獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (1)

2021-10-22 01:15:56 | 対話ブログ

なにをもって「荒らし」とするのかは分かりませんが、このころの対話ブログはコメントの承認制をとっておらず、すべてのコメントをそのまま拾う形のブログでしたので、さまざまな立場の人が思い思いのコメントをする中で、徐々に議論が非難合戦に変化していきます。
まさに荒れた状態です。
ついには、シニフィエさんも対処できず、放置されるようになります。
そうしてカオスとなり、ブログの休止にと向かいます。

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■そこそこ幹部のみなさんへ           投稿日: 2012年2月7日

池田名誉会長が人前に出なくなってもうすぐ2年になろうとしているのに、なぜかメッセージだけは次々と紹介され、昔の写真だけは大きく載せられ、あたかもイケダセンセイが元気なふうを装った聖教新聞がいつまでつづくんだろうと思います。そのことに対しておおっぴらに疑問をあらわさない会員。死に方や時期はベールに包まれているにせよ、自分たちの指導者は死んだと公表した北朝鮮のほうが、まだ先の事を考えていますよね。他人事ながら、いったいどうするつもりなのか心配です(笑)。
まあそんなことより、いずれ真実を知らされる何百万人という会員の心のケアが心配です。創価学会の真実が明らかになれば、世界的なニュースとして報道されるでしょうし、国家的な救済事業が必要なんじゃないかと本気で思います。なかには騙しとった財務を返せといったデモなんかも起こるのではないか。会館施設や聖教新聞販売店への暴動行為や、数えきれないほどの訴訟が起こるでしょうね。そう言う意味での国家レベルでの対策も必要になってくると思います。
そうなっても最高幹部は「知らなかった」を貫くでしょうが、間借りなりにも法治国家を標榜するこの国がそれで済むわけはありません。利害だけで結びついてきたマスコミ、企業、警察、法曹界、芸能界は言うに及ばず、学会が会員から吸い取ってきた巨万の財務のおこぼれをもらっていたにもかかわらず、ありとあらゆる団体がきっと手のひらを返すでしょう。いままで甘い汁をすい続けてきた彼らも死活問題ですから、何もなかったかのように、あるいは自分たちも被害者であるかのような顔をして、学会の不正を暴露してくるでしょうね。
そういう意味でも創価学会がたとえ崩壊したとしても、日本全体を混乱に陥れるのは目に見えています。こと利害に関してはおそろしく計算高い創価学会の幹部であれば、もういいかげん創価学会から手を引くのがおりこうさんなのではないでしょうか(笑)。創価学会のそこそこ幹部のみなさん、あなたがたはほんのちょっとのおこぼれで利用されているだけです。学会に実質的な危機が迫ってきても上の組織は誰も助けてはくれませんよ。これまでの彼らの言動を思い出せばわかるでしょう。そう思いませんか?そしてあなたがた(そこそこ幹部)自身、どうやって責任をとるつもりですか?池田名誉会長の存在を末端会員がおおっぴらに疑いだせば、それだけでとんでもない事態になると思いませんか。最高幹部はまちがいなくあなたがたにすべてを任せて知らぬ存ぜぬを通すでしょう。いちばんたいへんな目に遭うのはあなたがた「そこそこ幹部」なのです。逃げ場がありませんからね。あなたの下にいる組織の会員全員があなたに責任を追及しに来るとしら…その数と様子を思い浮かべてみてください。これは決して脅しで言っているのではありません。そこそこ学会の内情を知る現役創価学会員のひとりとして心配して言っているのです。池田名誉会長は今どうしているのかということをそこそこの幹部同士で話題にしないのかどうか。もししないのであればそれはなぜなのか。するのであればどんな内容なのか。そんなことすらわからないようでは幹部の資格はないでしょう。それこそあなたがたが利用されている事の証拠です。そこそこ幹部の皆さん、池田名誉会長の実態を知らされていないということ自体が、あなたが知らないうちに騙されて、とんでもない責任を負わされているということの証拠なのですよ。いちどそこそこ幹部の人たちと、そのあたりのことを話し合われてはいかがですか?まさにあなたがたの死活問題なのですから。そしてもしよかったら、その結果をここにリークしてくれませんか。それだけでもあなたがたの背負う罪は軽くなると思うのですがいかがでしょうか。


