獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:FC2へ引越し後 (7)

2021-10-07 01:15:29 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■功徳もなければ罰もない         投稿日: 2012年1月28日

昨夜は素晴らしい若者と出会えました。といってもネット上のことではなく、リアルな世界でのことです。夜おそくまで気の置けない仲間たちと楽しくお酒を飲みながら語り合っていました。ミュージシャン、アーチスト、建築家、デザイナー、作家、映画監督…おおよそ芸術系の友人が多いですが、年齢も20代前半から60代までさまざまです。あんまり詳しく言うと素性がばれるので言いませんが、私は友人に恵まれて幸せだなとつくづく思います。昨夜も若い子が仕事上の悩みをみんなに相談して、それをみんなで考えながら率直にアドバイスしてくれる。それはそのアドバイス以上に、そうしてみんなで悩んでくれる場所がリアルにあるということのほうが、信頼できる仲間といっしょに前向きに生きていける力になるのだと思います。
私は創価学会の信仰をまったくやらなくなってからも何一つ悪いことはありません。あえて言うなら最近自分のブログに頭の弱そうな人格障害者が飛び込んできたことぐらいでしょうか(笑)。仕事もこんな慢性的な不景気の世の中にもかかわらずすこぶる順調で、黙っていてもどんどん仕事が舞い込んでくるし、家庭も気味が悪いくらい円満です(笑)。仕事とは別に、友人たちとの輪が広がり、すばらしいアートプロジェクトがいくつも進行中です。そうした活動を通じて世界的なアーチストや作家もたくさん友人にいます。さきほどもパリ在住のピアニストと私が主催するコンサートの打ち合わせをネットでしたところです。また明日は日本の誰もが知っている世界的な作家がアメリカから私のところにやってきます。考えてみたら創価学会に関すること以外は順風満帆で、多くの仲間に恵まれて、若い頃からやりたかったことをこうして仕事にできる自分は本当に幸せだと思います。もちろん仕事上でもプライベートでもさまざまな問題は起きますが、それはみんなで前向きに何かを生み出していくためのプロセスの中で起きてくる問題なので、とてもやりがいがありますし、みんなで乗り越えるたびに互いの信頼関係が深まっています。これは学会の信心をしてきたこととはまったく関係ありません。私は昨年の11月に勤行を全くしなくなってから、創価学会の信仰は功徳もなければ罰もないということもよくわかりました。むしろ自分の生活を創価の信仰に結びつける必要がなくなったので、ものごとがはっきり見えるようになって、いろんなことを躊躇なく推進できるようになりました。
前にも書きましたが、私は自分の中で創価学会の部分と創価学会とは関係ない部分をはっきり分けて生きてきました。そうしなければ芸術活動は成り立たないからです。私が自分のMCに気づいてから急激に学会の姿が見えてきたのは、そうしたスタンスで生きてきたからなんだろうなと思います。だから自分の中の創価学会の部分をバッサリ取り除けば、こんなに幸せ者はそうそういないんじゃないかと思うほどです。ただ残念ながら私は学会二世として自分の意志とは関係なくこの信仰を強いられてきたという現実があります。この現実に対してどうすればいいのかということを考えた末にこのブログを立ち上げました。
罰が恐くて学会を辞められないで悩んでいるみなさん。創価学会は宗教ではありません。功徳もなければ罰もないことはあきらかです。この信仰を保てば功徳がある、捨てれば地獄に堕ちる。それはそんな言葉で人々の信仰心を悪用して心を縛り上げ、金品や労働を搾取する卑劣なシステムです。またその中で生まれる利権に群がる外部のものたちも含めた巨大な詐欺集団です。何も怖がることはありません。単なる詐欺なのですから、躊躇せずに脱会するべきだと思います。多くの人々が功徳という甘い罠に騙されているだけです。私があえて脱会せずにいるのは、学会員の立場であるほうが学会の実態を社会に示すことができると判断したからです。形式上の脱会は簡単ですし、その後に組織から何を言われようが今までのように聞き流しておけばいいのですからね。でも私は自分のこれからの人生を考えたときに、自分にとって学会の存在を何もなかったかのように考えることができません。ですから手始めにこうしたネットを通じた情報交換をしていくなかで、学会の実態を多くの人に知っていただくことから始めようと思ったわけです。その後のリアルでの展開についてもいろいろとシミュレートしていますが、まずはこのネットでできることでより多くの方とのコミュニケーションを図っていきたいと考えています。一人でも多くの方が創価学会の実態や、それに関する思いをここに語っていただくことを願っています。どうかよろしくお願いします。
それからまだ懲りずに幼稚なカマってちゃんが出没しているようですが、相手にしないでください。あれは現代社会の病理のかけらですから、相手にするだけ時間の無駄です。リアルで相手にされない寂しさを紛らわそうとしているだけなので、相手にしない方が彼のためです。現実に向き合うことのできない自分の不甲斐なさをごまかしているだけですから、みなさんスルーしてください。よろしくお願いします。

●桃太郎(2012年1月28日 14:31)
シニィフィエさん お久しぶりです。
いやーなかなか大変でしたね。とても驚きました。私にはコメントできる「脳」も「才」もありませんから、コメントは控えさせていただきました。ハートは持っているつもりですが、弁論力がないのでご支援できなくてごめんなさい。お疲れさまでした。
(後略)

●愉快(2012年1月28日 15:42)
桃太郎さん、沙樹羅ちゃんはただの『性格神経症』のお子ちゃまです。

>これはただのお馬鹿な困ったちゃんの荒らしの学習教材にすぎませんから
ポチみたいにアンチのせいにして逃げ出したいのが見え見えだから釣ってやったら喜んで食いついたお馬鹿さん(笑)
沙樹羅ちゃんはポチ以上に目立つようになりたかっただけなんです。
変なHNも一生懸命考えたんでしょう(苦笑)
でも、ポチみたいに全てのアンチを敵に回しちゃいました
(後略)


●時がきたらいずれ名乗ります。(2012年1月28日 23:13)
見てられないので、一言。
荒らしは放置するなり、アク禁にしないと、見られないサイトになってしまいますよ。
突如出現した、一人の馬鹿荒らしのせいで、このサイトをめちゃくちゃにしたいのですか?
放置にするにしても、こういう馬鹿は暴れますので、断固たる処断を!


●愉快(2012年1月28日 23:20)
時がきたらいずれ名乗りますさん、最初に徹底的にやったほうがいいんですよ。この程度で気にしてどうするんです。

晒し者にした後で管理人さんが始末しますよ(笑)

シニィフィエさんは頭がいいから、大丈夫です。

じゃあ後は、あなたにおまかせしますのでよろしくお願いいたします。

 


解説
私は昨年の11月に勤行を全くしなくなってから、創価学会の信仰は功徳もなければ罰もないということもよくわかりました。むしろ自分の生活を創価の信仰に結びつける必要がなくなったので、ものごとがはっきり見えるようになって、いろんなことを躊躇なく推進できるようになりました。
……罰が恐くて学会を辞められないで悩んでいるみなさん。創価学会は宗教ではありません。功徳もなければ罰もないことはあきらかです。

記事自体は問題ないのですが、それに続くコメント欄で、例の沙樹羅さんについてだと思うのですが、参加者がそろって、シニフィエさんを擁護し、沙樹羅さんをボロクソにいいます。
沙樹羅自身の発言が削除されているので、詳細は分かりませんが、シニフィエさんにたて突く奴には何を言っても構わない、というような風潮が、このころすでに生まれていたようです。

獅子風蓮