ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

お人好しなのです…

2018-06-14 23:15:49 | 日記
私は天性のお人好しなので、頼まれると結構なんとかしてしまいます。

しかもそのなんとかするレベルが、そもそも社会ヒエラルキー最底辺の貧乏状態からなんとかするので、あるもの使って普通以上になんとかします。

Excelだけでアニメ絵を描けますよ。
超しんどいけど。


で、ここで重要なのは、実行者としてのモラル。

なんとかするのはあくまでも私自身なので、だめなことはだめと、その上でできないことはできないと、自らの意思で決定しないとならない。


最近やっと嗅覚が戻ってきたので、危ないことや危ない人はわかるようになってきましたけれど、世の中善人のフリして悪を行う人も多いので、注意が必要です。


技術的にはもちろんできるわけですよ?
でもやっちゃいけないこともあるわけです。

例えば著作権で守られた映像や音楽を、YouTubeからダウンロードは技術的にはできますが、著作権法ではやってはいけないとか。

意外とね、できるんだからやってもいいと勘違いする人も多くてね。

タックルできるからタックルするとか。
未成年に手を出せるから未成年に手を出すとか。
指示できるんだから指示するとか。
検査がめんどくさいから検査しないとか。
刀があるから試し斬りするとか。
査読がめんどくさいから論文データを差し替えるとか。
パワハラできるからパワハラするとか。
いじめることができるからいじめるとか。
横領できるから横領するとか。

そんなの放置したら安心して生活できなくなるので、やめたほうがいいと思います。

社会風刺?いやいや、これはヒト社会の永遠のテーマだと思いますよ?
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一番の敵

2018-06-13 23:22:13 | Technics
敵は他人ではなく、自分であることが多い。

安易に妥協すると、そのツケがぐるっと廻って自分に返ってくる。

「このくらいやらなくても(考えなくても)いいだろう」

というのがね。あとでデカく効いてくる。


最大の味方も自分自身でして。

「あの点はしっかり考えてやっておかないとな」

という学習ができるというのも人ですから。


あんまり他人の足元の先を見てアドバイスなんかしても、間違ってする失敗ほどよい経験はないので、放っておきます。基本的に。

ただし、自分の成した失敗を他人のせいにしようとする人も少なくないので、予防線は張っておきます。


これも世間ずれというものなのでしょうか?


例え自分の住んでいる土地が戦禍に巻き込まれていたとしても、心は穏やかでいられるそうです。

たまにそんな気分になることもありますね。

積極的に関わらないということ。

カードバトルもカードを持つからバトルになるので持たないとか。

みんなと同じになろうと流行を追いかけると、つまらない諍いに巻き込まれる。

流行に乗らないからこそできる会話もあるんです。

そのほうが貴重な意見になったり。

みんなで似たようなものにお金を投じるって、それは経済論で考えてもすぐに価値が落ちるんですから。

政治に口出ししたい人が政治を語ればいいけど、政治に関わるより自分の生活を考えるのが精一杯なら、わざわざそこに口を挟まない、とか。


でも、今の潮流がどこに向かっているかとか、この先この仕事はこのように変化していくだろうとかの先見性はあるに越したことはないですが。
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ライブのMCでやってはいけないこと

2018-06-13 03:51:09 | Musics
深夜に目覚めて、どうでもいいことを書きたくなりました。

ライブのMCで、
「静かに!」
と言ってはいけません。

本当に会場が静まり返ります。


いや、ね?

学校の授業の体でライブをやるというコンセプトだったのですよ。

私が先生で観客が生徒。

騒いでいたら注意するもんじゃあありませんか?先生と生徒として。

でもライブ会場は騒ぐ場所。

「静かに!」
とマイクを通して言うと、本当に静かになります。

お試しあれ。


泉谷しげるさんなら言いそうですが。

「騒いでんじゃねぇ!バカ野郎!静かに聞け!」

他にも松山千春さんとか言いそう…。


大貫妙子さんのライブで騒ぐ人を見かけたことはありませんが。
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ぽーとふぉりお?

2018-06-12 21:45:58 | Technics
ポートフォリオと言ったら銀行?
投資?

いやね、デザイン系の仕事をしようと思ったら、今は履歴書ではなくポートフォリオを作って、プレゼンするのだそうです。

ええ、この数日間で知ったことです。

作り置きしておいた作品は山ほどあるでね。

今、せっせせっせとまとめて作っております。


で、明日プレゼン。

そしてPC初期化中。

さらにワタクシ事業主。


生活費を稼いできますよ。
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仕事の精度

2018-06-11 23:42:58 | Office
「適当に」
という言葉の意味は、その人の仕事の精度によって全く違うものになる。

はじめて自転車に乗ろうと練習している人の「適当」

アイルトン・セナがF1で優勝するときの「適当」

この2つの「適当」は、本人にとって適当である点は同じものの、蛇角制御の繊細さや、車両挙動に対する応答時間など、詳細な数量変化において全く異なる次元となる。

例として出したことがありますが、

辞書編纂家の「適当な言葉」

陶芸家の「適当な温度と色」

絵画美術家の「適当な絵の具」

など、「極めた当人においても違いに対して数値的な定量化が困難な精度の違い」を「適当」と表しているのであって、一般の人が思う「適当」とは全く精度が違うということ。

言葉が「適当」「いいかげん」「程々に」などと変わってもいいのですが。


私の「適当」はあらゆる基礎工学の原点をしっかりと踏襲しつつ、それから先の強度安全率1.1〜1.3が適当かどうかという部分においてでの「適当」であって、安全を無視した設計ではないということ。

この点の意識の乖離を、サラリーマン時代には補正できなかったのだけど。


商売の基本もそうなんです。

安い・早い・うまいは当たり前で。

そこに安全・安心・清潔・作りやすさ・わかりやすさ・美しさ・使いやすさ・メンテナンスしやすさなどを高度に実現させるのが商売であり、ものづくりの基本だと考えているのですが、相反する価値をどのようにバランスさせるかは、最後の微調整で決まるので、そのあたりが「適当」になってくる。

基本からすべて適当ということではないのです。

最後の最後、微調整レベルでもう感性に頼って決めるしかないところで「適当」なんです。


これがわからないと、大変な勘違いが起こります。
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