獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子のあゆんだ人生

2024-01-11 01:45:04 | 藤圭子

以前アメブロで、宇多田ヒカルの「花束を君に」を紹介しました。

亡き母への手紙:宇多田ヒカル「花束を君に」(2023-10-17)

記事の中にも書きましたが、「花束を君に」は、亡き母・藤圭子さんへの手紙だったのですね。

「藤圭子」は、私にとっても忘れられない歌手です。
もっと「藤圭子」のことを知りたいな。

少し調べてみました。

藤圭子
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年〈昭和26年〉7月5日 - 2013年〈平成25年〉8月22日)は、日本の演歌歌手・俳優。本名:宇多田 純子(うただ じゅんこ)。旧姓:阿部(あべ)。
最後の夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、子はシンガーソングライターの宇多田ヒカル。
元夫は歌手の前川清。
1960年代末から1970年代初頭にかけ、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌』)を、ドスの効いたハスキーボイスと凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。
代表曲は『新宿の女』『女のブルース』『圭子の夢は夜ひらく』『京都から博多まで』など。
他の歌手のヒット曲も幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと評される。『うそ』をカバーされた中条きよしは「こんなにうまく歌われたらたまんないよ」と作曲した平尾昌晃に伝えた。

来歴:
浪曲師の父・松平国二郎こと阿部壮(つよし)、同じく浪曲師であり曲師でもある母・阿部澄子こと竹山澄子(2010年に死去。享年80)との間に3人きょうだい末子・阿部純子として父の出身地でもある岩手県一関市の県立磐井病院にて巡業中に生誕する。
一家は純子が生まれてまもなく母親の実家のある北海道名寄市へ渡道し、道内・東北を中心に祭り・炭鉱・寺の御堂・旧家大広間などを旅回りの巡業をしながら細々と生計を立てていた。仕事のないときは、長女富美恵に乳飲み子の純子を背負わせ、澄子は三味線を抱え、国二郎は長男・博(のちの歌手・藤三郎)の手を引き風呂敷包みを背負いながら一軒一軒農家を廻り営業した。純子3歳の時に姉の小学校入学から旭川市に定住。
一家の生活は赤貧洗うが如し厳しきもので、純子が幼い頃は市内の忠別橋上流の通称サムライ部落で雨風を凌いで暮らした。純子が幼い頃澄子は下駄で忠別川の氷を割って、おしめを洗っていたとの証言もある。
小学校に入った後も転校を繰り返し、純子が4年生の頃旭川市立大有小学校に転入した当時の担任は「在学証明書を一度に4~5枚も重ねて提出してきたことにまず驚かされた」と語る。旭川市旭町にあった住まいは、畳もなく、床が剥き出しで、裸電球一つぶら下がる部屋であった。両親が巡業から戻るのが遅くなり食費に困った幼い兄弟は納豆や豆腐を売り歩き日銭を稼ぐこともあったという。小学校5年になり客前で初めて歌った(畠山みどり「出世街道」)ところ大反響を得、その後学校の休みの日に両親の巡業に同行(中学3年夏の岩見沢への転居まで続ける)。結果一家の収入も増え神居に家を建て5年生の夏、旭川市立神居小学校に転校。旭川市立神居中学校3年の夏まで過ごす。岩見沢の温泉施設「きらく園」で住み込みの専属の歌手として請われ両親と共に岩見沢へ転居。
1967年3月北海道の岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業。勉強好きで成績優秀だったが、家計を支えるために、高校進学を断念。1967年2月に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで急きょ代役として出場、北島三郎の「函館の女」を歌った。居合わせた作曲家・八洲秀章がその才能を評価し両親に上京を勧めた。
中学の卒業式の日に両親と上京。西日暮里のアパートに住み八洲秀章のレッスンを受け歌手 島純子として「ホテル層雲小唄」「島牧音頭」「島牧小唄」「火まつり音頭」などを録音し、北海道出身の八洲氏に連れられ活動した。この時期、蕎麦屋の店員や錦糸町や浅草などで母と流しをして生活した。
