院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「メメントモリ」

2012年02月28日 21時03分26秒 | ノンジャンル
以前からそういうところはあったが、一昨年、父が亡くなってから

自分の「死」についておもうことが多くなりました。


明日死ぬかも・・と想像し、今を生きることを心がけるのが

その狙いというか。


こないだ対談番組で、ある女性放送作家が若くして結構厄介な

ガンを宣告されたときに、いままで精一杯走り続けてきたつもりだったけど

まだ旅行とかどこにも行ってないよ~という思いが沸き上がり泣けてきたと

話しているのを聞きました。


死の宣告を受けることをリアルに想像し、自分がそのとき何を思うか。

「まだ世界遺産を見ていない」とか「あれを食べてない」とか闘病記などで

よく聞きますが、自分の場合はどのような後悔というか心残りが湧き上がってくるのか

なかなか想像できないです。


「何々するまでは死ねない!」とかそういうのが出てくるんでしょうか?

出てこなそうに思いますが宣告されてみないと何とも言えないですね。


ただ、死の宣告を受けたら、奥さんの実家が水と空気のきれいな山奥なので

そこにお邪魔してのんびりすることにする、と前から決めていて

よくその話を奥さんにします。


だから1年くらいは仕事せずに暮らせる貯金は必要でしょうね。

死ぬとしたらそっちで死ぬでしょうし、死なずに生きちゃったら

また働けばいいでしょう。


死への本能的な恐怖はあるでしょうが、恐怖の多くは「自分は死なない気がする」

という明らかに間違った認識からくる妄想によるものではないでしょうか。

言葉や理屈ではわかっていてもどこかで自分は死なないと思ってるからこそ

死の宣告を受けてものすごいショックを受ける。


誰でも死ぬからね~


そりゃ、あんたも院長もいずれ死にますって。

早いか遅いかだって、感情抜きで考えればそんなに大した問題でもないでしょう。


そういうわけで、誰でもすぐ死ぬかもしれない。

明日死ぬなら、今日はつまらないことで怒るのはやめようとか

家族に優しくしようとか、雑務はすぐ済ませようとか、

今の瞬間をキチンと生きられるんじゃないかね?


将来への不安も過去への後悔も他人への不満も邪魔。

今をただ生きればいいし、それだけがやるべきこと。


明日死ぬかもしれないんだから。