獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部第1章 その4

2023-04-10 01:21:44 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
■第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


筋書きを語る検事

この後、取調官は國井検事に変わりました。その取り調べ初日、彼は私から話を聞くより先に、まずは検察のストーリーを一方的に語りました。「この事件は、こうなんです」と言って、一人でずっと喋っていくのです。その分量は、取り調べが終わってから思い出してノートに書き留めたら、大学ノート2ページ半くらいになりました。それによると、検察の筋書きは、次のようなものでした。

凜の会の倉沢は石井一議員の元秘書で、石井から塩田部長に依頼をしてあるからと、書類 の一枚も持たずに、役所の村木を訪ねた。村木は、職員を呼び、倉沢を紹介。上村の前任者は、倉沢の話を聞いて、嫌な感じを受けた。前任者は自分で証明書を発行したくないが、議員案件という上からの指示なので断ることができず、NPO法人の障害者団体定期刊行物協会(障定協)に行くように勧めた。障定協の関係者も、胡散臭いと感じたが、名簿や規約などが一応揃っていたので、「営利目的ではありません」との念書を提出させたうえで、証明書交付願を出した。前任者は人事異動で転出し後任の上村が仕事を引き継いだ。上村は、予算などの仕事で忙しく慣れない環境で証明書については後回しにしていたが、凜の会から何度も督促され、仕方なく、誰にも相談せずに、すでに決裁に回っていることを示す稟議書(決裁書類)を偽造し、凜の会に送った。
手続きが進まないことで焦っていた凜の会側は、倉沢が村木を訪ねて、郵政公社幹部に電 話をしてくれるように依頼。倉沢の目の前で、村木は郵政公社東京支社長に電話をした。 6月8日に凜の会が郵政公社で手続きをしようとしたが、証明書がないことに気づき、またも倉沢が村木を訪ねて、急いで証明書を発行するように依頼した。この際、凜の会の都合で5月中に手続きを終えることとしていたいきさつもあり、証明書も5月の日付にバックデートしたものが欲しいと要求した。村木がその旨を上村に指示。上村が偽造した証明書を村木に渡し、村木が自席で倉沢に渡した。

