いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

隅田川七福神めぐり

2011年01月09日 | 七福神めぐり

 

1月8日(土)は快晴
隅田川七福神めぐりをする。東武電車の鐘ヶ淵駅から出発。
まず、多聞寺に。
何をしげしげと御覧になっているかと言うと…
これは「映画人の碑」である。
新藤兼人さんの名前、あ…その横に音羽信子さんの名前がある。
新藤兼人の方は赤く字を染めてあるが、存命だから。
などなど…と。

この古い門構えの前で皆揃って記念写真をとりましょう!

  

はるか向こうにスカイツリーが見える。次は七福神ではないが、
木母寺へ。このお地蔵さまは身代わり地蔵と言う。

 

謡曲に取り上げられている梅若丸の像。母と子の悲しい物語。
「訪ね来て 問はは応へよ都鳥 隅田川原の露と消えぬと」
その母と梅若丸という子を祀ってあった。

 

陽だまりの暖かさで蝋梅が咲いていた。右は都営のマンションで、隅田川に沿ってずらりと続く。
このお天気の良い日にお昼時とぶつかると皆が一緒に
食事をとれないからと、少し早目に「天狗」和食レストランに座を占めた。

 
 

そちらのお席は食事が運ばれるのが早いですね…こちらは、うどん、そば、温かいの冷たいのと
注文が別れてしまって、膳が運ばれるのが遅くて、待ちぼうけ状態。

 

百花園では福禄寿が祀ってあります。今年初の紅梅が香っていた。
ここに、春の七草を展示。そして日本橋の「ギボシ」を頭に付けた石の支柱も園内に展示されていた。

少し端折って今日最後の三囲(みめぐり)神社。
ここには、故山田先生のお話がよみがえる。Ogawaさんが「温故知新を楽しみたい」
と、参加のお返事はがきに書いたと言うが、しみじみ昔を振り返る。

神社の裏庭に冨田木歩の句碑があったことが蘇る。

夢に見れは死もなつかしや冬木風

句碑の裏に「大正拾参年九月一日の一周忌に於て冨田木歩君慰霊の為建之 友人一同 亜浪書」

墨田公園の出入り口付近には
「冨田木歩 終焉の地」と書かれていた。
碑を読むと、向島に生まれた俳人木歩は非常に貧乏で、生まれてまもなく足も不自由となり、
女兄弟は遊郭に売られ、次々結核で死に別れながらも、俳句に目覚めていく。
…というような内容が書かれていた。最後、関東大震災の時に、枕橋が木造であったため焼け落ち、
逃げ遅れ、非業の死を遂げたと書かれていた。

 

ここの神社に三越のライオンが鎮座していたが、映画「ローマの休日」の
オードリーへプバーンが驚いたように、「ちょっと手をライオンの口に持って行ってよぉ~」と
仲間のお一人Yさんにお願いして パチリ!
え、顔も撮ったの?…ご本人は驚き、SOはお茶目に笑った。ごめんね~。

それから牛島神社に手を合わせて今日最後の集合写真。

 
 

アサヒビールのビル壁面にスカイツリーが映る。これも東京新名所となってしまった。