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朝昼晩、時間を問わず飲んで喰って面白おかしく過ごす人生を歩みたいです。※旧名「日が沈む前に飲む酒はウマい」

もっと通いたかったお店 東村山『小島屋』

2022年11月29日 | そば、うどん
以前も述べたが、私がうどんを好きになり、食べ歩くようになったのは、今から5年前の2017年。
きっかけとなったお店は、吉祥寺の『うどん白石』だ。

※つい先日食べた、「かけ」+「生卵」の月見うどん


※汁を先に飲み釜玉風にする、「マツコ式」を試してみた

その数年前、初めてうどんをウマいと思ったのが、下高井戸の『JAZZ KEIRIN(ジャズケイリン)』
ついでに、初めて知ったうどん専門店は、おそらく『山田うどん』、現『山田うどん食堂』だが、
初めて知ったうどんの名店は、たぶん東村山の『小島屋』。山田うどん、「非名店扱い」でゴメン。

小島屋さんを知ったのは、私が尊敬するライター・伊丹由宇先生の著書「こだわりの店乱れ食い」にて。
青年漫画誌ビッグコミックオリジナルの連載コラム「こだわりの店 不親切ガイド」をまとめた書籍で、
伊丹先生が絶賛した、私の地元多摩地区・東村山のうどん屋さんということで、記憶に残ったのである。
ただ、書籍が発売されたのは2001年。この頃の私は、うどんを目当てに出かける習慣はなかった。
その後、TVや雑誌で小島屋さんは何度も取り上げられ、有名なお店だということも判明したのだが、
私自身は相変わらず、「近くに行く機会があれば…」と、積極的に寄ろうとはせず。
実際は、西武園競輪という、「近くに行く機会」が何度もあったのだが、
競輪場からも徒歩圏内だった、小島屋さんのことを忘れていた、当時の自分を叱責してやりたい。
「昼間だけ、しかも売り切れ早じまいアリ」という営業時間も、正午くらいまで寝ている私には厳しく、
初訪問は結局、うどん店を巡るようになってから3年目、2019年9月になってしまった。

西武線の東村山駅から10分ほど歩くと、「小島屋」と記されたオレンジ色の屋根が見えてくる。


創業は昭和39(1964)年。もっとひなびた建物かと想像していたが、何度か改装したのだろう。
既出した、伊丹先生の著書で得た情報を、以下で羅列する。
〇薪のかまどでうどんを茹でる
〇お店の名物は「肉汁うどん」
〇女将さんが毎朝竹で打つうどんは、柔らかいのにコシがある
〇出汁は関東のコクと関西の微妙な甘さの中間
〇天ぷらに使う野菜や薬味のネギは、裏の畑から採ってくる
〇西日本(山口県)出身の伊丹さんが「初めて関東のうどんを旨いと思った」


入店すると、おばちゃんが「いらっしゃ~い」とお出迎え。この方が、女将さんの小島孝子さんだろう。
「お好きなお席へどうぞ」と告げられ、テーブル席へ。いただいたお冷やで喉を潤しながら、
壁のメニューを確認し、名物の「肉汁うどん 並」750円をオーダーした。


上記画像ではわかりづらいだろうから、卓上のメニューも撮影。

※この画像も、決してうまい撮影ではない

肉汁うどんや「カレー汁うどん」はつけタイプ、「肉うどん」や「カレーうどん」はかけタイプだと思われる。
こちらはうどん以外のメニュー。自家製野菜使用の天ぷら各種は、01年が85円で、18年後もオール105円と破格。


ビールと天ぷら、シメにうどんでもよかったが、もう1軒ハシゴする予定だったので、アルコールは自重。
数分後、女将さんが肉汁うどんを運んできた。普段はおばちゃん店員が複数いるようだが、この日は女将さんだけ。


つけ汁にはたっぷりの豚肉と長ネギ。しょっぱすぎず、ほんのり甘味があって食べやすい。


うどんにはワカメと、かき揚げ天ぷらも付いてきた。これはありがたい。


武蔵野うどんの系統かと思っていたが、自家製うどんは硬くなく、むしろ柔らかい。
モチモチとした歯触りで、塩分も控えめ。肉汁との絡みがよく、スルスルと食べ進められた。
なので、もう1軒ハシゴするにもかかわらず、「替玉」105円を追加してしまった。


すぐに出てきたので、茹で立てではないだろうが、不揃いのうどんはソフトでおいしく、いくらでも食べられる。
女将さんは、お冷やを追加してくれたり、「今日も暑いですね」などと、私に度々話しかけてくれた。
家庭的な味わいの手作りうどんと天ぷら、そして初訪問の私にも気さくに応対する女将さん。
まるで親戚や友人のお宅に遊びに来たような、居心地のいい空間とひとときであり、
「ああ、オレはこういうお店が好きなんだな…」と、自分の好みに改めて気付かされた。
今でも、その思考と嗜好は間違っていないと断言できる。