●ライアー回し(2012年2月7日 17:21)
ライアー回しです。
創価学会は会長を頂点とするヒエラルキー構造の組織です。
ヒエラルキーである以上、役職のランクが一つでも上であれば、その権限や行動範囲などにおいて、優位の立場にあるわけです。
このヒエラルキーという組織構造は、ほぼあらゆる組織体の基本をなしていることは間違いありません。
かつて創価学会はこのヒエラルキーがもたらす恩恵に大いにあずかってきたといえるでしょう。
なぜならトップダウンによる明確な指導体制、上意下達、そして下部組織による競い合いなど、拡大期においては、この体制のほか考えられないに違いありません。
しかし、時代は変わりました。
学会の右肩上がりの成長期はとっくの昔に終わっているにもかかわらず、ヒエラルキーの組織体系は全く見直されずにきました。
創価学会が硬直化し、上層部のエリート幹部職員の官僚化と腐敗を招いている最大の原因は、この旧態たるヒエラルキー構造を放置してきたにほかならないと思うのです。
宗教に役職による階級の必要はありません。
宗教に必要なものは、人間同士の温かな結びつきだけなのです。
創価学会には、現場においては、かろうじてこの温かな結びつきが存在しています。
これはある意味、奇跡的なことです。
この奇跡を無駄にしないためにも、創価学会はヒエラルキーに代わる、柔軟かつ多様性の価値をいかした組織の在り方について、衆知を集めて再構築していくことが求められていると思うのですが、皆さんいかがでしょうか。
内部改革を重視している方との対話を望んでいます。


●ココア(2012年2月7日 18:29)
ライアー回し様

>宗教に役職による階級の必要はありません。

『宗教団体』においてはそれが理想の姿なんでしょうが
創価学会はもはや単なる宗教団体ではありませんよね?
巨大な財力と政治力を保持した団体です。
下からひたすら吸い上げて利益還元はほんの一握りのエリート幹部内でのみ。
その一部の人たちからしたら下部の『組織を変えよう』という動きは不穏なものでしかないはずで
良くて無視、場合によっては実力行使もあるかもしれません。
人間同士の温かな結びつきを求めるならば、今の学会の中にいては苦しくなるだけのような気がします。

私が学生部だった頃、一度だけ元旦に学会本部に呼ばれ
名誉会長に新年の挨拶をすることを許されました。
すごかったです。
横20人ぐらいで縦にはずらーっとお目通りを許された人たちが列をなして座り
そのまん前には名誉会長が対座して座っています。
そして1列ごとに順番が来ておとそをもらって目の前の会長に『あけましておめでとうございます』と深々とお辞儀。
運がいい人(?)は会長から声をかけてもらいますが、それも一瞬。
せかされてあっという間に退場となります。それが延々と続くのです。
当時もびっくりしましたが、今思い出しても、とんだ将軍様だったなーと。
ああいう場に呼ばれたる側は側で『選ばれた人材』という意識がだんだん強くなってエリート意識が生まれるんでしょうね。
私はありがたいことに(?)しっかり脱落してしまいましたが(^^ゞ
そういえば帰り際、お年玉と称して数千円もらいました。あれもどなたかの財務やら新聞代やらから出てるんですよね・・・
中・高等部、学生部の間に電車賃と称したりして本部からお小遣いもらったこと何度かあります。


●ライアー回し(2012年2月7日 20:02)
ライアー回しです。
ココアさん、コメントをありがとうございます。

>創価学会はもはや単なる宗教団体ではありませんよね?
>巨大な財力と政治力を保持した団体です。

おっしゃる通りです。
創価学会は宗教団体という範疇を超え、経済や政治に大きな影響力をもつ団体になってしまいました。
しかもその影響力の行使は公に期するよりもむしろ保身、組織防衛のために使われていることはだれの目から見ても明らかでしょう。
とても残念に思えてなりません。
そうした事実を憂慮したシニフィエさんら、マインドコントロールから解放されたと認識する方々が、会員に学会をやめるよう促すことで、学会の勢力を小さくしていこうとされているのでしょう。
創価学会という組織の在り方に終始、疑念を抱いてきた私にもよく理解できる心情です。
それはそれで認めるべき行動ではあるのですが、私はあくまで内部改革にこだわる人間の一人です。

創価学会という巨大組織をよくも悪くもできたのは池田名誉会長だったことは言うまでもありませんが、名誉会長は残念ながら、あるべき宗教(組織)改革を断行できなかった、いやすることがなかったというのが私の認識です。
最初からするつもりがなかったのか、それともやろうとしたができなかったのか…それは知る由もありません。

