クラシックな音楽的生活

日々、家の中にヴァイオリンとピアノの音が流れています。

母校の礼拝へ

2016-03-15 | 日記

中学・高校時代を過ごした母校を訪ねるのは、実に20年以上ぶり。

大学時代とOL時代に、2、3度、友達と訪ねたことがありますが、それ以来。

最寄駅を降りるとすぐに、懐かしい校門が見えてきました。

正門はまた別にあって、駅から近いこちらの門が通学門となっていました。

かなり急な坂道になっているので、坂下門と呼ばれていて、

雪が降った翌日など、坂が凍結するとつるつる滑ってしまい、

なかなか上れなかったのを覚えています。

坂下門から続く細い道を真っ直ぐ進んで行くと、途中、中学校が見え、

さらに進むと高校の通学口の前に出ます。

歴史ある重厚な石造りの建物も、美麗な木枠の入り口も、何一つ当時と変わっていません。

こんなに素敵な高校で学ばせてもらっていたんだなぁ、

と遠い昔を思い、いまさらながら親に感謝の気持ちが湧いてきます。

さらにまっすぐ進んでいくと、正門前の広いロータリーに出ます。

高校の校舎を真ん中に、右手に講堂、左手に礼拝堂が位置しています。

とてもとても美しい光景です。

そしてここも、何一つ当時と変わっていません。

古き良きものが、そのままの姿で今も存在している。

そのことが本当に嬉しいです。

高校と礼拝堂、高校と講堂は、それぞれ渡り廊下でつながっています。

その渡り廊下もまた、窓から中庭を見ることができる素敵な空間です。

在学中は、この渡り廊下を歩いて礼拝堂に入ったものですが、

部外者である今は、勝手に校舎内には入れないので、正門側にある入口から入ります。

受付をして、いよいよ礼拝堂内部へ。

あぁ、この厳かな独特の空気。

よく知っています。

よく覚えています。

あぁ、この天井の高さ、彫刻が施された椅子、太い柱、何もかも記憶のままです。

前方、一番奥には厳かな祭壇。

そして大好きなパイプオルガン。

全て変わりません。

中学高校の6年間、ほぼ毎日、ここの独特な空気に包まれてきました。

何十年もたった今、また同じように包まれことができました。

そのことに感謝します。


ほんの一部分だけ。



礼拝堂です。


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下の娘の誕生日の日に

2016-03-14 | 下の娘ごと

昨日は下の娘の誕生日でしたが、ちょうど日曜日でもあったで、

家族4人で久しぶりに外出をしました。

4人揃って丸1日フリーなんてことはなかなかないのですが、

夫のオケ練習がこの週は土曜日だったことと、

上の娘が溺愛?している妹のために13日を1日フリーにしておいたことで、

実現しました。

娘たちの希望で、吉祥寺に行くことになりました。

吉祥寺と言えば、私が中学高校時代を過ごした思い出深い街。

学校帰り、当時のソニプラ(今はPLAZAかな?)やサーティーワン、マック、

シェーキーズなどによく立ち寄ったものです。

吉祥寺に行くのであれば、そこから2駅先にある母校にも行ってみたいな、

日曜日だし、もしかしたら主日礼拝をしているかもしれない!

と思い、母校のホームページを開いてみました。

すると、月に1度、日曜日の午前中に、卒業生や地域の方々を対象にした礼拝があり、

特に申し込む必要もなく自由に参加できるようです。

偶然にも、3月13日がまさに月に1度の主日礼拝の日でした。

これは行くしかない!と思いました。

まさに神様のお導きかもしれません。

娘たちは、私の母校に興味津々なので喜んでいました。

夫には、後から合流でもいいよ、と言ったのですが、彼も興味があったみたいで、

一緒に行くと言いました。



下の娘、誕生月2回目のディズニーです。

この日は、一番の仲良しSちゃんとランドの方へ。    

雨の予報でしたが、曇りとなり、ラッキーでした。

但し、とっても寒かったようです。

     


        

3月は、春のキャンパスデーパスポートがあるので、学生はお得に行けて良いですね。

シーの時もでしたが、ランドでも、キャストさんにハッピーバースデーシールを

作ってもらったので、行く先々で、たくさんのキャストさんに声を掛けてもらえ、

嬉しかったようです。

    


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18歳になりました

2016-03-13 | 下の娘ごと

3月13日は、下の娘の誕生日。

18歳になりました。

末っ子キャラで、小さい頃からみんなに可愛がられ、甘やかされながら成長して来ました。

中学生くらいまでは、繊細でナイーブなところがあり、ちょっと心配したりもしましたが、

E先生に出会ってから、ピアノを通して精神をビシバシ鍛えていただき、

徐々に強く逞しくなってきました。

温和な性格で、人との争いを好みません。

わりと誰とでも仲良くなれるタイプで、友達にもいつも恵まれています。

時々異次元の世界に行ってしまうことがあったりw、

頭の中が芸術寄りにかなり傾いているのを感じますが、

そこを除けばごくごく普通の女の子です、たぶん。

4月からは、いよいよ大学生。

少しずつ親離れしていくんだろうな。

寂しいです。


こちらのケーキ↓は、友達5人からのサプライズだそうです。

    

卒業演奏会の日、12手連弾の練習をすることになっていたのに、

2人から遅刻する~と連絡が。

先に4人で練習を始めていたところに、ハッピーバースデー♪の歌と共に、

ろうそくを立てたケーキを持った2人が登場!