飲食店に通う理由は、美味しいモノを食べたい、満腹になりたい、栄養摂りたい、などいろいろある。
私の場合は全部ひっくるめて、「いい気分になるため」である。子供じみた表現でスマン。
「いい気分になる」は、「イヤな気分にならない」とイコールであり、どんなに美味しい料理でも、
料理人や店員の態度が悪かったり、客層がひどかったり、値段がバカ高かったりすると、いい気分も台無しである。
反対に、料理の味だけでなく、店主の対応や人柄が気に入り、ファンになったお店はいくつもある。
小島屋さんはそんなお店のひとつであり、女将さんの真摯な心が伝わってくる、愛すべき名店であった。

繰り返しになるが、小島屋さんのうどんは茹で立てではなく、時間帯によっては残念な状態の場合もあるらしい。
実際、ネットでは批判的なコメントもいくつか見受けられるし、私が愛読している某うどんブログでも、
「うどんを持ち上げた瞬間、ブツブツと千切れた」と嘆いていた。辛口意見は少ないブログなのに…。
確かに、好みに合わない方もいるだろうし、世の中にはここよりも美味しいうどん店は多数あるだろう。
それでも私は、小島屋さんを気に入ったし、その後も通うつもりであった。

初訪問から数ヶ月後、父親の死去など家庭の事情もあり、私自身の外食機会が激減。
さらに数ヶ月後にはコロナ騒動が勃発し、小島屋さんも休業に見舞われた。
2020年頃、東京新聞の<東村山新聞>というサイトが、こちらの記事で小島屋さんを取材しており、
現在は営業を自粛しているが「終息したら、また頑張らなきゃね。楽しみにしてくれる人たちがいるから」と前を向いた。
という女将さんのコメントを掲載し、文を締めている。
「楽しみにしてくれる人たち」のひとりである私も、再開を待ちわびていたが、ネット情報では常に「臨時休業中」。
申しわけないが、今年に入ると私もチェックを怠り始め、迎えたつい先日。
いつものように「東村山 うどん 小島屋」でネット検索したところ、Googleには「閉業」、食べログには「閉店」の文字が! 
今年の9月末、小島屋さんはひっそりと、58年の歴史に幕を下ろしていた
理由や事情は私にわかるはずもないが、女将さんもおそらく、不本意だったのではないか。

結果的に、小島屋さんは一期一会となってしまった私。
こんなことなら、あのとき「かけうどん」や「カレーうどん」も食べておくべきだった。
ちなみに、あの日私が2軒目に寄ったのは、同市内の『ひの食堂』

※当日食べた「豚肉スタミナ」の単品と、現役で稼働していたピンク電話

こちらも、ご夫妻で営むほのぼのとした雰囲気の食堂であったが、一昨年の春に閉店している。
志村けんさんも含め、東村山は近年、3つの宝を一気に失ったといえる。立川市民の私も悲しい。

拙ブログで取り上げる飲食店は、「いいお店なので、皆さんも行ってみてください」という意味が込められている。
なので今回のように、閉業したお店を紹介するのは例外中の例外で、方南町の『御利益』さん以来、2度目である。
突然の閉店は、これまで何度も経験してきたが、今回の小島屋さんは、かなりショックだった。
僭越ながら、「こんな素晴らしいお店があったんですよ」と、世間の方々にお伝えしたく、記事にさせていただいた。
一度しか食事しなかった私に、そんな資格はないかもしれないが、どうかお許しいただきたい。
また、私自身も今回の閉店を教訓とし、今後は「行きたいと思った店は、あと回しにしない」ことを誓った。
たとえば、前回の日記で「もっとも行きたくなった店」と評した、青梅市のとんかつ&ラーメンの『幸泉』には、
先日さっそく行ってきたので、近いうちにリポートする予定だ。

※『幸泉』のとんかつ単品。リポートはこちら

最後に。女将さん、並びに従業員の皆さん、長年の営業お疲れさまでした。
小島屋さんのことは一生忘れません。皆さんどうか、いつまでもお元気で!



手打ちうどん 小島屋
東京都東村山市野口町3-10-3
西武線東村山駅から徒歩約11分、武蔵大和駅や西武園駅からも同じくらいの距離
営業時間 10時半~14時くらいまで、売り切れ早じまいあり
定休日 日、祝、不定休?
※文中のとおり、22年9月に閉店なさいました
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