名誉会長による海外における講演、識者との対談、毎年のSGI提言などで示される思想は素晴らしく、私はその思想に基づいた組織改革がいつかはされるものと、悲願にも似た期待を抱いてきました。
しかし、何十年経っても、その思想が実現されることはありませんでした。
シニフィエさんのように、だまされた、と思う人もいるでしょう。
私もダブルスタンダードに過ぎなかったのだなぁという思いがないわけではありません。
しかし、私は名誉会長が残した思想には、一縷の可能性を感じているのです。
虚飾の、ダブルスタンダードの思想ではあっても、その思想性が普遍性をもっているものであれば、使わない手はないではありませんか。
私はそこに賭けたいのです。
長くなりました。
具体的な改革の方向性についは、また改めて述べさせていただこうと思います。


●signifie(2012年2月7日 20:43)
(前略)

ライアー回しさん、コメントありがとうございます、
私としては内部改革というのは、改革すれば創価学会が宗教団体として存在価値のあるものになるという考え方だと思います。しかし私が当初から言っているのは「創価学会は宗教団体ではない」という前提ですから、改革も何もないのです。昔の創価学会が本来の宗教団体としての役割を担っていたという事であれば話は別ですが、もともとそうではなかったんだということに気がついてから、私は勤行・唱題をすっぱりとやめることができました。
たとえば現状の創価学会によってたいへんな被害を受けられた人に対して「どうもすみませんでした、創価学会は生まれ変わりました。過去の事は水に流してください」と言えるのかどうか。というかこれまでの被害に対して創価学会は損害賠償まで責任をもつ気があるのかどうか、実際に持てるのかどうか。これから創価学会の経理を完全に透明にできるのか、ということでもあります。これまでの創価学会の経理を白日の下に晒して、はたして会員がついてくるのかどうか。
ライアー回しさんは、50代の壮年部ということですが、学生運動の経験はありますでしょうか?私が大学に入学した頃は1977年ですので、学生運動が盛んだった私の大学でさえもすっかり下火で、ヘルメットや拡声器を抱えた学生がときどき力なく叫んでいましたが、まわりのほとんどの学生は聞く耳を持っていませんでした。彼らが何を信じ、どういう世界を夢見ていたのか、私には理解できませんでした。というか「あ、昔テレビで見たのとおんなじ格好をしてる?」ぐらいのことでした。彼らの、卒業してそこそこの有名企業に入り学生時代の武勇伝を銀座のホステスに語る哀れな姿を知っています。あの革命を夢見て戦っていたお前が銀座のクラブ通いとは驚いたね、といった感じです。革命の戦士は、あっという間に企業戦士と早変わりして、日本経済がここまで発展したのも私たちのおかげだと信じています。そして定年退職して会社を追われたときに、自分は単なる歯車でしかなかった、自分の代わりはいくらでもいたことにはじめて気づくのです。熟年離婚のあげくバックパッカーで世界を旅しながらこの歳になって自分探しです。いま日本中に増えているあわれな団塊の世代です。

>宗教に役職による階級の必要はありません。
>宗教に必要なものは、人間同士の温かな結びつきだけなのです。

ライアー回しさんのこの言葉は、創価学会が宗教であるという大前提で話されています。なんだか学生運動華やかな革命家の言葉に聞こえます。もちろん当時の革命家は宗教ははなから否定しますが。それでは創価学会が宗教であることの根拠がどこにあるのでしょう。宗教法人だからでしょうか。日蓮仏法を標榜しているからでしょうか。それは宗教団体であることが会員を納得させるための手段ではないのでしょうか。

