獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (4)

2021-10-25 01:25:42 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■しばらく休みます          投稿日: 2012年2月8日

ほんとうにみなさんのおっしゃることは、それぞれにもっともな話です。もっともな話だけに自分が正しいと主張する。主張するのはいいが他者を認めない。私たちが声を届けようとしているのは創価学会員ではなかったでしょうか。そこで私の考えをもう一度整理して述べておきます。
1. 私は愉快さんも、もも(ら)さんも荒しとは思っていない。
2. 私は愉快さんにも、もも(ら)さんにも、これからもこのブログでコメントをいただきたい。
3. 私は愉快さんも、もも(ら)さんも、ここでの荒らしへの接し方に行き過ぎと思われるところがあったので謹んでほしかった。
4. 愉快さんはしばらく訪れなかったし、もも(ら)さんはこのことに関して謝罪された。
5. しかしここを訪れる他の方から、もともと表現が適切でない、不愉快との指摘が複数あった。
6. 私もそれに関しては同意した。不愉快な気持ちもわかる。
7. それでおそらくもも(ら)さんは自分(ら)のことを荒らしと決めつけられたと思い去った。
8. それから私が尊敬している希望さんまで非難される事態になった。
9. 愉快さんが現れ、自分がアク禁になるから収まらないものかとの打診があった。
10. 管理人としての自分の考えは述べた。
11. それでも他の方の気がすまない。
12. 管理人は途方に暮れる。
13. 自分と違う他者を認めることから対話がはじまるとはじめから言ってきた。
14. ブログの論点が本来あるべき創価学会の問題から大きくずれてきた。
15. なんだかバカみたいと思いだす。
16. しばらく休みます。
ということで、いろいろ異論はあるでしょうが、
このまま続けても気持ちが悪いだけです。
「対話を求めて」はしばらく休みます。
しばらくがどれくらいかはわかりません。
再開が三日後なのか一年後なのか。
「せっかくここまで…」とか言わないでください。
私が一番思っています。
一日のアクセス数が3600を超えるまでになりました。
そこにこの醜態です。
いい笑いものです。
べつに諦めたわけではありません。正直言って気分が悪い。
「気分でやっていたのか…」という非難もあるでしょう。
べつにいいです。勝手に思っててください。
自分の意見を通すために他者を排除するようなところに対話はありません。
きっと創価学会側は胸をなでおろしているでしょう。
これは組織の策略かもしれません。
でもそんなことどうでもいいんです。
もう私の手に負えない。
手に負えない私の力なさです。
ブログの閉鎖はしません。
コメントも自由です。
ただし管理はしません。
好き放題コメントしてください。
荒れてもいいです。現実を見てください。
現実はきれいごとではありません。
私たちは怪物を相手にしてきました。
そのことを忘れないでほしい。


●アレックス(2012年2月8日 22:28)
シニフィエさん、これが掲示板の現実なのです。
もう分かったと思いますが、いつかは手に負えなくなるのです。

しばし放置・様子見も大事かも知れません。
私もそろそろ休もうと思っていましたので、私もしばしお休みにします。


●小路(2012年2月8日 22:46)
創価学会を糾弾するブログが、どうして学会員ではない二人の荒らしの言動に振り回されるんですか。
あんなくだらない事にふりまわされてどうするんですか?
又そこそこ活動するふりをして小さな会合にでて笑顔ふりまくんですか?
組織の策略なんかじゃありません。末端の話題にもなっていません。

先の書き込みで言いました。全部自分の責任なんですよ。私も同じ、貴方も同じ。
他人のせいにしてきたから何十年も変わらないんです。
このままでは何教をやっても同じ。

良いですか、みなさん!生まれたときから入会させられていたとか、子供のときから学会員だったとか(私もそうです。)
止め様と思えばいつでも止めれたんです。日本では信仰は自由なのです。
日本では宗旨変えをして殺された例はそう多くないはずです。
何百年にわたった宗教戦争を見てください。諸外国では命を落とすことなど当たり前でした。
殉教こそ最高と喜び死んでいった人は山ほどいる。
日本は違う!止めなかった自分が悪い!!
みなさん!頑張りましょう!!
過去の財務を創価学会関連者の恐喝だったと告訴できる方いらっしゃいますか?
その時は、よかれと思って払ったんでしょう。
お買い得だと思って買ったんでしょう。スケベ心あったでしょう。
幸せへの投資だと思ってたんでしょう!!違いますか!!
人を攻める前に自分の目を、欲を、愚かさを恥じましょう。

いいですか、やり直すって決めれるのは自分自身です。
逃げてちゃ一生繰り返しだ。
創価学会の指導者や幹部に人を洗脳する力なんかあるわけないです。
みんな自分で自分を洗脳しているんです。


●涼風(2012年2月8日 23:11)
管理人 様

正直、ここ最近は、つまらないことばかりと思っていました…。
真の対話が成立しないことばかりで。
せっかく充実した内容を書いてくださる一部の方々も、やはり、一部の方々によって乱される…。
でも、これがネットワーク世界での対話の限界かと思われます。

綺麗事をいくら並べても、仕方ないです。

結局、ここのblogでは(私も同様ですが)愚痴や不平不満、脱会者の体験談しか語れない。
それが「創価学会の真実」と、公言するつもりだったのでしょうが。
じゃあ、その先には、何を目指すのかが不鮮明だと思っていました。
共感や勉強が出来ても、その先は勝手に生きてね…時が解決するよ…では、何のための対話なのか、と。

だから最近は、コメントを控えていました。
創価学会の真実を暴く覚悟なら、休まずに続けるべきです!
その方針に沿わないコメントは、ひたすら削除しながらでも。
まぁ…その段階で、もはや「対話」にはならないでしょうが…。
大義名分を定め直して、再出発を希望します!