その後、作詞家の澤ノ井龍二(石坂まさを)と知り合う。石坂まさをは純子の歌う「星の流れに」「カスバの女」を聴きドスの効いた声と人生の哀愁をにじませた退廃的な歌い方に圧倒されスカウト。石坂まさをの自宅に住み込み弟子となりレッスンを受ける。いくつかのレコード会社のオーディションを受けるが全て不合格。石坂まさをからRCAレコードの当時のディレクター榎本襄(現・音楽プロデューサー)を紹介。純子の歌う「星の流れに」「カスバの女」を聴いた榎本襄も同じく圧倒され他社からデビューが決まっていたところを断り自社からのデビューを強く勧めた。石坂まさをは東芝専属作詞家を辞し「藤プロ」という個人事務所としてスタート。三人でデビュー曲を練り、1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、石坂まさをと組んでヒット曲を連発。オリコンチャートで、ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。なお、内山田洋とクール・ファイブとの共作「演歌の競演 清と圭子」も含めると計42週連続1位となる。シングルにおいても「女のブルース」は8週連続1位、続く「圭子の夢は夜ひらく」も10週連続1位を記録し、18週連続1位という同一歌手での連続記録を残す。
(中略)
1971年、当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚するが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、翌1972年に離婚。
1974年、喉のポリープの手術を受けたことで、自身が強みと考えていた声の特徴が失われたと悩むようになり、引退を考え始める。
1975年2月、石坂まさをの澤ノ井音楽事務所から新栄プロダクションに移籍。
1979年10月17日、RCAレコード本社に於いて引退の記者会見を開き、1979年12月26日新宿コマ劇場で引退公演を行った、その後渡米する。
1981年7月29日に帰国。同年8月1日より「藤 圭似子」の芸名でニュージャパンプロダクションに所属し、RCAレコードからCBSソニーに移籍し、第一弾となるシングル「螢火」を発表した。
1982年に、宇多田照實と再婚。以降、照實との間で7回の離婚・再婚を繰り返す。
1983年1月19日、ニューヨークにて、長女・光を出産。網膜色素変性症を発症し視力が徐々に低下していた頃の出来事だったことから、「我が子から光が失われないように」という願いを込め「光」(ひかる)と命名した。その後、光を世界で通用する歌手に育てるため、1990年から照實とともに光を連れて初めて渡米、お金が足りなくなると日本に戻って歌い、お金が貯まるとまた渡米することを繰り返した。その際にはいくつかのテレビ番組にも顔を出しており、複数回出演した『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ)では光とのエピソードを交えつつ、当時のヒット曲を歌唱している。更に1996年11月26日に出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日)では当時13歳だったデビュー前の光の歌声を紹介した。光デビュー直前の1997年まではテレビ番組出演を続けており、1月27日放送の『ふたりのビッグショー』(NHK総合)では八代亜紀と共演、往年のヒット曲「女のブルース」など多数の曲を歌唱、八代と昔の思い出を語りあうなど健在ぶりを見せていた。
光が15歳となった1998年に宇多田ヒカルの名で歌手デビューし、これを機に藤も再び注目を浴びた。しかし、光のデビューと入れ替わるように自身は歌手活動を封印、以降ほとんどステージで歌うことはなくなった。
2013年8月22日午前7時頃、都内で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署は自死と断定。享年62歳。照實と光はそれぞれコメントを発表し、藤が1988年頃から精神疾患を患っていたことを公表した。
喪主を務めた光は「遺言書がある」と表明、葬儀は行わず本人の遺志に沿う形で宇多田父子ら親族関係者の数名が火葬に立ち会う直葬となり、のちに遺灰も海に散骨された。その後、藤の実家の阿部家側によって、ファン有志とともに「しのぶ会」が行われた。

