獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:涼風さん登場 (1)

2021-10-10 01:49:45 | 対話ブログ

「ここ数日の荒らしの対応について」についたコメントのつづきです。


●涼風(2012年1月31日 03:08)
初めてコメントを書かせていただきます。
いつも、読ませていただいております。
お忙しい中での、充実した内容…本当に、ありがとうございます。

私は、学会2世です。
ここ近年、私の所属する組織幹部の“傍若無人”な態度がキッカケで、組織から離れています。
(内容を話すと、特定されていしまう恐れがあるので、割愛させてください。申し訳ございません)
最初は、何とか戻って、初心に帰って頑張ろうと思っていましたが、仕事の忙しさも理由にして未活動です。
そんな生命状態で、少しずつ、アンチ系のブログや、様々なブログを拝見している中で、このブログに辿り着きました。

このブログは、他のところよりも、本当に読みやすいです。
私の気持ちに近いところもあるのかも知れません。

…私は、大学時代から、学会活動に頑張ってきました。
折伏も、同級生を何十人もしました。一つも御本尊流布が出来ませんでしたが…。
そのことで悩むことが、活動の中では大半でした。
また、地元幹部にも、そのことだけ毎回のように指導されることが多かったです。
池田先生の指導を引用され、本幹同中を観ては、歓喜をして泣いたことも多々あります。
しかし、今現在も決まる事がなく…今では、外部友人がいないほどです。

成果を出している幹部からすれば、
「題目が足りない」
「相手のことを真剣に思い切っていない」
「そうやって、中途半端な決意だから、結果も出せないでいる」
等、言われるのが関の山です。

はっきり言って、題目は「2000万遍」は越えています。
幹部から言わせれば、数ではなく“質”なのでしょうが、足りないと言われれば唱えたし、“質”の向上にも真剣に努力してきました。
自分自身の中でも、題目しかないと思って祈っていましたし。
でも、これだけ唱えても、幹部からは「題目が足りない」とか「不信の心があるんだ」、「過去世の業が深いんだな」とか…そんな感じに言われれば、いつかは苦しくなってきます。

当初は、学会幹部で上にあがりたい。
某人材グループで、認められたい。
池田先生に勝利のご報告をしたい、等。
その思いもありました。
必死に戦ってきましたが、結局、成果が出せない人間は、認められないのです。

なぜ、信仰をしているのに、ここまで現実社会と同じで「成果ばかり求められるのか?」と。
成果が出せない人間は、上にあがれない。でも、成果を出して上にあがっても、はっきり言って、糞みたいな幹部は多くいる。
そんなことを考えていたら、そこに執着いている自分は、何のために信仰をしているのか、疑問がわきました。

そして、ある幹部の傍若無人な態度がキッカケで離れて、今に至ります。

長々と、申し訳ございませんでした。
こんな私でございます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

…ちなみに、職場では真面目に働いていることもあり、役職をいただいて、今も真剣に従事しております。
決して楽な仕事ではないですが、関わる方々のために、身を粉にして奮闘しております。

●SJ(2012年1月31日 09:10)
涼風さん、おはようございます。
初めまして、SJと申します。私も二世で非活、両親がバリ活です。
大変な思いをされましたね。成果主義は体質でしょうが、私も度が過ぎていると感じます。
質問してもよろしいですか?

涼風さんにとって、学会活動はどういう意味を持つものでしたか?
福運を積むためのものですか?それとも精神的なボランティア?

というのも、私は信仰の線上に活動があることに、ずっと違和感を抱いておりまして
さも活動が信仰であるように同一に語られることが、理解できなかったんです。

例えば、お坊さんが徳を積むと言いますよね。
宗門問題が起こったころ、創価新報で宗門を口汚く罵り叩く文章を書く、それを読んで共感する。
この時点で人としての徳は、積めるはずありませんよね。
しかし、学会流では功徳があり、福運が付いているんでしょう。普通に良識のある人なら混乱します。

全ての活動は、啓蒙・折伏・選挙など、強引さやしつこさで人としての徳を落としますが、
学会では、功徳や福運はどんどん積まれていくという設定を盛っています。
人生はRPGやファンタジーではありませんし、設定は設定です。設定からは何も生まれない。
この活動のどこに、人としてのステージを駆け上がる要素があるのか、ずっと分からないままです。

身内だと発狂して会話にならないので、組織にまだ近しい方に聞いてみたいと思っていました。
お答えいただければありがたいです。


●涼風(2012年1月31日 23:13)
Q 涼風さんにとって、学会活動はどういう意味を持つものでしたか? 福運を積むためのものですか?それとも精神的なボランティア?