学会の組織の構造がどうであれ、その前に創価学会が宗教団体であることの必然性をその活動から導く事ができるとは思えません。日蓮仏法の教義や信仰形態は人を疑う事をしらない人の純粋な心の隙間に入り込むための手段ではなかったでしょうか。座談会は高度経済成長の裏側で隅に追いやられ疎外されてきた弱者に忍び寄る甘いささやきだったと思います。時代が失いかけてきた人々の身近なつながりを巧みに利用した洗脳強化のシステムであったと、今だからこそ見えてきます。こうした組織的な戦略によって、自分で考える事を放棄してきた末端会員に「今までは間違いでした。これからは心をいれかえて創価学会をすばらしい宗教団体にしていきましょう」と誰が言えるのでしょう。
創価学会の内部改革。それはこれまでの創価学会がやってきたことのすべてを社会にさらけだし、それでも社会がこれからの創価学会の存在価値を認め、その可能性に期待するのであれば話は別ですが、たとえばライアー回しさんが創価学会のこれまでのすべてを引き受ける気概がありますか?
私は創価学会の内部改革をめざし、これに賛同する同志を募ります。いっしょに創価学会を立て直し、人間同士のあたたかな結びつきによって悩める人々を救っていきましょう。まずは不透明だったこれまでの経理をすべて透明化します。宗教法人といえどもこれだけの規模の組織、とくに財務の透明性は当然求められます。会員からいただいたこれまでの財務の使途すべてを公表します。もちろんこれからは財務のシステム自体を見直します。聖教新聞をはじめとした出版物等のすべての経理も明らかにし、すべての経理について第三者による監査委員会を設置します。組織の公平な運営のシステムを再構築します。各地の拠点会館の運営に関しても、常に誰でも確認できるようなシステムに変えます。自分の意志で創価学会の会員になっているかどうかを再調査し、引き続き入会の意思が確認できた人だけを会員として登録します。これまでのご本尊はすべて回収し、新たに会員として登録された方だけに無料で貸与します。その際、ご本尊の出処も明確にします。それ以外の人には勧誘行為等いっさいいたしません。公明党との関係を清算します。会員に対して政治活動を促す事を禁止します。学会出版物の購入を強制しません。他にもノルマを強制しません。子供たちには会員登録を行いません。成人して自主的に会員になる意思を確認してからの入会とします。一方的な折伏行為は禁止します。学会の教学内容を一から見直し、一般の仏教学会との連携をするなかで伝統的な日蓮正宗の仏法と照らし合わせて偏りがないか精査し、新たに創価学会としての教学体系を再構築します。これまで創価学会によって被害を受けてこられた方に対しての救済の窓口をつくります。訴訟問題の受け皿になる窓口をつくります。
……ちょっと考えただけでもこんなことがぞろぞろと出てきます。こんなことやるくらいなら、あらたな団体を立ち上げた方がいいのではないでしょうか。それも団体を作る必要があればの話ですが。
ちょっと意地悪な言い方になったかもしれませんが、他意はありませんのでお許しください。それだけ創価学会がやってきたことの罪は大きいし、取り返しのつかないものだということを言いたいのです。創価学会を改革するには、これまでのことを清算できる見通しがなければできないことだと思います。ライアー回しさん、あなたのこれからの人生のすべてをこのようなことに賭ける気概があるのであればどうぞというところです。私はおそらく私が死ぬまでに創価問題は解決しないと思います。それはオウムがあれだけのことをしておきながら教団として存続しているのと同じようなものです。オウム真理教はまだ宗教に近い。学会は違う。宗教を利用した○○集団です。○○集団を改革しても宗教にはならないと私は思います。


解説
ライアー回しさんの主張に、私は共感を持ちました。

宗教に役職による階級の必要はありません。
宗教に必要なものは、人間同士の温かな結びつきだけなのです。
創価学会には、現場においては、かろうじてこの温かな結びつきが存在しています。
これはある意味、奇跡的なことです。
この奇跡を無駄にしないためにも、創価学会はヒエラルキーに代わる、柔軟かつ多様性の価値をいかした組織の在り方について、衆知を集めて再構築していくことが求められていると思うのですが、皆さんいかがでしょうか。

名誉会長による海外における講演、識者との対談、毎年のSGI提言などで示される思想は素晴らしく、私はその思想に基づいた組織改革がいつかはされるものと、悲願にも似た期待を抱いてきました。
しかし、何十年経っても、その思想が実現されることはありませんでした。
シニフィエさんのように、だまされた、と思う人もいるでしょう。
私もダブルスタンダードに過ぎなかったのだなぁという思いがないわけではありません。
しかし、私は名誉会長が残した思想には、一縷の可能性を感じているのです。
虚飾の、ダブルスタンダードの思想ではあっても、その思想性が普遍性をもっているものであれば、使わない手はないではありませんか。
私はそこに賭けたいのです。

これに対して、シニフィエさんの返事は、そっけないものです。

創価学会を改革するには、これまでのことを清算できる見通しがなければできないことだと思います。ライアー回しさん、あなたのこれからの人生のすべてをこのようなことに賭ける気概があるのであればどうぞというところです。私はおそらく私が死ぬまでに創価問題は解決しないと思います。それはオウムがあれだけのことをしておきながら教団として存続しているのと同じようなものです。オウム真理教はまだ宗教に近い。学会は違う。宗教を利用した○○集団です。○○集団を改革しても宗教にはならないと私は思います。

シニフィエさんは、創価学会が自己改革できるはずないし、そんなことを期待するのは間違っているといいたいようです。ちなみに、このころはまだシニフィエさんも発言に慎重で「詐欺集団」と書くところを「○○集団」とぼかしていますね。

獅子風蓮