。
 学生たちの胃袋を満足させるのが、こちらのお店の売りなのでしょう。
 スペシャルをひとつを頼んで、あなたとわたしで分けましょう。
 ユキちゃんは遠慮しないで大盛りを頼んでください。
 気にしないで。どうせ主人のおごりですから。うふっ」


 「ごちそうさまです」ユキちゃんが満面の笑みを見せる。


 「あれ・・・」


 食事をして落ち着いたせいか、身体がすこし軽くなった気がする。
(メシで満たされたのか。それともユンケルが効いてきたのか。楽になったぞ)
これなら街中を歩けそうだ。


 「腹も満たされたので気力がもどってきた。
 さて。これから娘に頼まれた、北海道土産の調達に行くとするか」


 「もしかして、ユンケルが効いたのかしら。
 顔色も良くなってきたようです」
 
 「娘から頼まれたみやげが、なんだかんだメモにぎっしり書いてある。
 じゃがポックルと白い恋人は知ってるが、ロイズの生チョコ、
 ルタオのドゥーブルフロマージュ、白樺の木肌を黒と白のチョコで再現した
 バームクーヘン・・・
 いったいどこで売ってるんだ。こんなもの。
 ぜんぶ買っていきたいが、探し出すだけで大変だ」


 「ホント。全部買えるかしら・・・」


 ユキちゃんがメモを覗き込む。


 「ガイドブックさ乗ってるお店ばかりですねぇ。
 広範囲っしょ。こったらお店を回るだけで、きっと一日かかります」


 「えっ・・・そんなに時間がかかるの。全部買うには」


 「札幌はひろいですからねぇ。
 郊外のお店もおおいですし、回り切れないかもしれないべさ」


 「まいったなぁ。なんとかならないか?」


 「うふっ。心配にはおよばないべ
 タクシーで飛び回らなくても、簡単に手に入る良い方法があるっしょ。
 私に任せてほしいべさ。海鮮丼のお礼です」


 手に入る方法があると聞いて、ホッとした。
娘から土産のリストをわたされたとき、実はドキッとした。
名前は聞いたことがある。しかしほとんどが札幌郊外の有名店ばかり。


 (今どきの子は白い恋人たちで満足しないんだな)


 「あたりまえです。北海道は食の宝庫。
 おさかな、おにく、おやさい、くだもの、牛乳、乳製品・・・
 美味しいものを数え上げたらきりがありません」


(104)へつづく



北へふたり旅(102)北の赤ひげ⑤

2020-05-13 14:38:06 | 現代小説
北へふたり旅(102)

 
 「驚いた。薬は出さない。
 心配だったらユンケル皇帝液を呑めば大丈夫、なんて言いだした。
 大丈夫か、あの医者は・・・」
 
 「うふ。いつもそうなんだべさ。あの先生」


 診察が終ったあと。
あるいて5分ほどの、学生たちが集まる喫茶店へ移動した。


 「よかったじゃないの。たいしたことなくて」


 妻は紅茶をかきまぜながらほほ笑んでいる。


 「他人事だと思って冷静だね。君は」


 「だってぇ。
 大病院へ行っていたら診察待ちで、まだ時間を浪費している頃です。
 ユキちゃんの機転のおかげで短時間で済んだのよ。
 感謝しなさい。ユキちゃんと赤ひげ先生に」


 「赤ひげ先生?。
 さっき診察してくれたのは藪医者じゃなくて、赤ひげだというのか?」


 「正真正銘の赤ひげ先生、だそうです。
 ねぇユキちゃん」


 「はい。赤ひげ大賞というのを知っていますか?。おじさま」


 「赤ひげ大賞?。なんだそれ」


 「信じられないっしょけどあの先生。
 北海道のかかりつけ医を代表して、第一回の赤ひげ大賞を受賞しているっしょ」
 


 赤ひげ大賞は地域のかかりつけ医たちの奮闘を表彰するものとしてはじまった。
主催は日本医師会と産経新聞。


 「旭川より北に医師は来ませんから」。
その旭川以北の勤務地へ挑んだのは、いまから30年前のこと。
出身は東京。すんなり医者にはなれなかった。
2年間の浪人ののち、さいしょに受かったのは山形大学の医学部。
スキーが大好き。そのため勤務地はもっと北がいいと思っていた。


 さいしょに赴任したのは風連。一年の半分が冬といわれる北海道で
内陸地の風連は、厳寒の地として知られている。
旭川から宗谷本線で北へ向かう。
1両編成のディーゼルカーに2時間揺られ、風連駅へ着く。


 駅からひろがる風景はいちめん真っ白。
除雪で出来た2メートルの雪壁が、ずっとどこまでもつづいている。


 「今日はあたたかくてよかったです。20℃ありますから。
 昨日は25℃でした」


 むろん氷点下の話だ。


 着任以来、一人体制でひたすら頑張った。
外来診療、在宅医療、ケアハウスや老人介護施設の入所者への訪問。
さらに特別養護老人ホームの嘱託医や、学校保健医としても活動。
出勤する人のため毎月1回、朝7時からの早朝診療も実施した。


