■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■戻ってきました(笑) 投稿日: 2012年1月31日
みなさまありがとうございます。やっと本来の「対話を求めて」に戻ることができたようです。ひとくちにブログと言ってもいろいろありますなあ(笑)。あのまま皆さんから引かれてしまったらどうしようと心配していましたが、こうして新しくコメントしてくださる方がいらして正直ほっとしています。
ここは私対みなさんの対話ではなくて、皆さん同士の対話がどんどん進んでいけばベストかなと思っています。「ずっと見てるけどまだコメントしてない」とか「他の皆さんほど深刻でもない」とか「コメントしたいけど罰が当たるんじゃないかと怖くてしょうがない」など、いろいろと事情はあるかもしれませんが、ご自分の言葉でできる範囲でありのままをお話しいただければ、それが一番だと思います。
これまでいただいた多くの方のコメントで、かなりの方の気持ちが軽くなっているようです。とくに創価学会員なのに学会に疑問を感じることは、それだけで苦しいものです。そんな方がほんとうに多くいらっしゃいます。また私のように入信動機のない学会2世は、自分の人生を最初から否定しなければ先に進めないという十字架(十字架はおかしいだろ)を背負っています。そんなこんなもみんなここに集めて、創価学会の真の姿を多くの人に知ってもらう。そうしたら自分が抱えていた疑問や恐怖がなんてことはない取り越し苦労だったということが解るはずです。いったんそれに気づくことができると、目の前がサーーーーっと開けてきます。自分が抱えていたいろんな矛盾がどんどん洗い流されていくんです。
私もこうして自分のこれまでの信仰(じつは信仰ではなかった)のことを文字にすることで、ずいぶんと救われているのだと思います。ここで見ているだけのあなた。思い切って、勇気を出して、ここにあなたの創価学会に対する思いを書いてみませんか?その一歩は必ず次の一歩を踏み出す大きな力を与えてくれると思います。あなたの人生から創価学会を切り離すことができたときに、あなたの本当の人生が見えてくるのだと思います。少なくとも私はそうでした。これでやっと当たり前のことを当たり前に見ることができると感じています。こんな歳になるまで気づかなかったことは悔しいかぎりですが、この歳になってもまだ気づくことができてよかったと思っています。
私の父は何も知らないまま学会草創の幹部として亡くなりました。母もおそらく学会の功労者として友人葬で送られるでしょう。残念です。私は死ぬ前に気づいてよかったと思います。ラッキーでした。妻や子供にも学会を押し付けなくてよかったと思います。息子が言います「おとうさん、どうせ聖教新聞は読まないんだからもったいないよ」私は「いや、ところがこのごろけっこう読んでるんだよ(笑)」息子は不思議な顔をしています。
私の創価学会潜入レポートはいつ始まるか伏せておきます。というか、これから行きます!なんていうと警戒されますから、誰にも知られずに、いつのまにか普通の学会員として会合に参加してみます。いつどこでということを隠したままになりますが、折りをみてここでご報告させていただきます。もし差し支えがなければ、ここをご覧になっている方でも、無理のない範囲で学会の会合や幹部の態度などありのままを報告していただけるとうれしいです。むやみに批判するのではなくて、学会のありのままを知ってもらえれば、その矛盾に気づくことができるし、まっとうな目で学会を見ることができると思います。
このブログは学会批判の急先鋒になるつもりはありません。創価学会の真実を粛々とお伝えするブログ。それを見てどう判断されるかは読者にゆだねられるべき問題だと考えます。だからここにコメントされる方も、実際に体験したことや思ったことをありのままに書いてくださるだけでいいんです。難しい理論をこねくりまわしたりする必要はないし、むしろ正直なありのままの気持ちを素直に書いていただく方が、何百倍、何千倍も説得力があると思います。自分の書いた一言が、同じように創価学会のことで一人で悩んでいる方の心を開く力があるのです。お一人おひとりが少しずつでも言葉を重ねることで、多くの方の人生を取り戻すことができれば素晴らしいなと思っています。どうかよろしくお願いします。
