札幌のクリスチャン鍼灸師

札幌市中央区山鼻地域、石山通沿い側で、脈診流による経絡治療専門の鍼灸院をしています。

修験道の事を少しは知ってみたいと思って

2019-08-29 11:14:45 | 仏教関係
修験道の事を少しは知ってみたいと思って、
「神と仏の間 (講談社学術文庫)」和歌森太郎(著)
を読んでみました。
もともと北海道は倭人が住んでいた地域ではないだけに、北海道で生まれ住んでいる自分としては、「山伏」に対してイメージが出来ず、読んでみました。
特に、明治以降の「神仏分離」により、今日仏教との関係を知りたかったというところでした。
一応山岳信仰という事から、真言宗と天台宗と何かしらの関連を今日もあるとは理解していますが、
この本だけでは、今一納得出来る内容とまではいかなかったというのが、正直な感想でした。
修験道に関して良さそうな本があれば、また読んでみたいです。
と、どうでもいい内容でしたが、最近ブログの更新がままならないので、ちょっと書いてみました。



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鍼灸師、鍼灸学生の方々へ 勉強会のお知らせ

2019-08-28 15:03:38 | 医療・健康
今回は、鍼灸師・鍼灸学生の方々に対してのお知らせです。
私が2013年から支部長を努める、脈診流による鍼灸である、経絡治療の研究会の「一般社団法人、東洋はり医学会、札幌支部」では、随時入会を受け付けています。
毎月の例会においても、聴講者を受け入れています。
鍼灸学校の学生の聴講も、歓迎します。
通常聴講料は2000円(鍼灸学校の学生は1000円)ですが、初めて聴講される方は、無料で聴講出来ます。
また、医師の方でも、入会に際して問題はありません。
原則として、第2日曜日と第5日曜日に、午前10時から午後4時まで行っています。
例会会場は、札幌市身体障害者福祉センター(西区二十四軒2条6丁目)
http://www.sapporoshinsyo.jp/html/guidance.html
あるいは、市内の区民センターなどで行っています。
次回は9月8日、札幌市身体障害者福祉センターで行います。
関心在る方は、メールや直接電話ででも私に聞いていただければ、詳しくお伝えしますので、どうぞよろしくお願いします。
TEL: 011-511-7576
Eメール:
shinqroom〈ここに@を入れてください〉cpost.plala.or.jp
ホームページ↓
http://www16.plala.or.jp/shinqroom/
東洋はり医学会札幌支部ホームページ↓
http://toyohari.web.fc2.com/reikai.html
共に私達と勉強してみませんか?



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韓国系キリスト教に関して、ちょっと小耳に挟んだ話

2019-08-19 19:19:19 | 宗教・カルト問題
韓国系キリスト教に関して、ちょっと小耳に挟んだ話です。
近年、初めて来日しようとする韓国人宣教師が、日本での滞在ビザ取得がスムーズにいかせる目的なのか、教会に直接、推薦状を依頼してくることがあるそうです。
教団ではなく、直接教会に、それも各個主義教会の教派の教会が多いかもしれません。
しかも、その教会を拠点にその教会と協力して宣教活動をするのではなく、独自の集会を持つつもりのようです。
近年、日本に入ってくる韓国系キリスト教異端やカルトの事が言われていますが、今後この様な方法もその一つで、日本に進出してくるかもしれません。
教会乗っ取りも言われますが、その事もありる売るでしょう。
少なくとも教会が、キリスト教異端やカルトの日本進出に加担するなんてことにならないためにも、超教派で対策を考えなければならないのかもしれませんね。




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鍼灸氏として敗戦記念日に思う 鍼灸存続運動と石川日出鶴丸博士の功績

