いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

第5回運営委員会と野球観戦

2010年09月06日 | SO-Color

 バス旅行「結城市方面」への検討もそろそろ詰めないとという心づもりもあって、委員6名がマリンスタジアムの BallPark Roomへ、Asadaさんの有難いご招待のおかげで、集合となった。

  

 千葉ロッテマリーンズ vs 北海道日本ハムファイターズの試合。

 ロッテは1回裏、福浦の適時打で先制。2回にも西岡が2点適時打を放つなど、4回までに5点を奪い主導権を握った。先発・コーリーは5回1失点で3勝目。その後は4人の継投で得点を与えなかった。敗れた日本ハムは10安打を放つも1得点と、好機にあと1本が出なかった。 5X:1 ロッテが勝った。

 球場の3F貴賓席。クーラーの中で試合観戦なのだが、バス旅行の話題もあり観戦に集中出来なかったね…との、感想もあったので心残りのある部分がファンとしてはあったに違いない。

  

 バス旅行の話題の最後に「ところで、記念パーティはなにをやるの?」との会長の発言に、戸惑った。なぜなら、この話題は2月19日第2回運営委員会の時にすでにどうする予定かを内容はどうするかを話していた。
 思いのほか総会をくっつけてやろうとの案が上った。「愉快に賑やかに楽しむ」部分の10周年記念パーティに、「総会」を付ける?…私は合点がいかなかった。ハテナマークが、その後の運営委員会での話題を登場させる度に大きくなって行った。何を考えているのか分からなくなっていて、中心でお世話するには気持ちがどうしても動かないまま、この9月に入った。 

 この文学散歩は1999.9.3に、山田先生のもとに開講した。
 そして二千和会となって自主運営に旗揚げしたのが、その年の12月3日である。記念すべき第1回は、全くの自分たちの手で行った自主的活動だった。2000年の4月8日(日)花曇りの雰囲気に溢れての「市川真間から江戸川沿いの散策」が記念すべき始まりとなった。

 国府の台駅~手古奈霊堂~弘法寺~商科大脇の桜~昼食・里見公園~野菊の墓文学碑・西蓮寺~矢切りの渡し~葛飾帝釈天(解散)

 目をつむると絵に浮かぶ情景だ。これを思い出しながら、会報を引っ張りだして確かめる作業。裏方を務めてその活動を、ある面では細部に及ぶ思い出に彩られる。

 


 そうして積み重ねた軌跡―「10年間の長き道程」を一緒に歩んできた友達と、振り返ってみようとの記念パーティだ。そのテーマだけで盛りだくさんだ、充分だと思うのは私だけなのだろうか?
 今までも、何度か節目と思われる時に、記念パーティをしようと持ちかけた。けれど会長は乗らなかったので、おとなしく会報の紙面だけのパーティ…過去を振り返る記事で埋め尽くして、「お祭り騒ぎ」に代えて皆さんの意識を誘っていた。

 会長の「それで何やるの?」の意味がやっと解けた。集まってお祝いの気持ちで楽しく食べたり飲んだり思い出話に花を咲かせたり…で一杯なのに、それにくっつけて「記念講演」または「記念旅行」そして、それが無いなら「総会」を付けて、会員の皆様に来ていただく…あぁ、「来ていただく」なんていう考えだから「何やるの?」は、人寄せのイベントを加味せねばと、思っていらっしゃるのだとわかった。

 これは「来ていただく」ものではない。「記念の節目」に、皆さんの懐かしみの心をひとつにして、ますますの親睦を高め、この集まりの意図するものとその方向性を各自が確認し合う…そんな場をつくるのに、委員会はお手伝いをしましょうとの、心の発露があるのみ、その他の何物でもない。
 記念パーティをやらねばならない…場を作ってあげるのが委員の義務ではないか?と、考えているのに、「水と油」 とても一緒くたには出来ない代物なのにそんな考えが潜んでいたのか?

