獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その6

2023-05-09 01:23:15 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


検事全員がメモを廃棄

裁判は順調に進んでいましたが、私の緊張感はやわらぐことはありませんでした。公判が終わって家に戻ると、疲れでぐったりし、決まって頭痛に悩まされました。
証人尋問の最後には、取り調べを担当した6人の検事が出てきました。
それで分かったのは、被疑者や参考人の調書ができると、翌日には他の取り調べ担当の検事に配っていた、ということです。関係者の供述調書を共有していたわけです。
私は、ありもしないことについて、複数の人が細かいところまでまったく同じ供述をしているのをずっと不思議に思っていました。たとえば、倉沢さんを職員たちに引き合わせたという場面の私のセリフが、みんなの調書に載っています。それぞれ別の検事が事情聴取をしていて、しかも5年以上も前のことなのに、なぜこんなにもセリフがきれいに一致するのだろうか、と不思議でなりませんでした。
その謎がやっと解けました。誰か一人の調書ができると、それが検事たちに配られ、別の検事もすでにできている調書に合わせて調書を作る。そうやって、情報を共有しながら、共通のストーリーを検事全員で組み立て、整合性のある証拠を作り上げていく、まさにチームプレーです。これが、検察の作業のやり方なのだと、よく分かりました。
検事に対する証人尋問で、裁判官がとりわけ関心を示したのは、取り調べ時のメモがすべて廃棄されていることでした。出てきた6人の検事が、全員、取り調べ時のメモはすでに処分している、と答えました。
凜の会の河野さんの弁護人は、大声で怒鳴るなどの威迫的な取り調べがあったとして、検察に申し入れをしています。林谷検事は、副部長から注意をされたそうです。この時の弁護人の申し入れには、「メモ類については、くれぐれも廃棄しないように。廃棄すれば公用文書毀棄罪になる」という趣旨の警告も入っていました。取り調べを行った林谷検事は、弁護団の追及に、その申し入れ書を読んだことを認めました。最高裁の判例でも、取り調べ時のメモは証拠開示の対象になるとしている、と弁護団が指摘したのに対しても、林谷検事はうなずいていました。当然、そのような判例があることは、知っていたでしょう。にもかかわらず、公判前整理手続が始まった頃に、メモを廃棄していたのです。
証人となった検事たちは、廃棄の理由を「メモには個人のプライバシーに関することも書いてあったから」「メモの内容は供述調書に反映しているので、不要だ」などと述べました。それでも裁判官たちは、証人となった検事たちに、メモについて口々に問いただしていたのが印象的でした。客観的な証拠が少なく、関係者の供述が重要な事件で、その供述がなされた時期や経緯を判断する手がかりとなるメモを検事全員が廃棄していたのは、裁判官も異様に感じたのかもしれません。
國井検事も、検察側証人として出てきました。彼は、法廷に来る前に、これまでの裁判で出てきた証言の記録を全部読んでいたのでしょう。それと食い違わず、うまく適合するような形で証言をしていました。
上村さんは、國井検事から、厚労省の職員はみんな私と倉沢さんが会ったことを認めているなどと言われ、真実を決めるのは「多数決」だと迫られた、と語っています。そのことについて聞かれた國井検事は、こう述べました。
「多数決の話は、一般論として、上村さんから『裁判の事実認定の問題として、裁判官が3人いて、どうやって決めるんですか』という話があった。私は、『裁判官も3人いれば、意見が割れることもあるだろうから、多数決もあるんじゃないの』というような話をした」
明らかに嘘だと思います。私の取り調べでも、私に彼流の「多数決論」を展開していたのですから。でも、取り調べの状況を録音しているわけではないので、偽証と決め付ける証拠はありません。こういう話がすらすら出てくるのを見て、周到に準備をしているなあと感じました。私が一番腹が立ったのは、國井検事が上村さんのことを「狡猾」と言ったことです。
「彼は事実を供述した後も、やはり単独犯にできないかと、心が揺れ動いていた。被疑者ノートには私の話をうまく取り込んで書いているな、狡猾だな、と思った」
そして、家宅捜索の時に、フロッピーディスクは、当初の供述とは違う場所から発見されたとか、証明書を作成した日付を5月28日と供述したとか、上村さんが記憶違いをしていたことなどを、あたかも最初は本当のことを隠していたかのように証言しました。
國井検事は、私の取り調べの時には、上村さんがいかにいい人で、まじめで純情でかわい そうなのかを繰り返し述べていました。「だから、あなたが指示したと認めなさい、あんないい人のせいにしたらかわいそうでしょう?」と。そういうことを散々言っていた彼が、法廷で、多くの人の前で、上村さんがいかに悪い人かを印象づける話をし、「狡猾」と称したのです。自分の聞き間違いではないかと、長い間、弁護側の席から國井検事の横顔を見つめていました。
こういう人にとって、真実とは何なのでしょうか。

 