それから今回の騒動で見逃されがちなこちらのページに素晴らしいコメントを書いていただいています。ぜひご覧いただきたいと思います。
●signifie(2012年2月1日 01:42)
ほしさん、こんばんは。この一つ前のページで、またひともんちゃく起きてしまいました(笑)。でも大丈夫です。このページからはおだやかにやって行きたいと思います。よろしくお願いします。
涼風さん、さきほどはほんと失礼しました。SJさんとのやりとりはとても勉強になります。ありがとうございます。
傍若無人な幹部はやはり全国にいるんですね(笑)。
●涼風(2012年2月1日 02:58)
signifie様
とんでもございません。
本当に大丈夫ですので、どうか、ご安心ください。
傍若無人な幹部は、やはり、どこにでも存在しますよね。
自分も、それなりに役職をもって活動をしてきた過去があるので、どうしても、そういった頭の悪い(口汚く、申し訳ございません)幹部の対応に対して、イライラしてしまったのです。
よく、「学会の役職は、責任職だ」
「幹部は、部員のために存在しているのだ」等、
名誉会長は指導していますが…。
実際の現場は、それとはかけ離れたものでしかないです。
成果は出せても、人間性などの中身が伴っていない輩が多くなってきている気がします。
現場で地道に頑張っている方々に対する礼儀もない。
聖教新聞や、幹部から言われているから、とりあえず感謝の言葉を述べているだけ…。
はっきり言って、ここ数年、私が知る限りで出会った幹部は、ほとんどが腐っています。
ごく数人だけ、純粋に尊敬できる方がいるぐらいです。
私が思うに、一つの角度から、成果を追い求めすぎていることが原因であると思われます。
支援にしても、啓蒙や折伏にしても、上が「成果」と言えば、それを無能な幹部は単純に下に降ろして、協議会や座談会で、「各地区○○」とか言ってしまう。
地区の実情を正確に把握すべき地区幹部すら、上に言われて、無理な高い目標設定をさせられてしまう。
確かに高い目標設定は大事なのでしょうが(成長する意味で)、現実を直視しながら、慎重に目標設定をしなければならないはず。
活動家は何名いるのか。今回の流れで、どれだけの人材を育成するのか…など。
それすら出来ない現実がある。
諸悪の根元は、成果を求めすぎる大幹部陣でしょうね。
現場の苦労している人と、気持ちが離れすぎている。
そんな腐った大幹部陣に気に入られた幹部は、はやり毒されて、結果的に傍若無人な輩に育つ。
…あくまでも、私の個人的な見解です。
一つの角度からの話でもありますが…。
●SJ(2012年2月1日 11:10)
おはようございます。涼風さん、丁寧なお返事頂きまして、ありがとうございます。
これは、とてもデリケートな問題です。色々考えてしまって、お返事が遅くなりました。
ただ、一つだけ心に留めておいて頂きたいのは、「私は涼風さん個人を絶対に否定しない」ということです。
もし、涼風さんがそう受け取られてしまったとしたら、私の言葉が足りないからです。
涼風さんの悔しい思いや、悩ましい気持ちはとても伝わっています。
私も、学会活動を「自身の研鑽・精神鍛錬」と捉えていたことがありました。とりわけ私はメンタリティを重要だと思っており、
福運とか功徳とか信じていませんでした。むしろ俗っぽくて嫌でした。その時点で、学会員失格のような気もしますが。
私が言った「活動と信仰の同一線上に語ることに対する違和感」に矛盾しているように思われるかもしれませんが
学会活動に対するモチベーションを維持するための言い訳を、自分自身にしていたと言えば分かりやすいでしょうか。
自身の学会に対する成果主義などに対する疑問や不信を封じ込めていたんですね。
学会の愚痴は法謗だという躾けのもと、だからこそ違和感をじっと抱いていたのです。
走り続けていて、色々あってふと立ち止まった時見えてきたものが、その時の環境や人間関係でした。
私はとんでもない勘違いをしていたことに気付きました。
自身の鍛錬のために、他人や家族に迷惑をかけると言うことが、どんなに自分勝手なことか。
学会の中にいたときには全く見えなかったもの、「人として」「良識」そういうものを今度は否が応でも突きつけられました。
それは、自身の研鑽以前の問題だったんだということ。そして一般的には、御書の引用など何の理屈にもならないこと。
あの幹部も私も同じ学会員なんだということ。