誰がどのような供述をしているのか、ということも含めて、検察のストーリーの全容がこれで分かりました。
こうした筋書きを滔々と語ったうえで、國井検事はこう言いました。
「今回のことが起こったのは何か原因があるはず。ノンキャリアの人たちは汚い仕事ばかりやらされている。上の言うことは絶対だと言っていますよ。トカゲのしっぽ切りにはしたくない。責任を感じてほしい」
「上村さんは、自分のような人が二度と出ないように、という思いで何もかも話してくれている。村木さんが逮捕されたと聞いた時には泣いていました。そういう人が、嘘を言うと思いますか」
そう聞かれれば、「嘘つきではないと思います」と言うしかありません。
「あなたが認めないということは、ほかのすべての人が嘘をついていると訴えることになる。そういうことをやるつもりか」とも言われました。
次の日、國井検事は他の厚労省職員数人の調書を取調室に持ち込んで来て、いわゆる「入 口」の部分について、「この人はこんなことを言ってるよ」と供述調書を指で追いながら読み上げました。確かにそこには、私から指示されたという趣旨のことが書いてあります。 このあたりに何とも言えない不快な塊が入ってくるような気分になりました。
さらに國井検事は、こんな聞き方をしてきました。
「村木さんの記憶にはないことかもしれないけれど、上司から『(証明書の作成を)やってね」って言われたとしたら、上村さんはどうしただろう」
そんな仮定の質問には答えられません。すると、國井検事はさらにこう聞いてきました。 「じゃあ、上村さんが金が欲しくて、あるいは何か悪意があって、こういうことをやった、ということは考えられますか?」
私が「ありえないと思います」と答えると、さらに、こんな仮定の質問をするのです。
「もし、上村さんが上司から指示されて追いつめられたとしたら、かわいそうですよね」
私が「そうですね」と返すと、國井検事はやおら、調書の口述を始めました。遠藤検事とは違い、國井検事は口頭で調書の文章を述べて、それを事務官がパソコンで打ち込むやり方で調書を作るようでした。
聞いていてびっくりしました。こんな内容になっていました。
「上村さんに対し、大変申し訳なく思っています。私の指示が発端となってこのようなことになりました。上村氏はまじめで、自分のためにこういうことをやる人ではありません。私としては、彼がこういうことをやったことに、責任を感じています」
仮定の質問をいくつかして、私の答えの都合のいいところだけを取りあげて、それを検察のストーリーの中に入れ込んで調書を作ってしまうのです。しかも、「指示」や「責任」という書き方が曖昧で、いろんな取り方ができる巧妙な文章でした。すぐに「村木局長『私の指示が発端』」「責任を感じている」といった新聞の見出しが頭をよぎりました。
國井検事は、一通り口述を終えると、その調書を印刷せずに、「サインしますか」と聞いてきました。「サインできません」と即座に断りました。拒否されるのを分かっていて、印刷しなかったんでしょう。こういうひどい調書を作った、という証拠を残さない。本当に狡猾なやり方です。
私は、「仮にそういうことがあったとして、上村さんが追いつめられた気持ちになっていたのであれば、それをかわいそうに思いますが、それでも『やっていいことと悪いことがある』と叱りつけたい気持ちも、同じくらいあります」と言いました。そして、この人のもとでは絶対に調書は作るまい、と心に決めました。
遠藤検事は、取り調べが終わると、事務官に「(被疑者を房に)下げて」と、私をまるで食べ終わったお膳を下げるように言うのが常でしたが、その飾らない態度は、きらいではありませんでした。一方、國井検事は、物言いは穏やかだし、親切そうなことも言うし、取り調べを始める時と終わる時にはいつも深々とお辞儀をするなど、礼儀正しい人ではありました。調べの始めと終わりに礼をするのは、きちんと対等な信頼関係の下に取り調べをするべきだと考えているからだと言っていました。しかし、被疑者が礼をするのは、検事との間に信頼関係があるからではなく、検事が絶対的に優位な立場にいるからだというこんな簡単なことが理解できないで、形だけ整えてみても何の意味があるのでしょうか。彼への信頼が失われるにつれて、この「礼」は私にとって苦痛以外の何物でもない儀式になりました。
國井検事は、これまで担当した事件のことも話していました。被疑者が否認をしている事件で、決定的な証拠を本人にはずっと教えず、裁判で出してやったら、有罪になってしかも否認をしていたから罪が重くなった、などという話を、あまり表情も変えずに、淡々と喋るのです。和歌山のカレー事件で死刑判決を受けた林真須美(はやしますみ)さんが、同じ拘置所にいることも、國井検事から聞きました。そして、こんなことを言いました。
「あの事件だって、本当に彼女がやったのか、実際のところは分からないですよね」
すでに死刑が決まっている人について、無実かもしれないと平気で言う神経が私には理解できませんでした。彼が言うには、真実は誰にも分からない。だから、いろいろな人たちの話を重ねていって、一番色が濃く重なり合うところを真実だとするしかない、と言うわけです。それが本当の真実かどうかは、自分たちにとって大事ではないと告白しているようなもので、こういう感覚で人を罪に問う仕事をするのは、とても危険ではないか、と感じました。しかも、とても思い込みが強いのです。政治家は平気で悪いことをする連中であり、そういう政治家が紹介してくるのはろくな団体じゃない、という発想で凝り固まっているようでした。そして、役所の人間は政治家から言われれば違法なことでも何でもやると信じ込んでいるのです。私が、「こういう証明書の類は、民間の人が窓口を訪ねてこようと、議員さん経由で話が来ようと、やることは同じなんです」と説明しても「そんなはずはない」の一点張りでした。
思い込みの中でも、厚労省内でのキャリアとノンキャリアの違いについて独自の構図を描いてくるのには、辟易しました。彼の頭の中では、ノンキャリアは常にキャリアから無理な仕事、汚い仕事を押しつけられ、ひどい目に遭っているらしいのです。何が根拠か分かりませんが、そういうイメージが強固なのです。國井検事は、キャリアは悪官僚であり、 「ノンキャリアはいつも汚い仕事をさせられている。本件でも、同じように、キャリアは手を汚さずに、ノンキャリに違法行為をさせた。ノンキャリアの上村は、キャリアの村木に指示されたので仕方なくやった」という筋書きにしたかったようです。
この点は、後に裁判の時に裁判官も不思議に思ったようで、検察側証人として出てきた國井検事に「どうしてキャリアとノンキャリアの関係が、上村被告が証明書を偽造する動機になるのか」などと聞いていました。國井検事は、「事件の背景として、ノンキャリアが嫌な仕事をさせられてきた」と説明しましたが、「具体的には?」と重ねて聞かれて、何も答えられませんでした。

 


解説
仮定の質問をいくつかして、私の答えの都合のいいところだけを取りあげて、それを検察のストーリーの中に入れ込んで調書を作ってしまうのです。しかも、「指示」や「責任」という書き方が曖昧で、いろんな取り方ができる巧妙な文章でした。すぐに「村木局長『私の指示が発端』」「責任を感じている」といった新聞の見出しが頭をよぎりました。


このように検察側のストーリーに合った調書が作られて行くのですね。

検察、おそるべし。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第1章 その3

2023-04-09 01:09:02 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
■第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


