80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

現在、文章修行中

2018年04月24日 07時04分41秒 | 考える
ベランダの鳩の鳴き声で目が覚めた。
午前5時10分。
窓の外はほんのり明るい曇り空。

暇もてあまし、ウヰスキーを一杯。
タバコ一本・・・一日の始まり。

パソコンを覗く。
私のブログを読んでくれる人がいる。

本当に有り難いことだ。

今、確たる目的を失い、新たな目的をまさぐっている私には
心ならずかも知れないが、強力な味方になってくれてる。


であれば、気の抜けた文章を投稿するのは失礼だと思う。
意味のある、短い文章を更新していく。
なかなか難しい作業だ。

若かりし頃、童話作家を夢見て、作家志望グループに入って
いたこともあった。
仲間がきちんとした文章を持ち寄る中で、私は1編の童話を
最後まで描き終えることが出来ずに終わってしまった。

その後、50余年になるか・・・?
当時のアイデアを完成することも出来ず、今に至っている。

考えてれば、私の拙い文章に何一つ手を加えることなく、黙って
掲載してくれる「ブログ」という発表場所は本当に有り難い。
大切にしていかなければと、改めて思う。

逆に、気の抜けた文章は読者に失礼だし、結果にすぐ出てくる。
とすれば、今の私に出来ることは、ひたすら、ただただ真剣に
書き綴っていくことだろうか。

現在、文章修行中・・・、ままならぬまでも、真剣に。

夜明けに、ふっとそんな事を考えた。


他人の優しさ、思いやりが怖い。

2018年04月22日 09時05分55秒 | 考える
4月19日(木) 曇り
考えてみれば、この所、毎日の行動が、ほとんど(?)他人任せに
なっている。
一体、これで良いのか?・・・という思い。
また、これも仕方がない、それもこれも自分の無知、無力のせい
だと落ち込む。
昼から晴れ間が見える。

O君に電話、・・・昨日の芝桜見学小旅行の礼を言う。

「もっと外出した方が健康に良いぞ。」との意見。

当にその通りだ!!
ふらふらと無意味な外出はしているのだが、もっとちゃんとした
目的ある行動が必要なのだろうと反省する。

老人とは、本来孤独な存在なのだろうと感じている。
人生、ずっと上手く流れていくばかりではない。
しかし考えてみると、意見してくれる友がいる。

結果として、ただただ、この川を流れ切るだけだ。


4月21日(土) 午前5時20分起床
晴れ、外はすでに明るい。

夜明けに思う。
未だに何も出来ない。
何も完成させられない。
コンプレックスとその裏返しだろう、何かを支配したいという
強い思い・・・・・。


行動に移らない言い訳を、無意識に、そして常に考えている。
曰く、無力、無駄、無意味、今さら、この歳になって、・・・。
すべてに自信がなくなってきている。
と、これも考えてみれば、単に言い訳なのだろう。

他人の優しさ、思いやりが怖い。
逆の立場を思ってみる。
形だけの、気持ちだけの思いやりなんぞ欲しくない。
行動だけのボランティアのほうがどれだけマシかと思う。


・・・と、これも又、やらない言い訳に過ぎない。
いい加減に気持ちを切り替えねばと思う。


芝桜見学

2018年04月20日 07時05分56秒 | 日記
4月15日(日) 
午前中いっぱい、たたきつけるような大雨、
吹き付ける強い風。

4月18日(水) 雨
喫茶店コメダに9:45着 4人席を確保。

10:30 3名到着
O君、Eさん、Sさん。
4人で、モーニングサービスを注文。

食後、O君の車に乗り、最初の目的地、石田牧場に向かう。

芝桜まつり
朝の雨のせいか、入り口が開いていない所が多い。
もう少し立ったら開けるのかも知れないが。

花の見頃をちょっと外したかも知れない。
・・・咲いた花に元気がない。
1週間ばかり遅れたかも?

15日の雨が降らねば、多分ちょうど良かったのだろうが。
少々残念だ。

ここ続いた雨のせいか、全体的に花びらがしおれていた。
しかし、こればっかりは致し方のない事だろう。
計画当初では予測できなかったことだ。

花が盛りであれば見応えのあるものだったろう。
人生 (少し、大袈裟か?) そうそううまくいくばかりではない。

石田牧場 売り物のアイスクリームを食べる。
これは、うまかった・・・!!


相模川に向かう。

相模川に到着して、車を降りる。
川に沿った土手を行き交う人の塊。
左手の土手は芝桜がいっぱいに咲いている。

相模川の芝桜
https://mwt-ec.com/sagamigawashibazakura/


左手に川を見ながらゆっくりと歩いていく。
大きな堰がある。

その手前で河原に降りる。
今度は芝桜の咲いた土手を左手に見て、広い河原を戻る。
土手の芝桜、所々に、ピンク、白、青、・・・花びらの
色の組み合わせで、船、鳥などを表現した部分がある。
地元の小学生や中学生の作品らしい。
見事なものだ。

さらに河原で、富士山と富士五湖を、芝桜で表現したものも
あり、これはなかなか見応えのあるものになっていた。

いずれ劣らず、時間と手間をかけた苦心の作であるのが分かる。
素晴らしいの一言。

さらに、相模川の大凧揚げ・・・。
http://www.e-sagamihara.com/nature/cultural-asset/0627_549b9883bf32e/index.html


河川敷に大凧の枠組みが二つ、並んでいる。
5月の本番に備えて準備中ということだろう。


いずれにせよ、私一人では、インターネットでチラ見することは
あっても、なかなかここまで足を運ぶことはない。
事実、何十年も近くに住み暮らしているのにもかかわらず、一度も
ここまで足を運んだことがない。

O 君に大感謝!!
ありがとう・・・!!