 内陸部のへき地診療を25年間つづけた。
さいきん北大の医学部から呼ばれ、札幌の地域医療をになう病院へやってきた。


 「騙されたと思って呑んでください。はい」


 妻が1000円で買って来たユンケル皇帝液の箱を差し出す。
(箱はおおきい)開けてみる。予想外の30mlの小さな瓶があらわれた。


 (小さいぞ。ほんとに効くのか、こんな小瓶が・・・)


 ひとくちぐっと流し込む。液体がのどをくだっていく。
ほのかに漢方の味がした。


 (これで効いたら安いものだ)


(103)へつづく



北へふたり旅(101)北の赤ひげ④

2020-05-10 18:56:43 | 現代小説
北へふたり旅(101)


 心電図を受け取った先生が、「ふ~む」と覗き込む。
「よく見えんな」メガネを上へずらす。
「なるほど。ふむふむ・・・」先生の口の中で言葉が消えていく。


 すこしの間、沈黙がつづく。
沈黙の間が気になる。それほど悪いのか?。危険な状態だろうか・・・




 「急を要する事態ではないですな」


 大丈夫でしょうと先生が顔を上げる。


 「しかし、油断は禁物です。
 甘く見るとたいへんなことになるかもしれません」


 「どっちなのですか先生。わたしの症状は・・・」


 「心電図を見る限り、不整脈が出ています。
 しかしまぁ、いますぐ入院する必要はないでしょ」


 「ということは、このまま旅をつづけても大丈夫ということですか?」


 「旅をつづけても大丈夫。ただし・・・」
 
 「ただし?」


 「群馬へ戻られたら、はやめに心疾患専門病院で検査したほうがいいでしょう」
 
 「それは重症という意味ですか?」


 「重症なら意識を失ってすでに倒れている。
 疲労を感じて動くのが大義になるのは、不整脈のまだ初期の症状。
 そうですな。疲れを感じたら安静にしてください。
 無理をせずゆっくり行動すれば、群馬まで帰れるでしょう」
 
 「薬をもらえますか」


 「必要ないじゃろう。
 群馬でしっかり検査してからでも間に合う」


 「しかし。疲労がつよすぎて歩くのが大義だったんです。
 点滴するとか注射するとか薬を処方するとか、対策してもらえませんか?」


 「薬?・・・そうじゃな。ユンケル皇帝液あたりがおすすめじゃな」


 「ユンケル皇帝液?。
 ユンケルって、イチロウが宣伝しているあのユンケルですか!」


 「馬鹿にしたもんじゃないぞ。市販の医療ドリンクだがよく効く。
 高いのを買う必要はない。
 1本1000円前後のもので充分だ。
 騙されたと思って呑んでみなさい。
 疲労がとれて、あるくのが楽になる」


 「先生!。無責任なことをいわないでください。
 不整脈が市販ドリンクのユンケルで良くなるはずがないでしょう!」


 「良くはならん。だが楽になる」


 「せんせぇ・・・」


 「心配はない。
 心筋梗塞や狭心症は心臓の血管の病気だが、不整脈は電気系統の故障じゃ。
 基本的に別の病気だ。
 急激な環境の変化やストレスなどが、不整脈のきっかけになる。
 旅先で不整脈が発覚しても致命傷にはならん」


 「しかし息苦しくて身動き出来なかったのですが・・・」


 「詳しく検査したいのならこれからたっぷり時間がかかる。
 ホルター心電図というものがある。
 身体にとりつけて、生活しながら24時間の検査をおこなう。
 行動記録も記入してもらう。
 しかし残念ながら、いま機械が手元にない。
 明日になれば一台あく。そうするとあと3日は札幌にとどまることになる。
 だいじょうぶか、日程的に。
 それを考えれば、ユンケルを飲んだほうがやすくつくだろう」


(102)へつづく


北へふたり旅(100)北の赤ひげ③

2020-05-07 18:26:22 | 現代小説
北へふたり旅(100)

 
 大病院へ行くかと思ったら、タクシーは小さな医院の前で停まった。
(ここか?・・・大丈夫か。古い看板がかかっている町医者だぞ)


 「学生たちが良く来る病院です」とユキちゃんがささやく。


 「学割がきくの?。ここは」


 「うふっ。よかった。冗談が出るまで回復したようです」
 
 「タクシーの中ですこし休めたからね」


 「でも急に動かないで。気を付けてくださいな。
 病院へ着いたからと言って、安心するのはまだ早いっしょ」


 孫に諭されるジイャのように病院へみちびかれていく。
受付で容態を説明するユキちゃんによどみは無い。


 「てきぱきしています、あの娘は。おかげで助かります。
 わたしが説明したのでは要領を得ず、たぶん、しどろもどろですから」


 待つこと5分。診察室へ通された。
中で50代半ばくらいの、メガネをかけた先生がまっていた。


 「とりあえず心電図をとりましょう」


 座るなり。先生が切り出す。


 「心電図?」


 「きゅうに具合悪くなったと聞きました。
 疲れが原因で、心臓になにかの異常がおきているかもしれません。
 まず心電図をとり、原因をさぐりましょう」


 案内されるまま検査室へとおされる。
検査担当の若い看護師さんがでてきた。2種類の心電図をとるという。


 「2種類?」


 「安静の状態で、さいしょの心電図をとります。
 その後、かるい運動していただきます。
 踏み台を上下してもらいます。
 50回前後を予定していますが途中で苦しくなったり、
 具合が悪くなったら中止しても問題ありません」