説明しても聞き入れられない

たとえば、こんなやり取りがありました。
検察のストーリーでは、倉沢さんが4回も私に会ったことになっています。まずは挨拶に来て、日本郵政公社(当時)に電話するよう再び頼みに来て、日付を5月にさかのぼって書き直した(バックデートした)証明書を大急ぎで出してくれと再び頼みに来て、最後に証明書を受け取りに来た、と。「4回も面会したのなら、手帳に面会予定を書き込むはずです。手帳にそんな記録はないのだから面会はしていないはずです」と私が主張すると、検事は、「すべてアポなしで押しかけたと倉沢さんは言っているよ」と主張します。そこで私の方は、「頼み事をするのに、アポなしで4回も押しかけるというのは、相当失礼で特異なことですから、そんなことがあれば覚えているはずです。それに、私は会議や出張などが多くて、自席にいないことがしばしばでした。よく厚労省に来られる方から『10回来て1回くらいしか村木さんの顔を見ないね』と当時言われたのを覚えています。なのに、倉沢さんが4回アポなしで来て、4回とも私が自席にいて対応したなんて、ありえません」と縷々説明しました。
ところが私のそういう説明は一切調書に記載されません。
倉沢さんに私が直接証明書を渡した、という点についても、「文書はそれを起案した人が上司の決裁をもらった後、清書をして公印を押して郵送で送ります。発行する名義人が直接渡すものは感謝状と辞令くらい。もし直接渡したとしたら、相当イレギュラーなことだから覚えていないわけがありません」と、役所の事務処理の仕方を詳しく説明しました。
でも、そういう反論は調書には書かれません。
そもそも、証明書は企画課長名で出されているわけですから、もし私が「出そう」と思ったら、何も偽造など命じなくても、普通に決裁して正規のものを出せばいいだけの話です。そういうストーリーのおかしさを述べても、もちろん調書にはなりません。
とにかく、検察側にとって都合のいい、少なくとも都合の悪くないことだけをつまみとってまとめた文章を示されて、そこから交渉が始まります。「私はこんなことは言っていません」とか、「こういう言い方はしていないはずです」とか、「これはそういう意味ではありません」とか……。いくら交渉しても、言いたいことを書いてもらえるわけではないので、私の説明通りの調書にはなりません。それでも、せめて嘘の内容は入れさせないために、それから誤解を受けるような表現をできるだけ避けようと、一言一句の確認に本当に神経を遣いました。
これは、私が仕事のうえで、部下が作った文章を読んでチェックしたりすることに慣れていたり、国会などで、一つひとつの表現に気を遣う答弁をする経験をしてきたから、できたのかもしれません。
取り調べ検事としては、遠藤検事はまだいい方だったように思います。逮捕された直後に、トイレに行くのに付き添ってきた女性の事務官からこっそりと「遠藤検事でよかったですよ。遠藤検事ならあなたの話をよく聞いてくれますよ」と言われました。「ということは、被疑者の話を聞いてくれない検事もいるんだな」と思いつつも、少しほっとしたことを覚えています。遠藤検事は、取り調べが一段落すると、自分でパソコンを打って調書を作っていました。下書きができると、プリントアウトして付箋と一緒に渡してくれたので、私はよく読んで、気になるところを一つひとつ言っていきました。検事は、すんなり直してくれることもありますが、「あなたはそう言ったじゃないか」と抵抗されることもありました。そういう時には、「私が言った意味は……」と説明をし、交渉します。
遠藤検事の口調は、ごく普通で、怒鳴られたりしたことはありません。ただ、一度、心の底から怒って抗議したことがあります。それは、私の「罪」について、遠藤検事が「執行猶予がつけば大した罪ではない」と言った時です。検事さんとしては、執行猶予がついて刑務所に行かなくて済めば、たとえ有罪になっても大したことではない、という感覚のようです。これは、とうてい受け入れられるものではありませんでした。
「検事さんの物差しは特殊ですね。われわれ普通の市民にとっては、犯罪者にされるかされないか、ゼロか百かの問題です。公務員として30年間築いてきた信頼を失うか失わないか、そういう問題なんです」と泣いて訴えました。この時のことは、今思い出しても、涙がこみ上げます。検察は、そういう感覚で、人を罪に問うているのでしょうか。
この時の取り調べは、私が泣いたので、休憩になりました。しばらくあとで、取り調べが再開された時、遠藤検事は私の前に座るなり、「村木さんは物差しが違うと言われましたが、そうかもしれません」と言いました。私は、「職業病のようなもので、感覚が麻痺しているのかもしれませんね」と感じたことを投げかけてみました。
「執行猶予なら大したことない」という言葉は、後に國井弘樹(くにいひろき)検事にも言われました。検察官出身の弁護士から、善意で「いつまでもトラブルを抱えていないで、さっさと終わらせて新たな人生を歩んだ方がいい」というアドバイスをいただいたこともあります。そういう感覚は、検事全体に共通している職業病のようです。毎日、被疑者と向き合って暮らしていると、そうなるのは無理もないのかもしれませんが……。
取り調べが始まって10日目、遠藤検事がそれまでのまとめの調書を作りました。いつもは、遠藤検事が私の前で自分でパソコンを打つのですが、その時には長文の調書をあらかじめ印刷して持ち込んで来て、「詳しい調書を作ったので見てください」と渡されました。それを読むと、私が言ったこともない、他人の悪口がたくさん書いてありました。みんなが嘘をついているとか、上村さん一人に刑事責任があるとか、倉沢さんは嘘つきだとか……。これには、本当に腹が立ちました。これまで誠実に取り調べに対応していたのに、まとめの調書でこれか……と。当時は、事件の真相はまったくわからず、上村さんが本当は何をしたのかもわからなかったので、誰かを犯罪者にしたり嘘つきにしたりするようなことは絶対に言わないよう、特に心掛けていました。とてもサインできるような調書ではありませんでした。
「私とは全然人格が違う人の調書です。サインできません」と断りました。すると遠藤検事は、「どこがダメなんですか? 立派な否認調書だと思いますよ。直したい部分を言ってください」と驚いているふうでした。
私は、「部分的に直して済む問題じゃありません。人格が違います」と答えました。すると遠藤検事は、「これは検事の作文です。筆が滑ったところがあるかもしれません」と素直に認めました。遠藤検事が調書を自分で直すことになり、取り調べはいったん休憩になりました。取り調べが再開されて、作り直した調書を読むと、「筆が滑った」ところはすべてなくなっていました。たった一ヵ所だけ、「倉沢さんが言っていることはデタラメだ」という部分は、「村木さん、一回言いましたよ」と言うので、そこは残すことに同意しました。
何度も読み直して細かいところも修正し、「これで結構です。サインします」と私が言うと、遠藤さんは「最初とだいぶニュアンスが変わっちゃったんで、ちょっと上に確認してきます」と、調書を私から取り上げ、持って出ていってしまいました。主任検事の了解を取りに行くようでした。これだけ真剣勝負のやりとりをして作った調書を、私の供述を一言も聞いていない上司に見せて、それでだめだと言われたら、私に調書を直せとでもいうつもりなのでしょうか。検事は「独任官」として一人ひとりが権限や責任をもって取り調べを担当しているのかと思っていたからこそ、私も必死に説明したのに、とがっかりしました。