自分自身が高尚だと信じ言い訳して正当化してきたことが、もしかして全部虚構だったんじゃないか。
本当に怖ろしかったです。認める、自分と向き合うことがこんなに苦しいとは、知りませんでした。
これは個人的な価値観ですが、私にとっては「良識」とか「人として」とか「思いやり」というものが
重要さで言うと、学会活動=自身の精神鍛錬よりもずっと上だったことに気付いたんです。求めている物が違っていたんですね。
相手の立場に立ったら新聞啓蒙なんてできません。学会員は他の新興宗教の機関紙なんて、取るどころか塩まくでしょう。
学会員のことを、人としてどうなのかと思ったときに、自分自身を省みるきっかけにしたいと思ったのです。
問題は池田さん個人の過去だとか、財務の行方だとかそういうものではなく、(まぁこれらも今となっては気になりますが(笑))
自分自身のことです。盲目に組織に従っている会員に、全く責任が無いとは言えない。
組織は、在籍している会員全員に責任がある。そのまた逆も然りなんです。会員は、組織に責任を持つべきなんだと。
確かに、昔から責任を履き違えている幹部が多数います。それが成果主義、上から下へのレコーダー指導の一因でしょう。
幹部は組織に対する責任ではなく、まず会員一人一人に対する責任を自身の言動で全うすべきだと私も思います。
最近、非活をこじらせてしまって、「会員を救えないか」と考えてたりしています。
幹部には私も散々嫌な思いもしましたが、今となっては同情の対象でしかありません。
今やおじいちゃんやおばあちゃんばかりですし、私の両親兄弟も含まれます。救うとは、まぁいろんな意味がありますね。
シニフィエさんのブログが立ち上がったばかりのころは、私の心は親や組織に対する憎しみで溢れていました。
そして、それと同時に親や組織に掻き乱されてばかりでしたが、現在はスッキリとしています。反省ばかりの毎日ですが・・・
前回の「もも(ら)」さんのコメントの〆のお言葉「時が解決してくれる」
本当に、時が経って、初めて分かることだなと実感しています。
確信が無ければ、信心は脆くなると昔言われたような気がします。今となっては、あははその通りだわ(笑)としか言えません。
長くなってしまいすみません。何かズレてるかなと思いつつ、書かせていただきました。
涼風さん、学会のおかしいと思うことを聞かせてください。
ここのところ、私自身外部の感覚が強くなっているので、いかんな(?)と思っているところです。
●涼風(2012年2月2日 08:17)
S J様
おはようございます。
こちらこそ、本当にありがとうございます。
一語一句、丁寧に書かれている文章に、真心や気遣いが伝わってきます。
私は、文章を書くのが苦手です。
もしかしたら、言葉足らずで不快な思いをさせてしまうかも知れません…。
その際は、本当に申し訳ございません。
私は、この年まで、必死に活動しました。
後ろを振り向かないで。今している全ての行動や言動は、全て広布のためになり、相手の幸福に繋がり、何よりも名誉会長のためになる。
愚痴や批判は、不信であり、謗法であると…私も疑わないで…いや、心底では思っていても、それらを押し殺して、必死になって信心を深めることに努力してきました。
会合での幹部指導を聞きながら、決意を改め続ける毎日でした。
しかし、ある幹部の無礼な態度が因で、活動から離れました。
生活上で悩みがあり、信頼していた先輩幹部に指導を受けたのです。
しかし、自分の話なんか1割しか聞いてもらえず、後の9割は叱咤激励の嵐です。
「分かるよ」「大丈夫だよ」等々…。
何が分かるんだよ?と。
全然、人の話を聞いてないのに何が分かるんだよ?と。
ちょっと聞けば、悩みの本質が分かるのか?そんだけスゲー人間なのか?と。
いや、人の話が聞けない人間に、素晴らしい人なんかいないだろう!と…。
ある人材グループで副をしていた際、ある長がグループ員を指導する際も、同様の態度が見られました。
幹部は原稿も作らないで、バカみたいに長々と幹部指導をする。自分の姿に酔いしれてるとしか言えない輩ばかり。私が知っている限り、1時間以上も会合で指導している会合がいました。
幹部からしたら、皆に決意してほしいとか、頑張ってもらいたいとか思っているのでしょうが、こちらからしたら、苦痛でしかないですね。
●peco(2012年2月2日 15:06)
こんにちは。
初めて書き込みさせていただきます。
