2013年のこの時期、私が所属する鍼灸の研究団体である、「東洋はり医学会」札幌支部の例会の際、朝礼での支部長挨拶で、
「特定の政治思想・イデオロギー・歴史観に関して言うつもりはありませんが、敗戦記念日に向けて鍼灸師として頭の片隅にでも置いておいた方がいいかと思います。」
と断った上で、お話したことです。
それを少し纏めてみました。
大東亜戦争といいますか、太平洋戦争といいますか、日本の敗戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、人の体にはりを刺す行為や、身体に火が付いたものを押し付けるような行為などは、医療でもなんでもなくそれは野蛮な行為で、科学的な根拠がないとして、鍼灸治療を医療とは認められないとし、鍼灸禁止令が出される恐れがあったと、聞いています。
おそらく当時欧米では、東洋文化に対する理解が薄かったのでしょう。
そこで視覚障害者が中心になって東京に集まるなどして、鍼灸の存続運動の動きが高まりました。
そして今日鍼灸治療がこのように存続していることを思うと、おそらく当時は今日よりも鍼灸に対する一般大衆の方々の理解が大きかったこととともに、石川日出鶴丸(イシカワ・ヒデツルマル)る)博士の存在が大きかったということです。
石川日出鶴丸博士について、私のうろ覚えな知識もなんですので、
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292
こちらのサイトにあるものを引用させていただきます。
(↓以下
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292
からの引用です。)
「
石川博士とはどんな人なのか、最初はわからなかった。よく聞くと、三重県立医学専門学校(県立大学医学部の前身、現在三重大学医学部)の校長・石川日出鶴丸(いしかわ・ひでつるまる)博士のことであった。京都帝国大学の名誉教授で、1944(昭和19)年に医学専門学校が設立された際、初代校長として迎えられた。博士は生理学が専門であったが、東洋医学の鍼灸(しんきゅう)治療にも関心をもち、医学専門学校に鍼灸療法科を設置していた。
一方、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、日本占領政策の一つとして「医療改革」では鍼灸治療を問題視し、「鍼灸禁止令」が出される恐れもあったらしい。そんなとき、博士は「科学的な根拠さえ示せば存続が認められる。GHQからの取調べがあったら『津の石川に聞くように』答えてもらいたい」と学会でも声明されていたようである。鍼(はり)や灸を用いる治療を科学的に理論付ける自信があったというわけである。
そして、実際に1947年7月1日、博士はGHQの三重軍政部に呼び出された。
(中略。)
軍政部に出頭した博士は鍼灸に関する15項目の質問書を手渡され、翌2日その回答書を読み上げると、軍政部担当軍医の態度が一変したという。博士の学識の深さがそうさせたのであろう。また、7月7日には軍政部で実技を披露した。担当軍医にも鍼(はり)を試み、好評を得たと同行した関係者は回想している。
こうした博士のGHQとのやりとりの様子は、全国の関係者に伝わり、鍼灸存続運動として展開し、鍼灸治療が認められることになる。しかし、博士は、その存続運動の結果を見ることなく、10月24日脳溢血で倒れ、11月8日に69歳の生涯を閉じた。三重軍政部は、この博士の死を「月例報告」に取り上げ、GHQ本部に提出した。博士の略歴のほか、彼の遺体が解剖に付されことと医学専門学校で行われた葬儀に軍政部からも参列し「真の科学者であった。博士の夢を裏切ることのないよう」と弔辞したことが記されている。
(中略。)
周囲の東洋医学の専門家たちもその資料の発見に大変驚かれたようで、卒業論文だけでなく、専門雑誌『医道の日本』にも「占領下の鍼灸」として発表された。
」
(↑以上、
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292
からの引用終わり。)
私が所属する経絡治療による鍼灸の研究団体である、「東洋はり医学会」の初代会長であられた、故福島弘道(フクシマ・コウドウ)先生は、本会の機関誌上で以前、石川日出鶴丸博士のその行跡を認めつつも、
「博士は現代医学的にGHQを説得しざるをえなかったとはいえ、その後において、伝統鍼灸に対しての治療効果があまり省みられなくなった向きもある・・・・。」
というようなことを書いていて、石川日出鶴丸博士に対して批判的だったように記憶しています。
が、福島先生の言わんとすることはそれはそれとして、科学派鍼灸と、伝統的な鍼灸術である古典派との間に、無用な対立は極力避けたいと思うのが、私が常日頃思っていることです。
なお、2019年08月14日に触れましたが、
http://blog.livedoor.jp/shinqroom/archives/52505785.html
この鍼灸存続運動に関して、ヘレン・ケラー女史の功績も大きいという話を聞いた事があります。
しかし、それに関して説得力有る資料がネット上には見られないため、今後それ相応の書籍をあたってみたいと思います。
ということで、敗戦記念日にあたり、鍼灸師として思うこととして、石川日出鶴丸博士について触れてみました。