 


解説
執行猶予がつけば大した罪ではない」と言った遠藤検事に対して、村木厚子さんは泣いて抗議しました。
検事さんの物差しは特殊ですね。われわれ普通の市民にとっては、犯罪者にされるかされないか、ゼロか百かの問題です。公務員として30年間築いてきた信頼を失うか失わないか、そういう問題なんです」と。

検察で長く仕事をしていると、市民感覚が薄れていくのでしょうか。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第1章 その2

2023-04-08 01:58:26 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
■第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


「検事の土俵」

逮捕されたのは、09年6月14日午後5時半頃です。
家族の連絡先を聞かれたので、バッグの中の携帯電話を取り出して電話番号を調べるふりをして、こっそり「たいほ」と三文字だけ打ちこんだメールを夫に送りました。漢字に変換する余裕はありません。夫は海外出張中でしたが、伝えれば一人で留守番をしている高校三年生の次女のことは、なんとかしてくれるだろうと思いました。子どもたちが、私の逮捕を報道で知るということだけは避けたかったのです。
逮捕状を見せられ、逮捕を告げられた後、移送車で拘置所に移されました。幸いにもカーテンで覆われていて、外から私の姿は見えないようになっていましたが、無数のフラッシュが焚かれているのがわかりました。
拘置所では着ている服を全部脱いで、身体検査をされ、指紋、掌紋も取られました。灰色の上下のトレーナーを着せられて写真を撮られてから、タオルや歯ブラシ、食器など最低限のものを渡されて、自分の部屋に連れていかれました。畳二畳にトイレと洗面台のついた個室です。就寝時間が過ぎていたので、暗く静かな部屋に入り布団を敷きました。「ここまではマスコミは来ない」――そう思ったら、自分でも驚いたことに朝まで熟睡していました。
逮捕されてからは、今度は拘置所の取調室で取り調べが行われました。狭い部屋で大きな机の向こう側に検事、こちらに私が座ります。私の座るパイプ椅子は床に固定されています。これは椅子を持ち上げて検事に襲いかからないようにするための工夫のようです。検事の机の横には事務官の机と椅子があって、事務官の椅子の後ろはすぐ壁という構造です。これも事務官の横を通りぬけて、被疑者が検事に襲いかかれないための工夫でしょう。取り調べはお昼過ぎから始まり、休憩や夕食をはさんで、夜の10時頃まで続くというのが平均的な形でした。拘置所の就寝時間は9時なので、みんなが寝静まった頃、刑務官に連れられて、拘置所の居室に帰るという毎日でした。
勾留第1日目の取り調べで、遠藤検事からいきなりこう聞かれました。
「勾留期間は10日、一回だけ延長ができるので20日間です。そのうえで、起訴するかどうか決めますが、あなたの場合は起訴されることになるでしょう。裁判のことは考えていますか」
それなら何のために20日間も取り調べをするのだろうと思いました。よく話を聞き、事実を調べて、本当に犯罪の嫌疑があるのかどうか確認するのではなく、もう結論は決まっている、というわけです。
遠藤検事は、こうも言いました。
「私の仕事は、あなたの供述を変えさせることです」
それなら、真実はどうやったら明らかになるんだろう、と思いました。その手段を持っている検察がそういう姿勢なら、いったい真相解明は誰がやってくれるのか、と。
それでも、取り調べに協力する姿勢は変えてはいけない、と思っていました。厚生労働省は捜査に協力するという方針でしたし、私が知らないこととはいえ、役所で起こった犯罪です。黙秘したりせずに、捜査には協力しなければ、と思っていましたから、どんなことでも聞かれたことには正直に、誠実に答えていました。
取り調べでは、検事はとにかく「倉沢が会いにきたはずだ」と言うわけです。「会った」という記憶なら確実ですが、記憶にないからといって「会っていない」とはなかなか言い切れない。検察はそれを上手に使って攻めてくるのです。
最初に倉沢さんが挨拶にやってきたという、事件の「入口」については、厚労省の職員たちも証言をしている、というのです。私が倉沢さんを上村さんの前任の係長に引き合わせ、手続きを説明してあげるように指示したことになっていました。遠藤検事から、「『入口』については、みなの供述が一致しているのに、なぜあなた一人だけ記憶がないのか」と問い詰められました。「長い裁判を考えたら、認める気はないか」とも何度も言われました。