私は30代、産まれた時から入信している学会二世です。現在未活動です。
未入信の夫、2人の子ども、4人で生活しています。
私の両親は熱心に活動しています。
私も、大学生まではバリバリに活動していました。
幼い頃から両親に、勤行、題目をやりなさいと言われるからやっていて、
両親が喜ぶから何の疑いも抱かず活動もしていました。
本幹にも行っていました。
しかし、名誉会長が出てくるまでに、退転した人の退転後の散々な不幸な人生を語ったり、
宗門問題等の裁判に勝ったことを報告したり、日顕のことを「くそ坊主」だとか「バカ」だとか、
とにかく汚い言葉で罵る幹部(青年部が多かったかな!?)の登場が嫌いでした。
学会の正義が証明できたとかで、みんなもわーっと賛同の拍手。
私は、元々汚い言葉を使ったりすることが嫌いだったので、罵ってる姿にも同調できず、
みんなの様に、拍手することができずうつむけるだけでした。
学会の正義って何?この姿が信仰する人の姿なの・・・?と疑問を持ち始め、その場にいたくないので本幹に行くのをやめました。
それまでにも、不満や疑問はありました。
学会活動している両親の姿に対する不満や疑問です。
私が幼い頃から、会合や活動優先。
夕飯の準備ができてなくても、会合の時間になれば出かけて行く。
夕飯の準備をしてあっても、子どもだけで食べる。
選挙の時は、Fどりに奔走して放っておかれ、幼心にさみしかったです。
人付き合いも、特に選挙が近くなったりすると、ちょっとでも付き合って(相手をして)おけば、選挙を頼めるというスタンス。
新聞啓蒙や折伏(広宣流布)の数字ばかり追っている姿にも疑問を持っていました。
仏壇の前に「ご祈念」と人の名前が書いてある紙を見るたびに、
その人の幸せを祈っているというよりも、この人がご本尊授与され、
うちの地区の折伏の数がとれますようにと祈っているような気がしてなりません。
学会員みなさんがうちの両親のようだとは思いませんが。
私は両親のようにはなりたくないと心のどこかで思っていました。
両親はずっと(今思えば、財務のために)節約節約でした。
私の大学の授業料も奨学金(私は優等生ではなかったので、
無利子で学校から授業料を借りるという形で、少しずつ大学に返金する)制度を
利用しなさいと言いました。返金は私がというのは暗黙の了解です。
苦しい家計を助けるためにと思って、私は奨学金制度を利用し、
お小遣いもなかったので、お小遣い稼ぎと奨学金返金のために
在学中はアルバイトばかりし、学会活動からは自ずと離れていきました。
その時にちょうど、大学の講義のテーマがイギリスの宗教教育のことで、
講義中、私はなぜ創価学会を信仰しているのかと考え始め。
やっとこの時に、信心も活動もやらされていることに気付きました。
遅っ!!という感じですが。
ご本尊様をいまいち信じきれていないのも、やらされているから。
確信も全くありませんでした。
学会員は、「二世だから、親の福運で守られているから確信がないのだ」と言うことと思います。
会合でも近況報告として一言ずつ発表する時は、
「先生は闘っていらっしゃる、弟子の私も勤行、題目をがんばって、先生にお応えできる人材に成長していきたい。」というような、いつも同じような内容を私は言っている・・・
これはこのような内容のことを言っていれば大丈夫と分かっていて、ということは、ある意味言わされているから。
信じられないものを信じるなんてことはもうできない。
心から思ってもないことを言う事ももうできない。
「南妙法蓮華経」や学会が正しく素晴らしいことを知っているのに退転することが一番悪で、地獄へ行く、罰があたる。
などと教学で刷り込まれていたので、そうなったらどうしようかと少し恐かったですが。
信心していてもしてなくても、人生なんだから、いい事も悪い事もある、
私が学会から離れて悪い事が起これば、それはたまたまその時が重なっただけであって、
運命なのだと自分に言い聞かせ、勤行も題目も活動もやめました。
が、学会員が私を会合に誘ってくるので、そこら辺はやんわりと何かと理由をつけて断り続けています。
親は、私が誰かに裏切られたから信心をしなくなったと思い、
人を見てはだめだ。自分がご本尊様と先生とつながっていればいいのだと言います。
数年前、財務の時に、母が三桁のお金を振り込んだのを知りました。
これまで毎年三桁の財務をしているようです。