エピソード:
沢木耕太郎 が1979年の引退を前に藤圭子にインタヴューした著書「流星ひとつ」(2013年)のあとがきで、水晶のように硬質で透明な精神。美しかったのは「容姿」だけではなかった。「心」のこのようにまっすぐな人を私は知らない。まさに火の酒のように、透明な烈しさが清潔に匂っていた。と語った。
(Wikipediaより)

藤圭子さんの人生は、まさに波乱万丈ですね。
もっと、藤圭子さんの内面に迫ってみたくなります。

そういうわけで、次回からは沢木耕太郎『流星ひとつ』(2013年)を読んでいきたいと思います。


獅子風蓮


『ブッダは語る ブッダは歩む』(4):「無神論者」の初詣?

2024-01-09 01:52:35 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんの著書の紹介も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
「無神論者」の初詣?(January 3, 2009)
引用します。


「無神論者」の初詣?

さて、よく「俺は無神論者だ」という人がいます。

「無神論」という言葉が、例えばヨーロッパではどのような戦いの中で、勝ち取られてきた言葉か――自称「無神論者」の人たちは理解しているのでしょうか。「神」の権威を振りかざす王や権力者との間で行われた戦いの熾烈さを、想起しているのでしょうか。少なくとも、「真の無神論者」は、真剣に信仰に生きている人をバカにしたりはしません。おそらく「真の無神論者」がもっとも嫌悪するのが、年中行事として形骸化した祭式でしょう。それこそが、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのですから。

しかし、日本の自称「無神論者」はしっかり、初詣には行くのです。神殿の前でしっかり「本年一年無病息災、商売繁盛」と祈るのです。言葉の厳密な意味で「真の無神論者」が最も批判するのは、日本的な「仮称無神論者」かもしれません。

「初詣は宗教じゃない。みんなやっている習慣なんだ」。しっかり神だのみしている事実を覆い隠すように「仮称無神論者」は言います。この「習慣」というのが曲者なのです。「習慣」とは、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのです。ミシェル・フーコーが「権力のまなざし」として感じ、ヴァルター・ベンヤミンが「勝者の歴史」と見抜いたものに通じるのです。そして、まさに仏教が疑問を投げかけた、サンカーラ(輪廻)そのものなのです。

祭祀の時祈願されるのは、自己の内面の深化にかかわる問題ではありません。富、健康、長寿など、そこで祈られるのは「今の自分」を延長することにしか過ぎません。神社などに初詣に行って「心豊かになりますよう」「人の痛みをわからせてください」とか「世界の平和」や「核兵器廃絶」を祈っている人は、あまりいないでしょう。そのような信仰の形からは、「今の自分」「今の社会」に対する反省や疑問はなかなか出てこないのです。

プンナカという弟子の「何故、世間では儀式は行われるのですか」という質問に、ブッダはこう答えました。


「人々が儀式を行うのは『今の自分』に執着しているからである。老いなど『今の自分』と異なるものに不安と嫌悪を抱くから儀式を行うのである」(『スッタ・二パータ』、V)


「今の自分」は「今の社会の仕組み」「今の世間の常識」に複雑に呪縛されています。「今の自分」「今の境遇」の延長に対する欲望は、「今の社会の存続」を何の疑いもなく、受け入れることになるのです。

 

【ブッダは歩む ブッダは語る】友岡雅弥著/第三文明社


解説
祭祀の時祈願されるのは、自己の内面の深化にかかわる問題ではありません。富、健康、長寿など、そこで祈られるのは「今の自分」を延長することにしか過ぎません。神社などに初詣に行って「心豊かになりますよう」「人の痛みをわからせてください」とか「世界の平和」や「核兵器廃絶」を祈っている人は、あまりいないでしょう。そのような信仰の形からは、「今の自分」「今の社会」に対する反省や疑問はなかなか出てこないのです。

創価学会を離れ「覚醒」した方の中には、世間の人が行く「初詣」に参加して喜びをかみしめている方も少なくないと思います。

しかし、本当にそれは真の信仰と言えるでしょうか。
友岡さんの言われるように、その時祈願されるのは、自己の内面の深化にかかわる問題ではありませんね。


獅子風蓮


『ブッダは語る ブッダは歩む』(3):歓待者=ブッダ

2024-01-08 01:41:39 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんの著書の紹介も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
歓待者=ブッダ(December 30, 2008)

(明らかな誤字脱字は訂正しました)
引用します。


歓待者=ブッダ

「歓待者はあくまでも、自らが放浪者、亡命者たることを知っており、またそれを望むからである」と、ルネ・シェレールは述べています。(『歓待のユートピア』安川慶治訳、現代企画室)。シェレールはフランスのラジカルな実験大学であったヴァンセンヌで、ミシェル・フーコーの後輩だった哲学者です。その時彼は、少年愛者というレッテルを貼られ、スキャンダルの渦中にありました。その時、フーコーが彼を教員にしたのです。シェレールだけではなく、様々な理由で、行き場のなくなっていた人々がここで、フーコーによって職を得ました。そういうフーコーの姿を想った上で読むと、この言葉はよく理解できます。

歓待――他人の存在そのものを、喜ばしいと感じ、自分のなかに受け入れること――そこには、自分と他の上下関係は一切存在しません。

「歓待」については、また第一部で詳しく述べましたが、ブッダこそ「歓待者」でした。どのような身分の人であっても、「ようこそおいでくださいました。こちらへ、どうぞ」と、敬語で語る人であることが種々の経典に出てきます(例、不浄物を清掃するスニータの受戒の時、『テーラ・ガーター』620以下)。

また、ブッダとその弟子たちのライフスタイルであった托鉢も、他者の「歓待」に生死を委ねるものなのです。他人の善悪が自分の生を維持してくれる、という確信に生きるのです。