「なぜ記憶にないのか」と聞かれても困ります。ただ、そんなにみんなが会っているというなら、もしかしたら会っている可能性もあるのではないか、とは思いました。それでも、やってもいないことまで認めるわけにはいきません。検事の言うことと私の話は、ずっと平行線のままでした。
逮捕後も、「会っていない」と言い切る表現になっている調書が作られました。遠藤検事は、訂正の申し入れにはわりと応じてくださる方でしたが、この部分は、何度訂正を申し入れても、受け入れられず、根負けしてしまいました。
でも、こうしたことが続けば続くほどこれはワナではないかと、不安が募りました。もし、私が倉沢さんに一度でも、短時間でも会ったことを示す証拠があった場合、「会っていない」と言い切る調書があると、私が嘘をついた、ということにされてしまうのではないか……と。村木は嘘つきなので、否認していることも信用できない、という印象を裁判所に与えるために、わざと「会ってない」と言い切る調書を作っておこうとしているのではないか、と思いました。接見に来てくださった弘中弁護士に相談した結果、そのことを私が弘中弁護士のもとへ手紙に書いて送り、公証役場で確定日付をとって証拠化することになりました。先生が抗議してくれたためか、後になって「会った記憶がない」という表現の調書を取り直してもらいました。私の手帳や業務日誌に倉沢さんの名前は一度も出てきませんし、のちに弁護団が倉沢さんの保管していた膨大な数の名刺を調べてくれましたが、私の名刺は出てきませんでした。検察は、そういう私にとって有利な情報があることは何も教えてくれません。
初めにこういうことがあったので、納得がいかない調書には絶対にサインしない、と心に誓いました。とはいえ、調書作りでは、向こうはプロ。こちらは、まったくの素人です。 今日初めてグラブを着けた素人が、レフェリーもセコンドもいない状態でリングに上げられて、プロボクサーと戦わされるようなものです。弘中弁護士がこんなアドバイスをくださいました。
「村木さん、残念だけど、検察の取り調べというのは公平公正じゃない。裁判官というレフェリーもいないし、弁護人もついていない。今いるところは、検事の土俵なんだと思いなさい」
それを聞いて、「検事の土俵」で、私が勝つなんてありえないんだ、と分かりました。そうすると、私がやらなければならないのは、負けてしまわないこと。負けてしまわないというのは、やってもいないことを「やった」と言わないことです。きちんと自分の言ったことを書いてもらうなどということはあきらめて、嘘の自白調書を取られないということだけを目標とすることにしました。
いくら「検事の土俵」とはいえ、調書作りの方法には驚かされました。私はそれまで、調書というものは、被疑者や参考人が喋ったことを整理して文章化するものだと漠然と思っていました。ところが実際の調書の作り方はまったく違ったものでした。
検察は、自分たちが想定しているストーリーに沿って、それに当てはまるような話を私から一生懸命聞き出そうとします。それに対して、私は一生懸命反論をします。長時間そういうやり取りをした後、私の話の中から検察側が使いたい部分を、都合のいいような形でつないでいきます。彼らにとって都合の悪いことは、いくら話しても調書には書かれないのです。

 


解説
調書作りでは、向こうはプロ。こちらは、まったくの素人です。 今日初めてグラブを着けた素人が、レフェリーもセコンドもいない状態でリングに上げられて、プロボクサーと戦わされるようなものです。弘中弁護士がこんなアドバイスをくださいました。
「村木さん、残念だけど、検察の取り調べというのは公平公正じゃない。裁判官というレフェリーもいないし、弁護人もついていない。今いるところは、検事の土俵なんだと思いなさい」
それを聞いて、「検事の土俵」で、私が勝つなんてありえないんだ、と分かりました。

取り調べで自分に不利な調書を書かせないための闘いがいかに困難なことかが分かります。


いくら「検事の土俵」とはいえ、調書作りの方法には驚かされました。(中略)検察は、自分たちが想定しているストーリーに沿って、それに当てはまるような話を私から一生懸命聞き出そうとします。それに対して、私は一生懸命反論をします。長時間そういうやり取りをした後、私の話の中から検察側が使いたい部分を、都合のいいような形でつないでいきます。彼らにとって都合の悪いことは、いくら話しても調書には書かれないのです。

