いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

くぐらずにいきたい

2010年06月06日 | SO-Color

 草取りが嫌いなので1ヵ月前に夫に手伝ってもらい綺麗にしたばかりなのに、もうドクダミの花ざかり。
 よく見ると白い花といい、なかなか姿が良いしこれを乾燥して、どくだみ茶も出来るので、ドクダミは嫌いではないがはびこる凄さには閉口する。

 会報39号を娘の家に行く途中で立ち寄ってMTさんに届けようと思いながらもハプニングがあったため、お届けが遅くなってしまっていた。
 先日ようやく中山のMTさんを訪ねお届けしたが、ちょうどお夕飯の用意中の時間だった。その時のおかずの一つ、ハンバーグを頂いて帰った。ほの温かい密閉容器の中のハンバーグは、「今日テレビを見て作ったのよ」と言われた。トマトソースがたっぷりかかったとても健康的で、美味しいものだった。
 普通の味よりもトマトを煮て玉ねぎや人参もあわせてのソースはたっぷりとした量で、ソースと言うよりそれも一品ともなるくらいのそれは酸っぱ目で食欲を増した。

 

 ハプニング時より、食事もそこそこであり、その日も娘は食べて行ってよと、言っていたのにMTさんの家に立ち寄りたいので、夕暮れ時とはいえ向かうことにした。 

 ハプニング…、それは、あの優しく温かい手のひらに、もう決して触れることの出来なくなった「母との別れ」の体験だった。運命とは言え、人間として、…だけではなく生き物全てが避けることの出来ないゲート……。
 悔やまれるというのは、このゲートを通らなくても良いという道は無いらしいということなのだ。

 
あ~、母はもう12年も入退院を繰り返し、ついには介護施設と病院に入っては戻る、という生活から、ついに二度と帰らぬところに母は逝ってしまった。
 いつかはそうなるのよ、と、物言わぬながらも、態度で表現してくれていた母。米寿を迎える母をお祝いさせてもらえるか、卒寿を迎えることは出来るのかと、祈りをもっての希望は叶えられた。お陰さまで母は91歳を少し越えられ精一杯生きてきた姿を哀しいながらもみせてくれた。ありがとうございました。
 友達は、お母さんを亡くされた時に、この世にこんなにも哀しいことがあったのかと思ったと言う。そんなにも哀しいことなのだから、病に倒れたお母さんを悔いのないように看てさしあげなさいね…と、進言してくれていた。

  葬儀は家族・親族(血縁、姻族)だけに限り知らせたので、ほんの内輪での集まりとなった。だから身内だけの親しみと雰囲気で充ち溢れたなかで送ってあげることができた。
 ご近所にも、長くご無沙汰であって、お付き合いも出来なくなっていたし、親しかった母の友達もある程度のお年を召され、病気がちだったりなので失礼を承知で知らせることを止めにした。
 
 孫、曾孫の参列。初めての経験になる曾孫のお焼香は、後ろ姿に可愛さがにじんでいた。脇に立つママの真似をして恐る恐るお焼香をするその姿…きっと彼ら、彼女らの記憶としていつまでも残るだろう。
 死ぬと言うこと、別れるということ、この死という特別な別れの体験を通して、命の尊さを深く感じてくれるのだろう。

 四十九日まではお骨はこの家に居るのだ。後飾り(仮の仏壇飾り)を前に、朝な夕なにお参りするのだ。

 ふと…ショックを感じた川柳大会の時に出向いて知った歌を思い出した。
 “お前死んでも墓には行かぬ(?入れぬ) 骨を粉にして飲んでやる”……死んでいることを認めたく無い、たとえ認めても自分の身の内に入れて一生添って行きますよ。だから死なないでね…という事なんだと解釈するのに、時間がかかった。
 あまりの激しさでは、ないか!?
 あまりの悲しさでは、ないか?!
  ここまで言わなければ表せぬほどの愛の深さか情念か…あぁ…!!

 

※このページをご覧になった方々、皆さんへ
  お気持ちは嬉しく存じますが、どうぞ、御供香とか御供花等、固くご辞退申し上げておりますこと、 念のためここに書き添えさせて頂くことお許しくださいませ。