A 僕にとっての学会活動は、自らを向上するための実践活動です。
自身の弱い精神や心を、強靱に鍛え上げるためのものだと。
福運を積むことでも確かにありますが、別に、そこに執着はしていませんでした(苦笑)
自分自身が強くなれば、自ずと幸福も掴めると思っています。

Q 私は信仰の線上に活動があることに、ずっと違和感を抱いておりまして
さも活動が信仰であるように同一に語られることが、理解できなかったんです。

A 正直、違和感を感じたことはありませんでした。
人間、一人ぼっちでは、いつしか惰性に流されてしまいます…まぁ、よほど一人でも大丈夫な心だったら別ですが。
「活動が信仰であるように同一に語られることが~…」と、思いが語られておりましたが。
何事にも、実践が不可欠であると、僕は思います。
マニュアル本を読んでも、実際に行動に移さなければ、体験にならないというか。

日々の勤行や唱題だけでも十分かも知れません。
あくまでも学会活動は、一人ぼっちでは惰性に流されやすい(目標や決意を見失いやすい)心を、修正する役割があると思います。
会合に出る事が、そのまま福運に変わるとは思いません。
ぶっちゃけ、最近の会合は、どこに出ても同じ内容しか話がでません。
別の会合に出ているはずなのに、幹部が話す内容は、すべて焼き回しばかりです(苦笑)はっきり言って、無能です。

「会合に出る事が大事」という幹部がいますが、それは「何故なのか」、その真意を理解していないで、単に数字ばかりを求める幹部が多すぎるのも現実です。
何で、本幹に出るの?
何で、座談会に出るの?
何で、部活に出るの?

参加してくれた人に対して、何かしらの決意や歓喜、悩みを克服するためのキッカケなど…。
そこを重点的に意識しながら、対話をするのが、本来、会合には必要なことです。
しかし、現実、そんなことを考えている人間は皆無ですね。
特に、ここ最近、名誉会長が各種会合に不在になって以降、会合の質は、ますます低下しています。
幹部の口から出る言葉は、いつも“檄を飛ばす”内容だったり、“師匠にお応えしよう”的な内容ばかりです。
一人ひとりの吟線にふれるような内容は、なくなりましたね。

Q 宗門問題が起こったころ、創価新報で宗門を口汚く罵り叩く文章を書く、それを読んで共感する。
この時点で人としての徳は、積めるはずありませんよね。
しかし、学会流では功徳があり、福運が付いているんでしょう。普通に良識のある人なら混乱します。

A 結局、日蓮大聖人の御書の中の一節にある言葉を引用して、その正当性を強調しています。
「功徳というのは、悪を滅するを功、善を生ずるを徳という」(主旨)
「法を破る者が目の前にいるのに、それを放っておくことは、仏法の中の仇」(主旨)
「いくら法華経を読んだり、書写しても、悪を放っておけば、無間地獄に落ちる」(主旨)
などなど、いくらでも出てきます。

これを全面に出してきて、仇なす者に対しては、徹底的に糾弾(この場合、破折(はしゃく)するという方が正しいかも知れません)することが、正義であると訴えるわけです。

ただ、これは学会内では正当性があるのかも知れませんが、世間一般では逆に良識がないと思われるかもですね。
現に、そのやり過ぎが、乙骨氏に対する名誉毀損裁判で、学会側が逆転敗訴しています。

宗教間同士の争いの次元で考えるならば。
学会側も宗門側も、お互いの正義を主張して、激しく罵り合っているのが現実でしょう。
声を止めれば、負けを認めることになる…ような勢いで。

●涼風(2012年1月31日 23:34)
Q 全ての活動は、啓蒙・折伏・選挙など、強引さやしつこさで人としての徳を落としますが、
学会では、功徳や福運はどんどん積まれていくという設定を盛っています。
人生はRPGやファンタジーではありませんし、設定は設定です。設定からは何も生まれない。
この活動のどこに、人としてのステージを駆け上がる要素があるのか、ずっと分からないままです。

A ようは、啓蒙や折伏、選挙での支援は、“精神闘争”に繋がるかもしれませんね。
平和活動とか、広宣流布とか言いますが…ようは、今の自分が向上していくためのツールなのかなと。
これに挑戦することは、かなり勇気のいることですので。
普通は、やりたくないのが本音でしょう。
ここに、功徳や福運はどんどん積まれていくという設定が隠されているのでしょう。
でも結局は、何かに挑戦した結果、自分が大きく成長したと思えば。

長々と申し訳ございませんでした。
支離滅裂な内容で、申し訳ございせん。

 


解説
真面目な非活会員である涼風さんが登場し、他の参加者からいろいろ質問を受けています。
涼風さんは、丁寧に答えていますね。

途中、howdoigettocarnegiehallという人が意味不明のコメントを差し込んできたので、シニフィエさんが切れて、厳しく対応しています。
長大な文章の爆弾を、これでもかこれでもかという風にぶつけたたため、howdoigettocarnegiehallさんは、ついに反論できずじまいでした。
切れた時のシニフィエさんの迫力はすごいですね。

獅子風蓮