検察、おそるべし。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第1章 その1

2023-04-07 01:46:25 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
■第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


■第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ

 

まったくわからない“事件”

事件を知ったのは、2009年春頃のマスコミの報道でした。「凜の会」という偽の障害者団体が、障害者団体の定期刊行物の郵便料金が格安になる低料第三種郵便の制度を悪用し、倉沢邦夫元会長はじめ何人かが逮捕されたというものでした。そのうち、その団体は厚生労働省発行の証明書を使った、と報じられるようになりました。私にも、取材がありました。それで担当の部署に確認すると、決裁文書も何も残っていない、とのことでした。役所では、文書を発行すれば、必ず決裁文書が残ります。ですから、それを聞いて、「うち(厚労省)は出してないのか。だったら、団体が偽造したのかな」と思っていました。
ところが、09年5月26日、上村勉(かみむらつとむ)係長が逮捕されました。職員が関わっていたんだ……と愕然としました。数日して、厚労省が組織的な関与をしているといった、とんでもない情報が流れ始めました。元障害保健福祉部長の塩田幸雄(しおたゆきお)さんのところにも家宅捜索が入りました。かつての部下が逮捕されて、元上司も取り調べを受けている、という状態です。塩田さんからは電話で「何か記憶ある?」と問い合わせがあり、互いに「何もないよね」と確認しあいました。ところが、その直後、その塩田さんが「政治家から頼まれた」とか「課長に指示した」と検察に話していると報道されました。そのうち、今度は、上村さんが「課長に指示された」と述べている、という報道が大きく新聞に報じられました。課長というのは、問題の証明書が作られた当時、企画課長だった私のことです。報道では、証明書の発行は石井一(いしいはじめ)参議院議員(04年当時は衆議院議員)から頼まれたいわゆる「議員案件」で、塩田部長の指示を受 けた私が係長の上村さんに指示し、私が団体に証明書を渡したということになっていました。「こんなふうに書かれていますけど、どうですか」と取材されましたが、こちらはちっとも事情が分からず、「書いた記者に聞いてください」と言いたい気持ちです。記者たちに追いかけられて自分の執務室にいることができず、別の部屋に隠れて仕事をしなければなりません。トイレに行く時も、あたりを見回し、走ってトイレに駆け込むというありさまでした。
この頃、私は雇用均等・児童家庭局長として、子どもを持つ従業員のための短時間勤務制度の義務づけや、父親が育児休業を取りやすくするための育児・介護休業法改正に取り組んでいました。法案は衆議院で審議されていて、私が国会に出て行かないわけにはいかない。国会に行けば、記者につかまるし、議員からも事件についての質問が出るようになってくる。でも、私は事件について何も知らないので、答えようがありません。中には、法案についての質問も、「こういう問題になっている局長の答弁は受けられない」と言う議員もいて、そうなると質問は全部大臣に行ってしまう。本当に申し訳なかったのですが、舛添要一(ますぞえよういち)大臣は嫌な顔一つせず、「僕がやるからいいよ」と言ってくださった。本当に助けられました。家にも取材が来るので、帰るに帰れず、ホテルに泊まったり、一人暮らしをしていた長女のアパートに泊まったりするようになりました。
同僚が、「非常にいやな感じがする。早く弁護士に相談した方がいい」とアドバイスをくれて、弘中惇一郎(ひろなかじゅんいちろう)弁護士を紹介してくれました。私はメモ魔で、自分で管理するスケジュール用の手帳の他に、パソコンで業務日誌をつけていました。それを何度も見て、凜の会の名前も、倉沢さんや石井議員の名前も一切出てこないのを確認したうえで、その手帳や業務日誌を持って弘中弁護士の事務所を訪ねました。弘中弁護士からは、何も隠したり捨てたりしないようにと指示され、手帳などの写しをお預けしました。
他の職員は次々に検察に呼ばれているようでしたし、塩田さんは何度も事情聴取を受けているらしい。なのに、私だけいつまでも呼ばれず、それでも報道では自分の名前が飛び交う。こういう非常に気持ちの悪い状態が続きました。
ようやく私のところに「大阪地検まで来てください」という連絡が来た時には、むしろ「これでやっと話を聞いてもらえる」と、ほっとしました。呼び出しが来たことを弘中弁護士に報告すると、「事情を聞くのは東京でやってほしい、と交渉してもいいが、大阪への出頭を断ったということにして逮捕されたりするのもいやだから、行った方がいいでしょうね」という話がありました。この時に初めて、「ああ、逮捕の可能性があるんだ」と思いました。事件についてはまったく知らなかったので、自分が逮捕されるということが、全然想像できなかったのです。
呼ばれたのは日曜日でした。前日には大阪に入り、朝、出かける支度をしていると、「記者が張っているから早めに来ませんか」と電話があり、大急ぎで大阪地検に向かいました。記者が張っているのも、元はと言えば、検察庁からの情報漏れがあるからではないかと思うのですが……。
担当は遠藤裕介(えんどうゆうすけ)検事で、検事の執務室で事情を聴かれました。ただ、事情を聞いてもらうといっても、事件については何も記憶にないわけですから、私の方からあまり話すことはありません。聴かれたのは、主に次の三点でした。