●宇和島(2012年2月9日 00:03)
このブログはすぐに終わるだろう…
とROMしていました。
私は反学会ですが、
管理人のやり方に問題がたくさんありました。

青い青い
ネット社会を何もわかっちゃいない

まあこの程度でしょうね。
他のブログの足下にも及ばない。

もうブログ運営など辞めて
普通の反学会員として存在すればいい
10000人の証言を目指すなどの
自分が書いた大構想が
とても恥ずかしい形として残る
その恥を晒し続けるなら
閉鎖した方がいいよ


●kan(2012年2月9日 00:26)
こんばんは^^
いろいろとお疲れさまでした。m( _ _)m
大変でしたね。。。

>きっと創価学会側は胸をなでおろしているでしょう。

いや、案外そうでもないかもしれません。
今や、池田創価の不正・理不尽・汚辱などなど、具体的に書き表してるブログも多いですし
実名を上げての不祥事を暴露してる書籍も出ています。

それでも世論が高まることもないし、マスメディアも一切報じない。・・・・これは普通ではありません。おかしいです。。。
つまり池田創価は、権力と財力で・それだけの根回しができる巨大カルトなのです。
アンチが多い中で、そんな一つのブログが生まれようと消えようと、さほど気にはしていないと思います。

取るに足らないような小さなブログ・・・いくら真実を叫んでても、これは巨大カルトにすれば、どうってことはない。
過去、言論問題の時も世論やマスコミを巻き込んだが、傷を引きづらず・上手く丸めて池田創価はある意味向上した。
過去、国税の追求も政党の力を駆使して、上手く逃れてる。
政界や法曹界や様々な分野に、すでに根を張り巡らせてるので・池田創価に都合のいい展開ができる実態である。
旨みをたらふく食える非課税、宗教法人に関する法律はガッチリ押さえてる。
都議選への根回しも、十分にできてる。

池田創価は衰退してるのは事実だと思いますが、その莫大な財力はほぼ健在だと思います。
そして「番犬」の政党も持ってるわけで、国家権力を上手く利用できるのも健在です。
その気になれば、マスコミ系の会社など潰せますし、出版社など潰すのも簡単だと思います。
それだけのとてつもない悪のパワーは十分にあると思います。
一つのブログの存在を、さほど重要視してるとは思えないです。

彼らは愚かなようで、狡猾です。
愚かなものは表面上で「愚かと聞こえる言葉」を吐き、単純です。
でも池田創価は違います。

池田創価は会員や対社会的には、綺麗な言葉を吐き続けています。
その姿勢は変わらない・・・・それが「悪」の凄いところです。
どんな言葉でも、何があっても変わらず叫び続けてると・それは一つの「真実」として確固たるモノになります。
信じてる人には・より確信となり、疑いのある人には・その疑いを消して信じさせるパワーになります。
それは全てにおいて言えることです。

それを十二分にわかってる池田創価は、それを利用し・純粋な会員を奴隷にしています。
創価学会という組織は、とても汚くて悪賢いのです。
その中で生きてる職員は、その旨みを十分にわかっています。
なので離れたくない。ここにしがみつきます。

本部幹部と呼ばれる創価官僚クラスともなれば、その旨みも凄くて・不況社会に関係なく数千万の所得です。
何もせず、上手く会員を利用するだけで・数千万の所得です。
そして一生安泰・・・・こんな美味い世界におれるなら、何だってやります。
なので「次期会長の座をめぐって骨肉の争い」とか・・噂をされるのです。。。これ事実だと思います。
会員の生活など・どうでもいいし、そんな人間的な最低限の配慮など皆無の人間たちです。

池田創価は、激しさは続かないこと・・・・よくわかっているのです。
激しいなら、それなりの意味づけが必要です。
それが一番効果的なのが、自分に返ってくるメリットです。「欲」への満足感です。
それで、「功徳」・「福運」・「宿命転換」云々・・という言葉で会員は日々の生活を無視して奴隷化するようになったのです。
何かを続けるには、それに値するような「その人なりの同価値」が必要なのです。

ブログも同じです。
一人が呟くだけの、他が入らないブログなら・ただ独り言でいい。
もし他が介入して、ウェルカム!♪という趣旨なら、他が自分と同価値を感じる世界と許容が不可欠です。
人は全世界探しても、一人として同じ顔はありません。
考え方もまた、人それぞれ・・・・・表現もまた、人それぞれです。それが当たり前です。
全て「ウェルカム!!♪」と思ったら、来てくれる人「みんな・ありがとうね~~!!♪」と思ったら
おのずとブログは、そんな世界になっていくと思います。

