2010.10.25に「有名韓国人牧師に不倫・重婚の噂が・・・・・」↓
http://pub.ne.jp/shinqroom/?entry_id=3262112
また、2011.3.14に、東日本大震災にたいしての、「チョー・ヨンギ氏の発言」↓
http://pub.ne.jp/shinqroom/?entry_id=3537708
として書きました。
このチョー・ヨンギ牧師ですが、最近もTwitterでも少し触れましたが、以下の記事のようなことが言われてます。
朝鮮日報 「汝矣島純福音教会の牧師、背任容疑で在宅起訴 株式購入で157億ウォンの損害与えた疑い」↓
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/06/10/2013061001438.html
その他、これらについて触れている、幾つかのブログ記事を紹介しておきます。
まず、村上密牧師ブログから、
「チョー・ヨンギを起訴」↓
http://maranatha.exblog.jp/20640495/
「繁栄の神学の終焉」
http://maranatha.exblog.jp/20646743/
さらに、「チョー・ヨンギとベニー・ヒン」
http://maranatha.exblog.jp/20651806/
↑の中で、「↑「 チョー・ヨンギとベニー・ヒンが神輿ならば、担ぎ手は、関東の大川従道牧師と関西の村上好伸牧師の時代は終わった。」」とありますが、なんか分かるような気がします。
まぁ、私も大川氏と実際直接話をしたことがあるだけに、あまり悪くは言いたくないのですけどね。
それから、「随想・吉祥寺の森から」からですが、
「趙鏞基(チョ・ヨンギ) 巨額背任で刑事事件に」↓
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52478374.html
↑ここの↑コメント欄の書き込みが興味深いです。
ということで、今回関連するブログ記事を集めてみました。
にほんブログ村 キリスト教
黒沼一也のTwitter
![](http://ecnavi.jp.eimg.jp/contents/invite/img/bnr/bnr_120x60_3.gif)
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また、2011.3.14に、東日本大震災にたいしての、「チョー・ヨンギ氏の発言」↓
http://pub.ne.jp/shinqroom/?entry_id=3537708
として書きました。
このチョー・ヨンギ牧師ですが、最近もTwitterでも少し触れましたが、以下の記事のようなことが言われてます。
朝鮮日報 「汝矣島純福音教会の牧師、背任容疑で在宅起訴 株式購入で157億ウォンの損害与えた疑い」↓
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/06/10/2013061001438.html
その他、これらについて触れている、幾つかのブログ記事を紹介しておきます。
まず、村上密牧師ブログから、
「チョー・ヨンギを起訴」↓
http://maranatha.exblog.jp/20640495/
「繁栄の神学の終焉」
http://maranatha.exblog.jp/20646743/
さらに、「チョー・ヨンギとベニー・ヒン」
http://maranatha.exblog.jp/20651806/
↑の中で、「↑「 チョー・ヨンギとベニー・ヒンが神輿ならば、担ぎ手は、関東の大川従道牧師と関西の村上好伸牧師の時代は終わった。」」とありますが、なんか分かるような気がします。
まぁ、私も大川氏と実際直接話をしたことがあるだけに、あまり悪くは言いたくないのですけどね。
それから、「随想・吉祥寺の森から」からですが、
「趙鏞基(チョ・ヨンギ) 巨額背任で刑事事件に」↓
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52478374.html
↑ここの↑コメント欄の書き込みが興味深いです。
ということで、今回関連するブログ記事を集めてみました。
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まぁ僕も聖霊運動の影響を少なからず受けているだけに、お恥ずかしながら、10年以上前まではチョー・ヨンギを支持していたんですけどね。
これらの有名牧師が不祥事を起こして言われることとして、
「元々純粋に信仰熱心だったのに、有名になって思い上がって道を外した」
などということも、しばしば言われることがあります。
でも僕としては、多くの場合そうは思えないんですよね。
元々癒しなどなかったのに、嘘を言ったり集会でサクラを使っているとかとも、言われたりしてますからね。
当時は「教会成長論」が言われていただけに、自分も含め彼らの巧みな技に多くの人が惑わされてしまっていたと、僕は思ってます。
与えられた物に対しての感謝は当然すべきとは思いますが、
「クリスチャンは貧乏で苦しむ必要はない」
とか、貪欲はクリスチャンにとって罪とされているにも関わらず、彼らは貪欲どころの騒ぎではないんですよね。
「言ったら言ったとおりになる」とか、
「否定的なことを口にするのは不振工」だとかと、ビジネスでしばしば言われる、自己啓発セミナーとか、それに類する成功哲学に見られることが、聖句と結び付けられて、彼らはよく説教の中で言われます。
日本でもよく言われる「言霊」みたいなもので、ある意味ニューエイジ思想とも共通した教えです。
もちろん彼らもニューエイジを否定はしてますが、知ってか知らず課、彼らも何時の間にかニューエイジ思想に巻き込まれていると以前から私は思ってましたし、最近その指摘もよく見られます。
むしろ、祈るべきです
何が真実かは…主は既に御存知なのです
神を畏れて…互いに愛し合い…全てを神に委ねるのです
人は弱く、罪ある者です
互いに助け、愛し合うのです
愛は全ての罪を覆います
神は真実です
一見キリスト教的にもっともらしいのですが、これまでそのようにして多くの不祥事牧師やその信奉者が、自分達の犯罪を隠蔽しようとして、悔い改めもしないことが、よく言われます。
犯罪と罪はけしてイコールではありません。
ノンクリスチャンの犯罪者に対しても、あなたはそのように言ってあげられますか?