①凜の会代表の倉沢さんに会っていないか、何か頼まれごとをしていないか。
②証明書の発行について、政治家から依頼を受けたり、上司から指示がなかったか。部下に指示をしなかったか。
③出来上がった証明書を部下から受け取り、凜の会側に渡した事実はないか。

いずれも、まったく記憶にないことでした。なので、私は次のように答えました。

①凜の会とか倉沢さんとかは、記憶にありません。ただ、これまで会った人を全員覚えている自信はありません。普通に証明書が欲しい、ということで来られれば、担当を紹介することはあるかもしれませんし、それだけなら、会ったとしても覚えていない可能性もあります。
②胡散臭い団体なんだけど国会議員の依頼だからやってくれなんて、そんな指示を受けたことはないし、そんな異常な話であれば覚えているはずです。議員の依頼でも、違法なことはやりません。議員の方々も、それを説明すれば分かっていただけます。だいたい、そんなことをすれば、むしろ議員を違法行為に巻き込んでしまうことになります。ましてや、私が係長に違法なものを作れと命令するなんて、これは絶対ありえません。
③役所が出す証明書は、郵便で送るのが普通です。直接手渡すなんていう異常なことをやれば、覚えているはずですから、これも絶対ありえません。
ところが、出来上がった調書を見ると、「私は倉沢さんに会ったことはありません。凜の会のことは知りません」と完全に否定の文章になっています。私は、「会っていて、忘れていることもありえる」と何度も説明したのですが、どうしても直してもらえません。「調書というのはそういうものですから」と。「調書というのは客観的事実ではなくあなたの記憶なんですから、これでいいんです。また思い出したら、その時に別の調書を作るから」と言われ、結局押し切られてしまいました。
後でわかったことですが、検察は、すでにほかの関係者から、「私と倉沢さんが会っていた」という調書を取っていて、私が倉沢さんと会ったことを否定する、つまり私が嘘をついているという調書を作りたかったようです。そういう調書を作らないと、私を逮捕できなかったのでしょう。

 


解説
出来上がった調書を見ると、「私は倉沢さんに会ったことはありません。凜の会のことは知りません」と完全に否定の文章になっています。私は、「会っていて、忘れていることもありえる」と何度も説明したのですが、どうしても直してもらえません。「調書というのはそういうものですから」と。「調書というのは客観的事実ではなくあなたの記憶なんですから、これでいいんです。また思い出したら、その時に別の調書を作るから」と言われ、結局押し切られてしまいました。
後でわかったことですが、検察は、すでにほかの関係者から、「私と倉沢さんが会っていた」という調書を取っていて、私が倉沢さんと会ったことを否定する、つまり私が嘘をついているという調書を作りたかったようです。

私(獅子風蓮)など、相手の主張に合わせて妥協しがちなところがありますが、調書の作成においては妥協は禁物だと言うことが、よく分かります。
「私は倉沢さんに会ったことはありません」という完全否定の文章と、
「会っているかもしれないが覚えていない」というのは似てはいますが、全く違う文章です。
少しでも会ったことがあると判明すれば、完全否定の文章が調書に残っていると「嘘つき」だということになってしまうのですね。
検察おそるべし。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』 はじめに 

2023-04-06 01:37:06 | 冤罪

袴田事件ですが、今年3月13日、東京高裁は2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をしました。
これにより、無罪への道が大きく開けました。
それにしても、警察が証拠を偽造していたなんて驚きですね。

最近起こった冤罪事件では、「郵便不正事件」に関する厚生省官僚である村木厚子さんに降りかかった冤罪が記憶に新しいです。

これは、検察が作り出した冤罪でした。

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
■はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


