いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

足利学校へ

2009年07月04日 | 晴歩雨読夏

 前日までの雨が嘘のように晴れ渡っていました。そして、その翌日は雨。雨と雨の日の間を縫うように決めて、まるで神さまが私たちに微笑みを送ってくれたようなバスツアー当日でした。
  
  
  
 輝く日差しの中を一路栃木県足利市へ。バスは27人乗りで中型バスではありますが、高速料金は大型バスに適用されるとのこと。やはり快適な乗り心地と、適当な広さのある車内でした。
 バスの駐車場には今日のためAsadaさんが手配してお願いしていましたボランティアの方がお待ちくださっていました。歩道橋から見る足利学校の風景です。
  
 足利学校の創建について諸説があるそうです。①は平安初期小野篁説 ②鎌倉初期足利義兼説 ③室町中期上杉憲実説。
  
 上杉憲実の頃に足利学校の歴史がはっきりしてくるのですが、16世紀の初頭には生徒が3千人を数えるほどに、優秀な人材が集まったということです。その出身者には世に注目され後世に名を残すような人物が輩出されたということです。それ故にフランシス・コザビエルにより海外に紹介されてもいた有名な学校であったとのことでした。(凄いですね。)

   
   ウィキペディアから引用 「足利学校の教育の中心は儒学であったが、易学においても非常に高名であり、また兵学医学も教えた。戦国時代には、足利学校の出身者が易学等の実践的な学問を身に付け、戦国武将に仕えるということがしばしばあったという。学費は無料、学生は入学すると同時に僧籍に入った。学寮はなく、近在の民家に寄宿し、学校の敷地内で自分たちが食べるための菜園を営んでいた。構内には、菜園の他に薬草園も作られていた。」
 また、「足利氏居館跡である鑁阿寺(ばんなじ)」へもボランティアさんが、ついてきてくださったが、檀家では無い方にはご案内をお断りされているそうで、建物や参拝をする程度でした。

 ただこれを記入している私は、写真を撮ったりすること、周辺に目を向けることに偏り、折角ボランティアさんの意味深い説明を小耳にはさむ程度にしか受け取れずにいる立場を選んでいた自分を反省しています。


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