娘がびっくりして喜ぶ姿もスマホで撮影。

私も見せてもらいましたが、仲の良さが伝わってくる素敵なサプライズでした。


こちらのケーキ↓は、今日、家族でお祝いした時のケーキ。








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卒業演奏会

2016-03-12 | 学校ごと

今日は、付属高校の「卒業演奏会」を聴きに行ってまいりました。

先日行われた卒業実技試験の成績から選ばれた上位5名が出演しました。

今年度は、ヴァイオリン1名、ピアノ2名、クラシックギター1名、フルート1名です。

クラシックギター専攻の生徒が卒業演奏会に選ばれたのはもしかしたら初めてかもしれません。

今年度の3年生は、優秀なクラシックギター専攻の生徒が複数いるのです。

クラシックギターの生演奏をじっくり聴いたのは、今回が初めて。

同じ弦楽器でも、ヴァイオリンのような大きな音や艶のある音は出ませんが、

どこか郷愁を誘うような、温かみを感じる音色で、彼の音楽性の高さが伝わってきました。

ピアノの1人は、下の娘も仲良くしている女子生徒で、

1、2年生の時には、声楽の試験で毎回伴奏をしてくれました。

彼女は男子並みに大きく重い音を出すことができます。

腕の重さを上手く使えているからなのでしょうね。

ピアノのもう一人は、付属高校に入学する前から、すでに名が知られていて、

「上手い」と誰もが認める男子生徒。

にもかかわらず、私はこれまで一度も彼の演奏を聴いたことがなかったのです。

卒業を目前にした今日、遅ればせながら初めて聴いたのでした。

噂に違わず、音がとても綺麗で、素晴らしい演奏でした。

旋律がしっかり浮き出ていました。

男子としては繊細な感じがしますが、私が好きな演奏スタイルなので、

これから機会があれば、ぜひ聴き続けて行きたいなと思いました。

トリを務めたのは、学生音コン全国大会1位、日本音コン第2位、有名国際コンクール上位入賞

という、高校生にして輝かしい経歴を持つヴァイオリン専攻の女子生徒です。

曲は、バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番

       Ⅰ.アルマンド  Ⅱ.クーラント  Ⅲ.サラバンド

    エルンスト シューベルト「魔王」による大奇想曲

いずれも圧巻でした。

すでに国際コンクールで結果を出しているわけですから、それも当然です。

超絶技巧曲の中でも超難曲と言われるエルンストのこの大奇想曲。

恐ろしい曲です。

ヴァイオリン1本で、なんと伴奏まで一緒にこなししてしまうのですから!

ありえない音の多さですよ。

もはや神業。

驚愕。

5人の、将来楽しみな素晴らしい才能に触れ、とても幸せな時間でした。

あー、もうほんとみんなすごいな!


先週末、たまたま家族4人が揃う時間があったので、

お正月以来久しぶりに夫の実家に行って来ました。

「おだふじ」のシュークリーム(1人2個ずつ!)に、マルセイバターサンドに、桜餅

をご馳走になりました。







そして、上の娘に成人のお祝い、下の娘に入学のお祝いを頂きました。

感謝の気持ちでいっぱいです。


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3月11日

2016-03-11 | 日記

5年前、私たち家族は上海に駐在していました。

5年前のこの日あの時間、夫は北京に出張中でした。

中3だった上の娘は、卒業を控えて授業はすべて終了、友達と遊びに出掛けていました。

中1だった下の娘は、スクールバスで学校から帰宅途中でした。

家にいた私は、何も知らずにのんきにママ友と電話でおしゃべりしていました。

すると、ママ友の携帯にご主人から電話が入り、ちょっと待っててと言われました。

数分後、ママ友が電話口に出て来た時には、

なんか日本が大変なことになっているみたいだよ。テレビをつけてみて。

と、少し緊迫した様子で言われました。

テレビをつけると、すぐに、恐ろしい光景が飛び込んできました。

地震発生の時刻とは1時間程時間差はあったかもしれません。

にわかには信じられない、あってはならない光景でした。

受話器を持ったまま、茫然としました。


阪神大震災の時は、シンガポールに駐在していました。

娘たちは、まだこの世に生を受けていませんでした。

あの頃は、まだインターネットも普及していなかったし、

テレビで日本語放送を見れるのは1週間に1度、わずか1時間だけでした。

そんなでしたから、あの大災害を知ったのは少し時間が経ってからでしたし、

変わり果てた神戸の街の映像を見たのは、さらに数日後の日本語放送上でした。

その時もやはり呆然としました。


どちらの大震災の時も、私は日本にいませんでした。

日本が、日本に住む人々が、自然の脅威に慄き、困難に立ち向かっている時、

日本にいませんでした。

東京にいても感じたであろう恐怖や不安が、そこにいなかった私には実感としてありません。

友達の体験談を聞いたり、ニュース番組の特集を見て、そこから感じること、考えることは

もちろんあるけれど、実体験のない私には何も言えない気がします。



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