 「水と油」で思い出したのは…マヨネーズ。酢の中に油が分散しているので、「水中油滴」型の食品で、水(酢)と油を仲良くさせているのが
 
 どうも、会長と会報編集長の私は水と油なのかも知れない。しかし卵の役割をしているのが、会報「いちよう」で、それがあるから、ゆるぎなく二千和会が存続しているのかも知れないと、密かに思ってしまった。
 まあ、どちらが油か水かははっきりとさせない方がよい。ある時はその役割が反転することだってあるのだから。そして、記念パーティと、総会も水と油。性格が全く違うものなのだ。判ってくれているのかな?

 あぁ、すっかり言ってしまった。野球観戦のあとでのコーヒーブレイクは、かなりブレイクしてしまったが、結論はその開催時期。結局煮詰め足りない部分、不消化な部分、不完全燃焼の部分があり、その辺りがすっきりするまでという考えも浮かび、来年の1月末~2月ごろが適当な頃だと、私も考えの焦点を定めた。
 初めての行事で、掴めないところが多々あるらしいとも思った。


温度差

2010年09月06日 | SO-Color

 「10周年記念パーティ」について、または「二千和会」に対して、どのように思っていらっしゃるのでしょうか…と、思います。

 ←Keiko T.画

 肩を並べてきたつもりの委員の方々の中にも、やはり温度差があるとご自身を診断なさっている。あっても仕方ないが、それを感じたら、何とか協力していかねば…と思って下さっているので、許される言葉と、笑っていられる。

 意志の疎通を図る機会が少ない全会員を押し並べて見渡すなら、確かにかなりの温度差があってしかるべきことではある。当然のことではある。
 人それぞれ、生きている姿勢・生き方、生かされている意識の有無、今の環境などにより、特に、趣味であり、生活と離れていて、それほどは濃厚に関わってはいない活動の選択には、それぞれに違って当たり前だと受け止めている。

 委員が頭を寄せ合って、次回の行き先やコース、その下見など準備をする時間、労力を考えてみると、「よくやっている…」と、委員は自己評価してもいいと思う。




 なるべくシビアな考えや目で見つめるようようにしてはいるが、皆さんはどのように思われているのであろうか。それぞれの自分の時間を割きながら、二千和会活動が潤滑に運営できるように委員それぞれが心をはらって歩んで来たのが現実だと思う。
 それを吹聴するつもりはないが、黙々と10年間をある面呆れられるかもしれない情熱で継続して来た。特に委員間にも温度差があると自己診断しながらも、活動の火が消えないよう、それぞれ努力して頑張ってきたと評価(自画自賛?)しても間違いはないと思っている。

 ボランティア精神で、活動するために自分を奮い立たせ、嬉々として事にあたっているんだと自分に思いこませたり、またある時は、委員同士で少しの楽しみと親睦をはかりながら、そして積極的に委員を支援する友が、歩調を同じに励まし合ってきたつもりだった。
 それを「温度差」という言葉で、一歩も二歩も下がったところで、立ち止まって「自分は別」という態度で眺めていて良いのだろうか?
 確かに企画しても、一会員の立場でなら自分の状況次第で「参加」「不参加」の態度を気楽に出される。自分が参加しなくても次回に行けば良いだろうと思って決定してしまうかも知れない。
 こういう場合は確かに運営委員と会員の立場は微妙に違うし、温度差は生じるのは致し方ないと、許容してしまえることなのだが。
 しかし、割り切れない気持ちが起き上がってくる。金銭的利益がある訳でもないこのようなボランティア活動は、常にお世話する幹部の情熱にかかっている。それが燃えて続いていくよう、願う。続くようにとの思いは、心身ともに健康でいればこそであり、そのようなの活動だと自覚しながら、進んで行くしかない。
 そこで、記念のパーティで、二千和会の心・忘れかけた初志を表現しながら、委員と会員の心もひとつになって、理想的に「歩んでいけるきっかけ」としてのパーティは、必要とも言えるし考えてもいいと思うのである。