黒沼一也のTwitter
「特定の政治思想・イデオロギー・歴史観に関して言うつもりはありませんが、敗戦記念日に向けて鍼灸師として頭の片隅にでも置いておいた方がいいかと思います。」
と断った上で、お話したことです。
それを少し纏めてみました。
大東亜戦争といいますか、太平洋戦争といいますか、日本の敗戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、人の体にはりを刺す行為や、身体に火が付いたものを押し付けるような行為などは、医療でもなんでもなくそれは野蛮な行為で、科学的な根拠がないとして、鍼灸治療を医療とは認められないとし、鍼灸禁止令が出される恐れがあったと、聞いています。
おそらく当時欧米では、東洋文化に対する理解が薄かったのでしょう。
そこで視覚障害者が中心になって東京に集まるなどして、鍼灸の存続運動の動きが高まりました。
そして今日鍼灸治療がこのように存続していることを思うと、おそらく当時は今日よりも鍼灸に対する一般大衆の方々の理解が大きかったこととともに、石川日出鶴丸(イシカワ・ヒデツルマル)る)博士の存在が大きかったということです。
石川日出鶴丸博士について、私のうろ覚えな知識もなんですので、
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292
こちらのサイトにあるものを引用させていただきます。
(↓以下
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292
からの引用です。)
「
石川博士とはどんな人なのか、最初はわからなかった。よく聞くと、三重県立医学専門学校(県立大学医学部の前身、現在三重大学医学部)の校長・石川日出鶴丸(いしかわ・ひでつるまる)博士のことであった。京都帝国大学の名誉教授で、1944(昭和19)年に医学専門学校が設立された際、初代校長として迎えられた。博士は生理学が専門であったが、東洋医学の鍼灸(しんきゅう)治療にも関心をもち、医学専門学校に鍼灸療法科を設置していた。
一方、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、日本占領政策の一つとして「医療改革」では鍼灸治療を問題視し、「鍼灸禁止令」が出される恐れもあったらしい。そんなとき、博士は「科学的な根拠さえ示せば存続が認められる。GHQからの取調べがあったら『津の石川に聞くように』答えてもらいたい」と学会でも声明されていたようである。鍼(はり)や灸を用いる治療を科学的に理論付ける自信があったというわけである。
そして、実際に1947年7月1日、博士はGHQの三重軍政部に呼び出された。
(中略。)
軍政部に出頭した博士は鍼灸に関する15項目の質問書を手渡され、翌2日その回答書を読み上げると、軍政部担当軍医の態度が一変したという。博士の学識の深さがそうさせたのであろう。また、7月7日には軍政部で実技を披露した。担当軍医にも鍼(はり)を試み、好評を得たと同行した関係者は回想している。
こうした博士のGHQとのやりとりの様子は、全国の関係者に伝わり、鍼灸存続運動として展開し、鍼灸治療が認められることになる。しかし、博士は、その存続運動の結果を見ることなく、10月24日脳溢血で倒れ、11月8日に69歳の生涯を閉じた。三重軍政部は、この博士の死を「月例報告」に取り上げ、GHQ本部に提出した。博士の略歴のほか、彼の遺体が解剖に付されことと医学専門学校で行われた葬儀に軍政部からも参列し「真の科学者であった。博士の夢を裏切ることのないよう」と弔辞したことが記されている。
(中略。)
周囲の東洋医学の専門家たちもその資料の発見に大変驚かれたようで、卒業論文だけでなく、専門雑誌『医道の日本』にも「占領下の鍼灸」として発表された。
」
(↑以上、
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=292
からの引用終わり。)
私が所属する経絡治療による鍼灸の研究団体である、「東洋はり医学会」の初代会長であられた、故福島弘道(フクシマ・コウドウ)先生は、本会の機関誌上で以前、石川日出鶴丸博士のその行跡を認めつつも、
「博士は現代医学的にGHQを説得しざるをえなかったとはいえ、その後において、伝統鍼灸に対しての治療効果があまり省みられなくなった向きもある・・・・。」
というようなことを書いていて、石川日出鶴丸博士に対して批判的だったように記憶しています。
が、福島先生の言わんとすることはそれはそれとして、科学派鍼灸と、伝統的な鍼灸術である古典派との間に、無用な対立は極力避けたいと思うのが、私が常日頃思っていることです。
なお、2019年08月14日に触れましたが、
http://blog.livedoor.jp/shinqroom/archives/52505785.html
この鍼灸存続運動に関して、ヘレン・ケラー女史の功績も大きいという話を聞いた事があります。
しかし、それに関して説得力有る資料がネット上には見られないため、今後それ相応の書籍をあたってみたいと思います。
ということで、敗戦記念日にあたり、鍼灸師として思うこととして、石川日出鶴丸博士について触れてみました。
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