■はじめに

「郵便不正事件」で私が逮捕されてから4年余が経過しました。洪水のようなマスコミ報道、逮捕、取り調べ、起訴、164日間の勾留、裁判、無罪判決、そしてフロッピーディスクの改竄の発覚……、遠い昔のことのように感じる時もあれば、ふとした瞬間に生々しく当時の感情がよみがえってくることもあります。
有罪率99パーセントの日本の司法の中で、私は幸いにも無罪判決を得ました。さらに幸い なことに、検察が控訴を断念したことによって、「被疑者」「被告人」という立場から1年3ヵ月ほどで解放されました。今振り返ってみても、本当に幸運だったと思います。第一に心身ともに健康で、拘置所の生活でも健康を崩すことはありませんでした。第二に収入の安定した夫がいて、私が被告人となって収入がなくなっても家族の生活を心配する必要がありませんでした。第三に素晴らしい弁護団に巡り合うことができました。第四に、「客観証拠」という基本を重視する裁判官が公判の担当でした。第五に家族が200パーセント信頼して一緒に闘ってくれました。第六に多くの友人、職場の仲間が、物心両面でサポートをしてくれました……。
数え上げたらきりがありません。こうした多くの幸運のおかげで、私は、虚偽の自白に追い込まれることなく否認を貫き、裁判を闘いきることができたのです。別の言い方をすれば、こうした多くの幸運が重ならないと、いったん逮捕され、起訴されれば無罪を取ることは難しいのです。
検察の無理な取り調べ、ずさんな捜査、あってはならない証拠の改竄という事実に愕然とし、検察の在り方に疑問を呈し、検察改革を望み、また、訴えてきました。「こんなことはあってはならない」と。そして、捜査機関は反省し、取り調べをはじめとする捜査の在り方も改善が進んでいると期待していました。
しかし、その期待を見事に裏切る事件が起きました。PC遠隔操作事件です。4人の方が誤 認逮捕され、そのうち二人はまったく身に覚えがないにもかかわらず「自白」をしています。犯人しか知りえない、具体性、迫真性に満ちた「供述調書」も作成され、ご本人がサインをしています。この4人のうち2人という確率に、なるほどと妙に納得しました。というのも、郵便不正事件で厚生労働省の当時の関係職員が10人取り調べを受けた中で、私が関与したという調書を取られた職員が5人、これを否定した職員が私を含めて5人。このときもちょうど確率2分の1だったのです。取り調べを受けた経験のない人は、この高確率を不思議に思うでしょう。しかし、今の警察、検察の取り調べを受ければ、半分の人は虚偽の自白、証言をしてしまうのが現実なのです。そして、多くの裁判では、その調書が、「具体性、迫真性がある」として証拠採用され、有罪の根拠とされるのです。
大学生の我が娘が、授業で冤罪事件の典型ともいえる足利事件を題材に議論したそうです。 菅家利和(すがやとしかず)さんは虚偽の自白に追い込まれ、有罪判決を受けて服役。獄中生活は17年に及びました。多くの学生が、「菅家さんは弱かったから虚偽の自白をしたんだ」と主張したということです。取り調べの実態を多くの人が理解していないことを、娘はカウンセリングをやっている心理学の専門家に嘆き、どう説明すればいいのかと問いかけました。するとこんな答えが返ってきました。
「弱いから自白するんじゃない。弱いところを突かれて自白するんだ」
弱いところのない人間はいません。誰もが虚偽の自白をする可能性を持っているのです。私 も自分が経験するまでは、何でやってもいないことを自白するんだろうと思っていました。しかし、今はよくわかります。誰もが事件に巻き込まれる可能性がある。巻き込まれれば、 2人に1人は自白する。そして有罪率は99パーセントです。
私が事件に巻き込まれたのは、私が証明書の発行という権限を持つ人間であったこと、また、この事件が私の部下が引き起こした犯罪であり、私には管理責任があったことなど、それなりの所以のあることです。裁判終了後、私は、この件で監督責任を問われ処分を受けており、この点で深く責任を感じています。しかし、PC遠隔操作事件のように、何の関連もない、何の落ち度もない人も時として事件に巻き込まれるのです。そして、しつこいようですが、まったく身に覚えがなくとも2人に1人は自白に追い込まれるのです。そしてその調書が裁判の有力証拠として採用される……。
今の日本の刑事司法は多くの問題を抱えています。「郵便不正事件」だけではなく、「取調べ及び供述調書に余りにも多くを依存してきた結果、取調官が無理な取調べをし、それにより得られた虚偽の自白調書が誤判の原因となったと指摘される事態が見られる」(「新時代の刑事司法制度特別部会」2013年1月「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」)として、「取調べや供述調書への過度の依存」から脱却するための新しい司法制度の在り方を議論する法制審議会特別部会の議論が始まっています。
法制審の議論は、法律の専門家でない私たちにとっては専門的で分かりにくいものです。し かし、誤認逮捕も虚偽の自白も決して他人事ではありません。私たち誰もの身に降りかかるかもしれないことなのです。大きな課題を抱えている刑事司法の改革に、多くの方に関心を持ってほしい。
そこで、郵便不正事件を振り返り、いったい何が起きたのか、取り調べや勾留、裁判がどう
いうものだったのか、皆さんに広く知ってもらおうとこの本を出すことを思い立ちました。 夫は、この事件をこんなふうに言います。「得難い経験だけど、二度と味わいたくない経験」。私も二度とこんな経験はしたくありません。そして誰にもこんな思いを味わってほしくないと思っています。そのためにどんな刑事司法改革が必要か……。 この本がそれを皆さんと一緒に考えるきっかけとなれば幸いです。

 


解説
有罪率99パーセントの日本の司法の中で、私は幸いにも無罪判決を得ました。さらに幸い なことに、検察が控訴を断念したことによって、「被疑者」「被告人」という立場から1年3ヵ月ほどで解放されました。今振り返ってみても、本当に幸運だったと思います。

私たちはみな、ある日突然警察に逮捕されたり検察に呼ばれたりして、身に覚えのない罪を着せられる可能性があるのです。
そして、すべての人が、村木厚子さんのように幸運に恵まれるという保証はありません。
全ての国民、必読の書です。

獅子風蓮