 「完走しなくても大丈夫ということ?」


 「はい。無理に動いて悪化したら、心電図どころではありませんから」


 うふふと看護師さんが笑う。
言われるまま上着を脱ぐ。シャツだけになり、診察台へ横たわる。
「電極をつけますね」看護師さんがのぞきこむ。


 「あきみちゃんのブラは むらさき・・・」


 小声でつぶやきながら赤、黄色 緑 茶 黒 ムラサキの電極を貼り付けていく。


 「君。あきみちゃんというの?。もしかしてブラはムラサキ?」


 「そんなことありません。私のブラは・・・あっ!」


 看護師さんが顔をあげる。


 「ごめんなさい。緊張してました。
 心電図とるの、はじめてなんです。
 貼る順番を間違えないよう、口のなかで呪文をとなえていました」


 「そんなことないよ。しっかり聞こえたよ。
 大きな声で、わたしのブラはムラサキ色ですって。はっきりと」


 「失礼しました!。申し訳ありません。
 電極を順番通り張るためのゴロ合わせが、あきみちゃんのブラは
 むらさき、なんです。
 ごめんなさい。ブラは白です。うふっ。わたしったら」


 「よかったぁ・・・
 君のブラがムラサキでは、あまりにも刺激的すぎる。
 ドキドキし過ぎて、とんでもない心電図が記録されるところだった」




(101)へつづく



北へふたり旅(99)北の赤ひげ②

2020-05-04 17:31:18 | 現代小説
北へふたり旅(99)


 自分なりに元気に歩きはじめた・・・つもりだった。
しかし、疲れはすぐにやってきた。


 改札は無事に通過した。
だがさいしょの階段を中ほどまで降りたとき、重い疲労感がやってきた。
足が止まった。


 「まただ。いったいどうしたんだ・・・足が重い」


 「壁に寄りましょ」


 妻が声をかけた。階段を乗客たちがつぎつぎ降りてくる。
流れをよどませないよう、わたしを壁へと軽く押す。


 「だから言ったのに。無理は禁物ですって」


 「すまん。急に体が重くなってきた」


 「大丈夫ですか?」


 ユキちゃんが心配そうにのぞき込んで来た。


 「喫茶店へ行く前に行かなければならない処ができたようです。
 地下鉄のホームより、地上のほうが近いです」


 来た道を戻り、改札を左へ曲がると地上へ出る階段があります。
先に行きタクシーをつかまえますので、あとからご主人と来てください、
そう言い残し、ユキちゃんが駆けだしていく。


 「身体の不調を見抜いたみたいですね、あの娘」
 
 「身体の不調?・・・
 そんなことあるもんか。ただの旅の疲れだ」


 「戻りましょ。歩けます?。肩、貸しましょうか?」


 妻が踵をかえす。
流れを乱さないよう、壁にそって一歩一歩階段をもどっていく。
妻の携帯が鳴った。地上のユキちゃんからだ。
タクシーを確保したという。


 「急がなくても大丈夫です。
 事情は説明してありますから、ゆっくりあがってきてくださいな」


 「ありがとう。地上へ出る階段が見えてきました。
 でもね。このあたりですこし休ませないと、あがれそうもありません」


 「やっぱり。わたしも応援にもどります」


 ユキちゃんが、地上から戻ってきた。
歩きたいが足がいうことをきかない。
壁に背を付けたまま、5分ほどやすむことにした。
妻がユキちゃんへ語りかける。


 「やっぱりと言ってたけど、何か心当たりがあるのユキちゃんには?」


 「数年前。父も同じような症状になったことがあるの」


 「同じような症状?。どういうこと?」


 「父は仕事が趣味でとにかく丈夫で、病気を知らない人でした。
 わたしが高校2年生の時。とつぜん牛舎の中で調子悪くなったんです。
 そのときの様子とよく似ています」


 「なんの病気だったの?」


 「それはお医者様に診てもらってから。
 いまは何とも言えません。
 どうです、おじさま。歩くことはできそうですか?」


 ユキちゃんが私の顔をのぞきこむ。
回復してきたのですこしは歩けそうだ。
ガラスドアの向こう、地上へつづく階段が見える。
しかし20段余りの階段が、いまは途方もない高さに見える。


 どうしちまったんだ俺の身体は。いったいぜんたい・・・


(100)へつづく