つかれたでしょう。ようこそいらっしゃいました。
つかれたでしょう。どうぞ、こちらへ。

――こういう言葉が街角でたくさん語られるのが「豊かな社会」だと思います。

そういう意味から言えば、日本はどんどん豊かでなくなっているのかもしれません。日経平均株価、昨日のテレビ番組、「ウザイ」「イケテル」……。こういう言葉が行きかう街。

自らの心のただなかで、他者の苦しみや喜びを感じる勇気のもてる人。その人は、自分の苦しみから目をそむけない人でしょう。そして、真の喜びを知ることのできる人なのでしょう。

【ブッダは歩む ブッダは語る】友岡雅弥著/第三文明社


解説
つかれたでしょう。ようこそいらっしゃいました。
つかれたでしょう。どうぞ、こちらへ。
――こういう言葉が街角でたくさん語られるのが「豊かな社会」だと思います。

同感です。

獅子風蓮


『ブッダは語る ブッダは歩む』(2):人生の外で「イケてる?」

2024-01-07 01:29:11 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんの著書の紹介も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
人生の外で「イケてる?」(December 29, 2008)

引用します。


人生の外で「イケてる?」

「自分の人生の外にいる人」……。そうなのです。人生にはさまざまなことがあります。悪もあるし、善もある。例えば、人間関係でも、良かれと思ってしたことが、人を傷つけることもあるでしょう。それを恐れて、人づきあいを避けていては、豊かな人間関係はいつまでも形成されません。

もちろん、人生には悪はつきもの、だから、何をしてもいい、開き直れ、というのではありません。悪を避けるところには、善は生じないということです。

精神病理学者の野田正彰さんは、現代の日本社会に蔓延する雰囲気を、「多幸(euphoria)」と分析しています。「多幸」とは、アンフェタミンや大麻、コカイン、過剰の揮発性吸入剤などの薬物中毒に典型的に見られる症状(アメリカ精神医学会の精神疾患分類、DSM-VI基準による)で、空虚な爽快感。簡単にいえば、自分がどのような状態にあろうがそれを気にせず、イケてる気分でいられることです。もちろん、多幸は自分の状態をよーく理解して、よーしがんばろうと決意して、少しの辛さを心に秘めて少し幸せな気分になるのとは、ちょっとちがいます。

また、そのようなこの時代の気分を、気鋭の社会学者、森岡正博さんは、「無痛文明(雑誌『第三文明』19996月号を見てください)」と評します。

傷みや、辛さや悩みがないことを幸福と考える「多幸社会」「無痛社会」。それは幸福ではないのです。

『ブッダは語る ブッダは歩む』(友岡雅弥著/第三文明社)


解説

傷みや、辛さや悩みがないことを幸福と考える「多幸社会」「無痛社会」。それは幸福ではないのです。

同感です。

 

獅子風蓮


『ブッダは語る ブッダは歩む』(1) 深刻なる楽観主義者 

2024-01-06 01:44:49 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんの著書の紹介も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
深刻なる楽観主義者 (1)(December 27, 2008)


深刻なる楽観主義者 

「認識においては悲観主義、意志においては楽観主義」

事態を深刻に憂慮する人は、自分がいまやらねばと考えます。そして、率先して行動するのです。このような「深刻なる楽観主義者」ゴータマ・ブッダの実像をできるだけ正確に描くことも、この本の目的です。

認識においての楽観主義者は、事態を甘く見たり、他人をあてにしたりして「別に自分がしなくてもいいだろう。誰かがやってくれるだろう」「別に今しなくてもいいだろう。いつかやればいいだろう」と、たかをくぐります。こういう人は、実際の行動場面では、むしろ消極的、悲観的で、「いざ行動」という段になると、不安でいっぱいです。

いい意味の楽観主義者は、認識においては悲観主義者です。事態を真剣に考えます。時には、「深刻」に考える場合もあるかもしれません。様々な事態を想定しながら、行動を開始し「大丈夫、いつか必ず成功する。だから今は大変だけれどがんばろう」と、行動を続けるのです。ブッダは、現状認識を曇らせる甘い幻想を排除します。私たちと幻想との蜜月関係は存在しません。幻想の破壊者としてのゴータマ・ブッダにできるだけ迫りたいというのも、この本の目的です。「幻想」を破壊し、「希望」を与えるブッダです。

『ブッダは語る ブッダは歩む』(友岡雅弥著/第三文明社)

 


解説
「認識においては悲観主義、意志においては楽観主義」

いいですね。
私も座右の銘にしたいと思います。

 

獅子風蓮