2019-08-15 16:39:11 | 医療・健康
2013年のこの時期、私が所属する鍼灸の研究団体である、「東洋はり医学会」札幌支部の例会の際、朝礼での支部長挨拶で、「特定の政治思想・イデオロギー・歴史観に関して言うつもりはありませんが、敗戦記念日に向けて鍼灸師として頭の片隅にでも置いておいた方がいいかと思います。」と断った上で、お話したことです。それを少し纏めてみました。 
大東亜戦争といいますか、太平洋戦争といいますか、日本の敗戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、人の体にはりを刺す行為や、身体に火が付いたものを押し付けるような行為などは、医療でもなんでもなくそれは野蛮な行為で、科学的な根拠がないとして、鍼灸治療を医療とは認められないとし、鍼灸禁止令が出される恐れがあったと、聞いています。おそらく当時欧米では、東洋文化に対する理解が薄かったのでしょう。そこで視覚障害者が中心になって東京に集まるなどして、鍼灸の存続運動の動きが高まりました。そして今日鍼灸治療がこのように存続していることを思うと、おそらく当時は今日よりも鍼灸に対する一般大衆の方々の理解が大きかったこととともに、石川日出鶴丸(イシカワ・ヒデツルマル)る)博士の存在が大きかったということです。石川日出鶴丸博士について、私のうろ覚えな知識もなんですので、↓http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292↑こちらのサイトにあるものを引用させていただきます。 
(↓以下http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292からの引用です。)「
石川博士とはどんな人なのか、最初はわからなかった。よく聞くと、三重県立医学専門学校(県立大学医学部の前身、現在三重大学医学部)の校長・石川日出鶴丸(いしかわ・ひでつるまる)博士のことであった。京都帝国大学の名誉教授で、1944(昭和19)年に医学専門学校が設立された際、初代校長として迎えられた。博士は生理学が専門であったが、東洋医学の鍼灸(しんきゅう)治療にも関心をもち、医学専門学校に鍼灸療法科を設置していた。一方、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、日本占領政策の一つとして「医療改革」では鍼灸治療を問題視し、「鍼灸禁止令」が出される恐れもあったらしい。そんなとき、博士は「科学的な根拠さえ示せば存続が認められる。GHQからの取調べがあったら『津の石川に聞くように』答えてもらいたい」と学会でも声明されていたようである。鍼(はり)や灸を用いる治療を科学的に理論付ける自信があったというわけである。そして、実際に1947年7月1日、博士はGHQの三重軍政部に呼び出された。(中略。)軍政部に出頭した博士は鍼灸に関する15項目の質問書を手渡され、翌2日その回答書を読み上げると、軍政部担当軍医の態度が一変したという。博士の学識の深さがそうさせたのであろう。また、7月7日には軍政部で実技を披露した。担当軍医にも鍼(はり)を試み、好評を得たと同行した関係者は回想している。こうした博士のGHQとのやりとりの様子は、全国の関係者に伝わり、鍼灸存続運動として展開し、鍼灸治療が認められることになる。しかし、博士は、その存続運動の結果を見ることなく、10月24日脳溢血で倒れ、11月8日に69歳の生涯を閉じた。三重軍政部は、この博士の死を「月例報告」に取り上げ、GHQ本部に提出した。博士の略歴のほか、彼の遺体が解剖に付されことと医学専門学校で行われた葬儀に軍政部からも参列し「真の科学者であった。博士の夢を裏切ることのないよう」と弔辞したことが記されている。(中略。)周囲の東洋医学の専門家たちもその資料の発見に大変驚かれたようで、卒業論文だけでなく、専門雑誌『医道の日本』にも「占領下の鍼灸」として発表された。」
(↑以上、http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292からの引用終わり。) 
私が所属する経絡治療による鍼灸の研究団体である、「東洋はり医学会」の初代会長であられた、故福島弘道(フクシマ・コウドウ)先生は、本会の機関誌上で以前、石川日出鶴丸博士のその行跡を認めつつも、「博士は現代医学的にGHQを説得しざるをえなかったとはいえ、その後において、伝統鍼灸に対しての治療効果があまり省みられなくなった向きもある・・・・。」というようなことを書いていて、石川日出鶴丸博士に対して批判的だったように記憶しています。が、福島先生の言わんとすることはそれはそれとして、科学派鍼灸と、伝統的な鍼灸術である古典派との間に、無用な対立は極力避けたいと思うのが、私が常日頃思っていることです。なお、前回も触れましたが、この鍼灸存続運動に関して、ヘレン・ケラー女史の功績も大きいという話を聞いた事があります。
しかし、それに関して説得力有る資料がネット上には見られないため、今後それ相応の書籍をあたってみたいと思います。
ということで、敗戦記念日にあたり、鍼灸師として思うこととして、石川日出鶴丸博士について触れてみました。



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障碍者として敗戦記念日に思う ヘレン・ケラー女史の功績

2019-08-14 23:59:59 | 時事ネタ・その他社会
視覚と聴覚との重複障害者であった、アメリカの社会福祉活動家のヘレン・ケラー女史。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%BC
いうまでもなく、日本の社会福祉に対しての功績は大です。
「ヘレン・ケラー協会」という様に、彼女の名が付いた福祉施設が存在するほどです。
http://www.thka.jp/
そこで、明日8月15日は敗戦記念日という事で、彼女について敗戦記念日と関連付けて書いてみようかと思いつつ、自分の言葉ではなかなか難しいので、
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n343/n343001.html
こちらのサイトから引用させていただきます。
 

第2次世界大戦後の1948(昭23)年には連合国軍(GHQ)総司令官マッカーサー元帥の主賓として再来日した。「幸福の青い鳥」「三重苦の聖女」として、2か月間にわたって各地で障害者施策や社会参加の必要性を唱えた。
当時のわが国では、身体障害者が約20万人、精神障害者が約4万人、らい患者が約2万人、視聴覚・難聴者が約38万人、結核患者が140万人と推計される(昭和24年5月:第5回国会本会議)。しかし、GHQは、身体障害者の多くは傷痍軍人など戦争に関わった人々だとして、その救済に関しては消極的だった。ヘレン・ケラーを迎えた国民の熱意がGHQや国会を動かし、ヘレン・ケラー帰国後の1948年12月に、GHQが障害者福祉法案作成のための第1回会議を招集している。
国会では幾度となく「福祉法設置」が議論され、1949(昭和24)年12月26日の第6次臨時国会で「身体障害者福祉法」が可決され、法案の提案理由としてヘレン・ケラーの功績を讃えている。岩橋やヘレン・ケラーが意図した盲人単独法ではなかったが、身体障害者福祉法は、わが国の障害者に対する初めての法律で、これによって障害のある人たちが法の下において社会参加の可能性が開かれたもので、障害のある人たちの戦後だと言える。

(↑以上、
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n343/n343001.html
から引用です。)
 
なお、次回触れる予定である、当時GHQが、鍼灸禁止令を出そうとしていた事ですが、ヘレン・ケラー女史の提言も影響してGHQが鍼灸治療を認めたという話も、聞いた事があります。
しかし、それに関して説得力有る資料がネット上には見られないため、今後それ相応の書籍をあたってみたいと思います。
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