池田創価はブログ一つ一つなど、さほど相手にはしていないと思います。
一つ一つのブログは取るに足らない存在でも、それが共通の声として「一つ」になれば
それは大いなる声になり、池田創価は言うに及ばず・国を揺るがす「庶民の声」になっていきます。

管理人様はとても客観的な支援と知性をお持ちの方です。
頭もとてもいい。
多くの方々が、貴ブログを見て元気と希望をもらったと思います。
実際、多くの方々が「共感」しておられた。

改めて、別のHNでブログを立ち上げられたらいかがでしょうか?
管理人様の純粋で熱き心、それを燃えるままに表さず・・・少し抑えて大局的にかまえて、大らかに。。。

そんな静かなパワーを秘めた清流のごときブログ。
ゴミや石ころや、時には黒い汚れがあっても・・・争わず、うんうん^^と静かに頷きながら流れる清流。
そんな静かで・おおらかで・多くを受け入れて、そして大海へ流れていく大河。

その大河には、みなさん身を任せるのではないでしょうか。
池田創価・・・カルト云々・・・そんな汚れが身に付いた多くの方々。
本音で思いをさらけ出すと共に、貴ブログの清流で体も心も洗われる。

そういうブログ。
これほどの管理者様なら出来ると思います。

あっ、一つだけお願いです。
ブログの言葉と温かきレス、なるべく行間を空けて戴ければ・より拝見しやすいと思います^^・。


●学園卒(2012年2月9日 01:33)
こちらのブログに移転する前に、一度だけコメントを書いたことがあった学園卒です。ずっと見にきてました。しばらく休まれるということで、残念な気持ちもありますが、何よりシニフィエさんのお身体が一番大切なので、ゆっくり休まれてください。

ここで行われていた対話を見るのは、自分にとって本当に有意義でした。各々が自分の考えを発信し、考えが重なるところもあれば、重ならないところもある。そしてそれを認め合うのが対話なんだなあ、と。
時に認め合うのが難しいこともあるけど、それが人間らしさかも、と思います。創価学会では、人生は勝負だ、とか、何につけても勝ち負け、幸不幸につなげます。でも、そんな簡単に白黒つけられるようなもんじゃないだろうと思います。曖昧だからこそ、苦しいし、辛いこともあります。はっきりしてくれよと、自分の人生に語りかけたくもなります。そうして楽な方へと流れていけば、、創価学会のような団体に流れ着くのかもしれません。

、、そして今自分がこんな風に考えられているのも、小路さんのコメントのおかげなんです。
実はいつも、創価学会がマインドコントロールや、洗脳をしているということに少し疑問を感じていました。
自分が創価学園に通っていた頃、授業で心理学的に人を洗脳させるようなことが行われていたわけではない。なのになぜあんなに軍隊のように統率がとれた振る舞いが出来たのだろうとおもったのです。
学園では、行事前になると、対話という時間がもたれます。先輩と一緒になることもあれば、実行委員長と一緒のグループになることもあります。ただどのグループにおいても共通して言えるのは、「いい話」をできる人間が必ず一人はいるということです。あらかじめ、学級委員がグループわけを行うのです。洗脳しようとしているわけではありません。
話す側も、グループわけを行う側も、とにかく池田氏に応えたい、という気持ちと、あわよくば注目されて池田氏に見てもらいたい、というすけべごころもあったと思います。そしてこのように、学園に貢献したのだから、功徳のようなものがあるだろう、、と。つまり、学園のために、友のために、池田氏のために頑張る自分に酔っていたわけです。学園生や学会員にお人好しが多いのは、このせいかもしれません。
つまりは、いつも自分に返ってくるであろうご褒美のために奔走していたのかもしれません。

とにかく自分も昔学園でそのような立場にいたことがあったのでよくわかります。
疑問を感じてからはすっかり学園では落ちこぼれましたが、自分はただの部品でしたから、代わりもたくさんいて、何も困るようなことはなかったようです。(笑)

これから自分もなにか行動を起こしたいと思っています。学園にいながら、創価学会に疑問を、感じている友達はたくさんいました。
自分はまだ学園を卒業したばかりですので、社会経験もなく、希望さんのようなことはできませんが、何かしらやるつもりです。

自分で自分を洗脳している

この小路さんの言葉に目が覚めました。本当にありがとうございます。
創価に、こんなことされた。あんなことされた。と泣き喚くのはやめます。
親に無理やり創価学園に入れられた気持ちを理解できる、ということを生かしながら、自分の手足で打開します。

長々とすみませんでした。

 


解説
シニフィエさんは、ある意味、開き直って、ブログを放置することにしました。

手に負えない私の力なさです。
ブログの閉鎖はしません。
コメントも自由です。
ただし管理はしません。
好き放題コメントしてください。
荒れてもいいです。現実を見てください。

その後、ブログはカオスに向かいます。

獅子風蓮