だったら、大学の学費も払ってよとも思いましたが、
バイトをして学会から離れる時間ができたので、むしろ感謝すべきでしょうか・・・
今まで、うちは他の家庭と比べて、家計が苦しいのだろうと思っていたけど、
決してそうではなかったのだと気付きました。
よく考えてみれば、それはそうです。
家には開いた事もない聖教新聞社の書籍や、シナノ企画のビデオやDVDが収めきれないほどたくさんあるし・・・
興味のない「ミンオン」のチケットは購入できますから。
母は、毎年財務の時期になると題目をたくさんあげ、
振込み期日には、朝から題目をあげ、半ば勢いで、夕方に振込みに行きます。
うちは、貧乏ではなくても、裕福でもないので、
やはり三桁の財務は簡単に振り込める金額ではありません。
母は、題目をあげ、自分でMCしているのだろうなと思います。
そう思うと両親も被害者です。
上で、学会活動している両親の姿の不満や疑問を言いましたが、でも、私の親なのです。
嫌いになれません。大切な存在です。
両親に学会の真実?を語りたいけれど・・・
自ら入信し熱心に活動してきてるので、これまでの両親の人生を否定してしまうのではないか。
真実を知って、落胆するかもしれない。
真実ではないと私に対して憤慨するかもしれない。
どのような反応か分からないけれど、いずれにせよ、かなりのショックを受けるのではないか。
と思うと、言わない方が両親にとって幸せなのかなと思います。
しかし、それは本当に幸せなことではないと思うので、どうしたらいいのかまだ分かりません。
私は現在、学会からは距離をおいていますが、両親が生きてるうちは脱会はしないと思います。
もしも脱会すれば自分自身は本当に楽になれ、気分的にすっきりすると思いますが、、
私が脱会すれば、両親を悲しませることになるだろうし、周りの学会員から両親が何と言われるかと考えてしまいます。
私にとって、脱会は簡単そうだけど、難しいことです。
私自身のことも結局どうしたらいいのかまだ分かりません。
文章を書くのを苦手なのですが、思い切って書き込みさせていただきました。
長々と、取り留めのない文章で、申し訳ありません。
●SJ(2012年2月2日 18:44)
pecoさん、こんにちは。初めまして。SJと申します。
私が書いたかと思いました。二世に生まれて苦しんでいる人が、たくさんいるんですね。
少し前のコメントに書いています。
幼い頃の思い出とか母の三桁の財務とか、大学の費用とかそういうのまでそっくり同じです。
うちはすごく貧乏だったので、三桁の財務したときに離婚沙汰になりましたが(笑)
因みにうちも、外部の旦那と子供二人の四人家族です(同じ!)
私は奨学金で大学に行って、それを自分で支払ったことを誇りに思っています。
pecoさんはどうですか?自分の学費を支払ったことは、すごいことだと思いませんか?
しかし我が子には、お金の心配なんかしないで自由に学んで欲しいと思っています。
そのうち子供に自慢するでしょう。お母さんは自分で学校いったんだよと。
学会から本格的に離れようとした時の、私の心情によく似ていると思いました。
親が死ぬまで脱会しないという気持ち。よくわかります。
親には、学会が全てなんですよね。私が親の人生を否定することが許されるのか。
ご近所づきあいよりも組織を大事にしてきた人たちだから、私が脱会することで
親の立場がどうなるのかという心配も、とてもよく分かります。
私の親は狂信なので、発狂するばかりで会話になりませんでしたが、pecoさんのご両親は違いますか?
私は、学会のおかしさを親に指摘するまで、親がこんな風だとは思ってもいませんでした。
本当に怖ろしかったです。でも、その姿を見ることで私にあった迷いが無くなったと思います。
気づいてしまったものには、向き合うしかありません。
しかし、ごちゃごちゃした心の中を無理に整理しようとしてはダメです。
そのうち、それこそテトリスで長い棒がやっと出てきたみたいに、キチンと自分にはまっていきますよ。
私もまだ、この先どうなるか分かりませんが自分で考えたとおりにやっていこうと思っています。
苦しい道のりですが、独りじゃないです。無理しないでくださいね。応援しています。
【解説】
涼風さんとSJさんのやり取りが続きます。
またpecoさんも新たに加わり、それぞれの創価問題が語られ、共感を生んでいきます。
獅子風蓮