ささの子通信

温泉、人形遣い、ソフトバレー、育ジイ、B級グルメ?

甲斐善光寺 御開帳

2015-05-24 | 観光地
甲斐善光寺の御開帳へ行ってきました。
ニュースで観る信州善光寺は人出が凄いのですがこちらはそれほどでもないものの近くには停められず、かいてらすの駐車場を利用。




昇仙峡では岩の割れ目や隙間、今回も回向柱のひび割れにお金が刺さっていました。
なんで?
意味はあるの?

お参りをしてから、ボランティアガイドさんに解説をお願いしました。
スケッチブックを使った手作りの説明に感心。
覚えが悪いので右から左で申し訳ないですが後で調べたことも併せてざっと以下のようなこと。

甲斐善光寺は、武田信玄が、兵火での焼失をおそれて、長野の善光寺から、秘仏・お宝を移し、僧侶(大本願第三十七世鏡空上人)をお迎えしたのが寺の始まり。
甲斐善光寺の正式名は、「定額山浄智院善光寺」、創建は永禄元年(1558年)。
秘仏の阿弥陀如来像は、信玄の死後、徳川家康が、本家の長野善光寺へ戻した。
日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の区別なく宿願が可能な霊場で、女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性救済OKなお寺。

本尊は、銅造阿弥陀三尊像。
かつての本尊の前立像であったが、この本尊が信濃善光寺に再度移されるにあたって新しく本尊とされたと伝わる。
秘仏であるが平成9年(1997年)からは7年毎に開帳が行われる。

本堂(金堂)は当初永禄8年(1565年)に完成。
信濃善光寺のものとほぼ同じくらいの大きさであったが宝暦4年(1754年)の火災によって焼失。
現在の本堂は寛政8年(1796年)に再建されたもので山門と共に、重要文化財指定。
上から見るとT字となる撞木(しゅもく)造りの屋根が特徴的。
たとえにシュモクザメが出てきました、、、確かにT字。
宝物殿には、法然上人、源頼朝像、木造本田善光坐像、木造本田善光夫人坐像などが、安置されています。
現在、燈籠が展示されています。
中には燈籠仏という仏像が収められ、「願い事が叶うなら重くなってください」と念じて持ち上げると、願い事が叶う場合には重くなり、叶わない場合は軽くなるんだとか。。。
おっかない顔した小野小町像にはびっくり!

真っ暗闇な戒壇巡りも初体験。
極楽往生が約束される言われる錠前にも触ってきました。


霊牛碑の伝説:


江戸芝牛町に、大切に飼われていた牛が自ら小屋を出て、四谷口から甲州街道を一路ひた走り六月十八日坂垣村善光寺に到着し、金堂に参詣。
金堂の東側に駐まること七日間、八日目にようやく帰路につき江戸に帰った牛は、三十日ばかりして突然死。
その体には円光が輝いていた。
主人は、日頃信仰する阿弥陀如来様の再来かとねんごろに供養し、牛の角を寄進し一本の角はこの地に埋め五輪塔を建立して、信心深い牛の末代までの記念とし、もう一本は宝物館で一般に公開。 (案内板より抜粋)
え~~~的なお話・・・
秘仏が誕生から信州までやってくるまでの言われもひぇぇぇ~的。

もう紫陽花が咲き始めています。