札幌のクリスチャン鍼灸師

札幌市中央区山鼻地域、石山通沿い側で、脈診流による経絡治療専門の鍼灸院をしています。

障碍者として敗戦記念日に思う ヘレン・ケラー女史の功績

2019-08-14 23:59:59 | 時事ネタ・その他社会
視覚と聴覚との重複障害者であった、アメリカの社会福祉活動家のヘレン・ケラー女史。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%BC
いうまでもなく、日本の社会福祉に対しての功績は大です。
「ヘレン・ケラー協会」という様に、彼女の名が付いた福祉施設が存在するほどです。
http://www.thka.jp/
そこで、明日8月15日は敗戦記念日という事で、彼女について敗戦記念日と関連付けて書いてみようかと思いつつ、自分の言葉ではなかなか難しいので、
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n343/n343001.html
こちらのサイトから引用させていただきます。
 

第2次世界大戦後の1948(昭23)年には連合国軍(GHQ)総司令官マッカーサー元帥の主賓として再来日した。「幸福の青い鳥」「三重苦の聖女」として、2か月間にわたって各地で障害者施策や社会参加の必要性を唱えた。
当時のわが国では、身体障害者が約20万人、精神障害者が約4万人、らい患者が約2万人、視聴覚・難聴者が約38万人、結核患者が140万人と推計される(昭和24年5月:第5回国会本会議)。しかし、GHQは、身体障害者の多くは傷痍軍人など戦争に関わった人々だとして、その救済に関しては消極的だった。ヘレン・ケラーを迎えた国民の熱意がGHQや国会を動かし、ヘレン・ケラー帰国後の1948年12月に、GHQが障害者福祉法案作成のための第1回会議を招集している。
国会では幾度となく「福祉法設置」が議論され、1949(昭和24)年12月26日の第6次臨時国会で「身体障害者福祉法」が可決され、法案の提案理由としてヘレン・ケラーの功績を讃えている。岩橋やヘレン・ケラーが意図した盲人単独法ではなかったが、身体障害者福祉法は、わが国の障害者に対する初めての法律で、これによって障害のある人たちが法の下において社会参加の可能性が開かれたもので、障害のある人たちの戦後だと言える。

(↑以上、
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n343/n343001.html
から引用です。)
 
なお、次回触れる予定である、当時GHQが、鍼灸禁止令を出そうとしていた事ですが、ヘレン・ケラー女史の提言も影響してGHQが鍼灸治療を認めたという話も、聞いた事があります。
しかし、それに関して説得力有る資料がネット上には見られないため、今後それ相応の書籍をあたってみたいと思います。
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