たとえば、オウム事件の犯罪者、特に浅原に対しても、そのように言って、彼らの犯罪を隠蔽しようとは思わないでしょう。
犯罪と罪をごっちゃにすることは、「味噌糞一緒」と、僕は考えます。
さて、韓国人はトラブルメーカーです。これは言わずと知れた事なので、特にキリスト教関係者は騙されているので、注意と言うか警告しておきます。
日本のほとんどのキリスト教に韓国人関係の教職がおり(バプ連しかり)、非常事態です。
何もチョーだけではないです。
これは国家単位の戦略の一環です。いわゆる「韓流」ブームと言われるもの。
従軍慰安婦しかり竹島しかり植民地しかり。
彼らはありもしないことをさも、あったかのように宣伝し、最近の行動は目に余る。
ワールドカップサッカーであの国は、世界中から非難されたにも拘らず、
今回のソチ五輪・フィギュアでも実証されたでしょう。最後にキムヨナが銀に落とされた(当たり前)。それに対しての言動。プーチンの運動会に呼ぶな、ですから。
何としても冬季五輪が欲しくて仕方ない。キムヨナには何としても金メダルが必要。だから、前回バンクーバー五輪で審判買収のインチキをしたのは事実。
すべて一枚岩です。あの国から来る物は受け入れてはなりません。
グラハムの「希望のフェスティバル」ですか。私の通っている旭川の教会は、セミナー実施会場になってしまいました。
いま、どの様に教会に対して質問状を突きつけるか、検討中です。
マリック
韓国に対する思い、僕としてもいろいろ思うことがありますが、ひとつ表現方法を間違えると民族差別になりかねないだけに慎重にならざるをえないのですが、そのように言いたくなるお気持ちは十分理解出来ます。
ただ僕としては言うべきことを言うのはいいとしても、勘定的になることだけは避けたい、そう思っています。
日本の教会においても、うちの教会もそうですが、牧師の説教をはじめ、何かと自虐史観に基づくような話を韓国人の前で用いることには、僕としても違和感を感じます。
歴史観なんてのは、立場が違えば変わってきて当然です。
連盟内の韓国人牧師ですが、牧師を招聘するのは教会ですから、難しいところですね。
ただ、形だけ連盟に所属しているだけの韓国人教会は、僕も問題だと思います。
「希望のフェスティバル」ですが、僕もあまり積極的に集まりに出席していないので、詳しくは分かりませんが、週報を読む限り、その後うちの教会が関わるような動きはなさそうです。
さて、ご存知かとは思いますが、チョーヨンギ事件の新しい動きがあり、簡単に書きたいとは思いつつ、何かとばたばたしていて、アップ出来ていません。
なるべく近いうちにアップしたいと思います。
わが国には戦後、大多数の朝鮮人が生活のためや商売のために定着し、「在日」として、商売上手な人達はその手腕と経済力を持って、メディアを含む多種多様な影響力を持つ存在となり、「東朝鮮」と揶揄されるような状態に、もう一方では「敗戦国」とされて米国の支配下になってしまい、「一億総懺悔」となり、何を言われても「はい、すいません」と、自主独立国家とは言いがたい状態になってしまったのです。
私自身もかつては学校教育(=共産主義的教育)を受けて、そして教会に行くようになり、ますます国の言うことに「反発」し「天皇制反対」「靖国反対」「日の丸・君が代反対」等など・・・・。そうするのが当たり前と思ってさえいたのです。学校教育にさえ、そう言う思想が浸透しているのですね。
これこそまさに「マインドコントロール」と言えるのではないでしょうか?
そして、主の喜ばれる歩みがしたいと福音派の教会に行くようになるとますます、枝葉末節の部分、イエス様なら「あなたの自由にしなさい」と言われるような事さえ、「律法主義的解釈と実行」により、ただでさえマイノリティのキリスト者であるのに、「あなたの隣人を愛しなさい」と言う御言葉の正反対を地で行く様な信仰生活を堂々と、しかも悪びれる事も無くしていました。「私が、教会が正しい」と。
本当に酷すぎます。哀れです。「目を覚ましていなさい」と言う主の御命令は、こういう事からではないのかと、今つくづく思っています。
また長くなりました。
マリック
われわれクリスチャンとしては、やはり相手を思いやる、場合によっては相手の痛みを分かち合うことも必要になるかと思います。
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(ローマ12:15)
えらそうですが、僕はそうありたいと思ってます。