それでも懲役1年6月を求刑

裁判の最後の山は、証拠の採否決定でした。検察側が申請した供述調書を、裁判所が証拠として採用するかどうかの判断です。検察が、最後に論告をする時には、裁判所が採用した証拠に基づいて主張を組み立てていかなければならないので、どういう証拠が採用されるかは、とても重要な山場でした。
私は、これまでの裁判での証言で、ある程度真実が明らかになったのに、この期に及んで検察側が上村さんや倉沢さんの供述調書を証拠として請求できる仕組みがある、と聞いた時には、ショックを受けました。検察官が作成した調書の内容が法廷での供述と異なる場合、調書の方が公判供述より信用できる特別な事情(特信性)があると認められれば、証拠として採用できる、という規定があるのです。あんなにひどい調書でも、証拠に採用される可能性がある、という制度に対して、えもいわれぬ不信感が湧いてきました。これだけ公判を重ねてきて、しかも証人には主尋問と反対尋問が行われて、傍聴人も見ている前で事件の真相が見えてきたのに、それを密室で作った調書で巻き返せるかもしれない、というのがすごく不思議で、違和感がありました。
結局、裁判所は検察側が請求した43通の調書のうち、上村さんや倉沢さんの調書など、34通を証拠採用しませんでした。決定文書はとても長いもので、裁判長が読み上げるのにも時間がかかりました。上村さんの調書が採用されないと分かった時に、記者たちがどっと飛び出して行きました。
裁判所は、上村さんの裁判での証言が被疑者ノートに書かれていることと符合していることを、とても重く見ていました。「多数決」についても、上村さんの証言を受け入れて、捜査の在り方を批判しています。検事が、私が事件に関与しているというストーリーを描いて取り調べに臨んだ、ということも認定しています。
検察側は、上村さんの調書は「具体的」で「迫真性」に富むから「特信性」があると主張してきましたが、裁判所はいくら具体的で迫真性があっても、客観的証拠と合わなければ慎重に判断しなければならない、とも言っています。これは、とても重要な指摘だと思いました。一方、塩田さんなど、私と事件を結びつける供述調書が作成された厚労省関係者については、「特信性あり」として調書は採用されてしまいました。上村さんには被疑者ノートがあったけれど、塩田さんの場合は、法廷での証言を裏付けるものがありませんでした。 ただ調書の内容を否定するだけではダメで、何かプラスアルファの材料がないと、検察側の言うとおりに採用されてしまうのかもしれません。
検察側は、不採用になったものについて異議申し立てをしました。この時点では、無罪判決になった時には、控訴するつもりでいたのでしょう。その時に、裁判所がちゃんと証拠を採用してくれなかった、判断が間違っている、と主張する手はずとして、異議申し立てをしていたようです。
なので、この時点では、あと何年闘いが続くのか分からない、と思っていました。一区切りはついた感じはしましたが、まだ弁護団は最終弁論、私は最終意見陳述の準備に力を注がなければなりませんでしたので、ほっとする余裕はありませんでした。
多くの証拠が不採用になったので、検察側の論告は、ひどいものになりました。それでもまだ自分たちのストーリーにしがみつくしかなかったようです。
倉沢さんが口利きを頼んだという日時には、石井議員にはアリバイがあることがはっきりしたにもかかわらず、倉沢供述について「日時に関しては誤りがありえるとはいえても、石井議員に対する口添え依頼の存在という厳然たる事実に関する信用性まではゆるがせるものではない」と言い切っていました。どこが「厳然たる事実」なのでしょうか。
フロッピーのプロパティとストーリーの矛盾についての説明は、上村さんが04年6月1日未明にデータを作成したことは認めつつ、想像をたくましくして、こんな主張をしました。
〈(上村は)現実の(証明書の)発行については、逡巡していたところ、その後、被告人からの指示等で背中を押されて、公的証明書を発行するという最終決断に至ったという経緯が合理的に推認される〉
なんら証拠に基づかない「推認」でした。
最後に、被告人を懲役1年6月に処すようにとの求刑を、前田検事が行いました。
最終弁論では、様々な証拠や証言から検察のストーリーがいかに不合理かを述べていただきました。最終意見陳述で、私は次のように述べました。
〈私は、本件の証明書の偽造には一切関わっておりません。
いわゆる「議員案件」というものに対して、役所が事の善悪を考えず、「結論ありき」で、法律や規則をまげて処理をするということは、実際の行政の実態とあまりにかけ離れています。(中略)
私は、一日も早く無実であることが明らかになり、社会に復帰でき、「普通の暮らし」ができる日が来ることを心から願っています〉
もはや、いささかのためらいもなく、「無実」を訴えることができました。


解説
多くの証拠が不採用になったので、検察側の論告は、ひどいものになりました。それでもまだ自分たちのストーリーにしがみつくしかなかったようです。(中略)
なんら証拠に基づかない「推認」でした。
最後に、被告人を懲役1年6月に処すようにとの求刑を、前田検事が行いました。

私は医師ですので、医師が患者の正しい診断にいたる過程と、検察官の求刑に至るまでのプロセスのあまりの違いに驚くばかりです。
医師は、当初の見立てが誤りかもしれないと思ったら、正しい診断を求めて、必要な検査をしたり専門医の判断を仰いだりします。
すべては、患者の生命を救うためです。
しかし、検察官は、最初に立てた自分たちのストーリーにあくまで固執するのですね。
医者なら、そうとうのやぶ医者です。
冤罪によって被告人の社会的生命が抹殺されるようなことが起こるなら、検察官の責任はきっちり取らせるべきでしょう。

獅子風蓮



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