人生は個人の思い通りには進行してくれない。
人には厳しい現実も多いが、逆に思いも寄らぬ嬉しい現実が訪れること
もあるようだ。

神よ、仏よ

2018年04月17日 12時32分41秒 | 考える
神よ、仏よ

平成30年4月17日(火) 曇り

体力、気力、自分の存在理由、さらには存在価値・・・不明確。
自分の価値が分からぬままに生きていく苦痛。
贅沢な悩みだろうとは思う。


人はそれぞれに自分の生き方、考え方がある。
他人との生活、付き合いで自分の思い通りにいくことなどほとんど
ないと思うべきだ。

曇り空、今朝もまた、一人ウィスキーを飲む。
さらにタバコ、 ・・・何か無意味なことをやっている感じがする。


町を一人歩く。
神の名の下に、他人の心の領域に踏み込もうとする人間がいる。

彼らを、私は信ずることが出来ない。
しかしまた、彼らを完全否定することも出来ない。


私は偽善者なのだろうか?

私は、神仏より人間を信じたいと思っている。
もっとも、その人間たる自分自身が一番信じられていない。


常に求め、そして逃げようとしている。

この道を来た。
この道を行く。
この道以外、道はない。


しかし、また思う。
この道は、一体どこに続いているのだろうか?・・・と。
今の私には、全く見えてこない。

人間を、そして自分自身を信じ切ることのできない者が、今さら
神仏に頼ってどうするというのか?
それを「偽善者」と呼ぶのではないのか?
神仏が万能というなら、まずそれを私に信じさせて欲しい。

過去の、神、十字軍の異教徒殺害、
昨今のイスラム教徒 (?) のテロ行為、
他教の完全否定・・・。
・・・ここに宗教の限界が見えてくるような気がする。



人とは、もともと完全無欠の存在だ。
悟るとはその真実に目覚め、気が付いたというだけの話だろう。
悟りとは、真実に目覚め、真実を見つめる眼が開いたということな
のだ。
・・・と、どこかで、読んだか、聞いたかした気がする。


多分、[無門関]だったような。

植えてみよ、花の育たぬ里はなし 心からこそ身は癒やしけれ

自ら侮って、人これを侮る
あなたは他人に馬鹿にされたり、利口にされたりなされるのですか?

なるほど・・・、衆生 本来仏なのだ。
総ての存在はもともと完全無欠なのだ。
それを再発見、自覚するための座禅であり、また修行であったのだ。


カラス啼いて (その2)

2018年04月16日 06時58分21秒 | 考える
広場のカラスが啼いている。
広場のカラスに聴いてみる。
私が抱え込んだ自分の人生。
カラスでも良い、私の迷いにアドバイスがほしい。

今さらカラスのアドバイスに、何を期待している?
金か・・・、それともやり甲斐か?
いや、それ以前に、衰え始めた体力の回復か?

人間・・・、いや、私はいつも自分の価値を、
誰かに認めて欲しいと願っている。

そう、今後とも胸を張って生きていくために。

人は自分の行為に承認と励ましを必要としている。
それ無くして人は生きていけない。
ことに私のような老人にとっては、必要なことだ。
自分を否定されたら、老人は生きてはいけない。

充実した人生であったと言えるこの時間を望む。
まずは自分の生きていくスタイルを完成させたい。

それが、今後、総ての手始め。

お互いに、いや誰だろうと、第一歩を踏み出さねば、
絶対に目的地に辿り着くことなぞ、出来はしない。

今のまま、このまま、迷っていても仕方がない。
他人を頼ってばかりいても仕方がない。

さらに、他人とは付き合うほどに、アラが見えてくる。
私は、それら総てを許容できるほど寛容ではない。

しかし、この歳になって、仕事があるということは、
それだけで大層なことなのだ。
無くて当然・・・。


この所、行ったり来たり・・・。
ずっと、第一歩。
ほとんど足踏み状態で、前に進んでいかない。


今、何だか、総てが無意味な感じがしてならない。
一人暮らしが身についてしまったのか?
(実際は、弟と二人暮らしなのだが・・・。)

他人の優しさが怖い!!
他人に借りを作るのが怖い!!


私ごときが、他人のために生きてみたいなどと考えるのは
おかしいのか?
とは言え、他人の後ろ姿ばかり追いかけて生きていくのは
嫌だ!!


なら、どうしたらいいのか?
カラスは、知らん顔して何も答えない。