いつもの職場の教養からの引用です。
以下
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建築会社に勤めるSさんは、部下の教育に悩んでいました。
熱心に指導すればするほど部下の元気がなくなり、ギスギスとした雰囲気が部署内に広がります。
そのような折り、部下から突然移動願いが出されたのです。
理由の一端が自分にあることを聞かされ、愕然としました。
悩んだSさんは、自分をよく知る先輩に相談すると、次のような指摘を受けました。
「一所懸命仕事をしていることはわかる。君の言っていることも正しい。
けれど、部下をまったく評価せず、厳しい表情で延々と間違いを指摘したら
誰だって嫌になる。物事を伝えるには、明るさも必要だよ」
改めて自分を省みると、家庭内でも正しいことを言っているのに伝わらないことがあります。
<自分は正しい>という思いが強すぎて、相手を一切受け入れず、
全否定するような厳しい言葉になってしまうことに思い至りました。
翌朝から明るい言動を心がけ、責める心を捨てて部下の指導をするようになったSさん。
部署内の雰囲気は、その後少しずつ変わりつつあります。
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<自分は正しい>
確かに正しいのかもしれませんが、責め心が強すぎると良くないこともあるんですよね。
指導する側はただ指導するだけではなく相手をみるバランスが大切なんじゃないかと思います。
それを踏まえて・・・過度な指導・・・どのくらいが過度なのかですが
例えば甲子園優勝を目指そうというならそれへ向けての指導となると思います。
県大会出場が目標ならそれへ向けての指導・・・
一回戦突破が目標ならそれへ向けての指導・・・
目標が違えば監督の指導の厳しさも違う。選手の覚悟も違う。
大切なのは同じ方向をむいているかどうかってことなのかな~と思います。
仕事も似たようなものだと思います。
仕事への取り組む「考え方」にギャップがあれば「なんか違うな~」と思うわけです。
そこを指導する側は考えながらお互いにすりあわせていくことが大切なんじゃないかと。
山形県 米沢市 笹生歯科医院 副院長のKazuyoshiでした。
正しいことを言うときは