今日は知事が1年以上にわたり何も問題はなく順調と県民に嘘をつき事実を隠ぺいしてきた理由とした静岡空港に係る「事業認定取消訴訟」の公判があった。
この訴訟に支障が生じかねない、すなわち、負けてしまうかもしれないから1年以上嘘をついてきたんだ。だから、理解すべきというのが知事の主張である。
さすが、官僚知事の発想である。勝つという命題を与えられたら手段は選ばない。これが、官僚の常識というものだ。また、官僚知事の限界といってよい。
現実問題として訴訟で負けたとしても今回の場合は明らかに原状復帰は無意味・不可能で事情判決によって開港に支障はないことは承知であるのに、いや、むしろ任意に除去するといっているのだから完全開港にできるのに、「勝つ」「負けてはならない」というメンツが優先しているのだ。
訴訟では、国と県は問題の土地立木の存在は認めたが、その障害物件は航空法49条3項で除去できるので問題ないとの主張であるが、原告側はその条項で強制執行できないとの主張で、ここでの対立は明確だ。
この航空法の問題は既にこのブログでも触れたが、
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/271.html
請求権はあっても行政代執行の前提となる命令の根拠はなく、ゆえに、筆者は「通常代執行はできないはずであるが、開港ありきで、もしかしたら違法(敗訴)を承知でやることまで考えているのかもしれない」と記述したのであるが、現実に滑走路短縮による開港という選択をしたことが物語っているように国と県の主張は非現実的な訴訟上の主張ということだ。もちろん、訴訟では国と県はこの問題を重大な瑕疵として認めることはない。
今日は職員向けに知事名で事情説明のメールが送られたが、責任論が強まったのを受けてか、この中では昨日の議会全員協議会での説明よりもミスの責任について明らかにトーンダウンしている。
昨日は「・・・が、支障物件が残った要因と推定される」であったが、今日は「・・・も原因だと推定しています。」と、障害物件が残ったのは県の単純ミスの他に主たる原因があるんだということが明確に意図されている。これが、責任回避のための官僚文学である。もちろん、責任を認める記述は一切ない。
これは昨日の全員協議会後の記者会見で責任問題が記者から追及され、「事実認識の甘さや対応の遅れなど政策判断の誤りはないとの認識を示した」(静岡新聞)ことと無関係ではないだろう。「やむを得なかった。どのような責任を負うべきかは県民の皆さんの判断に委ねるしかない。」(同)というのも、自分は正しい判断をしたんだから、責任があるというなら選挙で落とせと開き直りそのものだ。
今後は追求すればするほど「俺は悪くない」との知事の本音が明確化していくだろう。
もちろん、1億1千万円についても俺が悪いわけではないと思っていることは疑いない。
そしてこのことは、住民監査請求の過程ではっきりと文書で示されることになるに違いない。これが、ミスは認めても責任は認めないということの証明となろう。
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/287.html
まだまだ書き足りないが、続きは明日としよう。
この訴訟に支障が生じかねない、すなわち、負けてしまうかもしれないから1年以上嘘をついてきたんだ。だから、理解すべきというのが知事の主張である。
さすが、官僚知事の発想である。勝つという命題を与えられたら手段は選ばない。これが、官僚の常識というものだ。また、官僚知事の限界といってよい。
現実問題として訴訟で負けたとしても今回の場合は明らかに原状復帰は無意味・不可能で事情判決によって開港に支障はないことは承知であるのに、いや、むしろ任意に除去するといっているのだから完全開港にできるのに、「勝つ」「負けてはならない」というメンツが優先しているのだ。
訴訟では、国と県は問題の土地立木の存在は認めたが、その障害物件は航空法49条3項で除去できるので問題ないとの主張であるが、原告側はその条項で強制執行できないとの主張で、ここでの対立は明確だ。
この航空法の問題は既にこのブログでも触れたが、
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/271.html
請求権はあっても行政代執行の前提となる命令の根拠はなく、ゆえに、筆者は「通常代執行はできないはずであるが、開港ありきで、もしかしたら違法(敗訴)を承知でやることまで考えているのかもしれない」と記述したのであるが、現実に滑走路短縮による開港という選択をしたことが物語っているように国と県の主張は非現実的な訴訟上の主張ということだ。もちろん、訴訟では国と県はこの問題を重大な瑕疵として認めることはない。
今日は職員向けに知事名で事情説明のメールが送られたが、責任論が強まったのを受けてか、この中では昨日の議会全員協議会での説明よりもミスの責任について明らかにトーンダウンしている。
昨日は「・・・が、支障物件が残った要因と推定される」であったが、今日は「・・・も原因だと推定しています。」と、障害物件が残ったのは県の単純ミスの他に主たる原因があるんだということが明確に意図されている。これが、責任回避のための官僚文学である。もちろん、責任を認める記述は一切ない。
これは昨日の全員協議会後の記者会見で責任問題が記者から追及され、「事実認識の甘さや対応の遅れなど政策判断の誤りはないとの認識を示した」(静岡新聞)ことと無関係ではないだろう。「やむを得なかった。どのような責任を負うべきかは県民の皆さんの判断に委ねるしかない。」(同)というのも、自分は正しい判断をしたんだから、責任があるというなら選挙で落とせと開き直りそのものだ。
今後は追求すればするほど「俺は悪くない」との知事の本音が明確化していくだろう。
もちろん、1億1千万円についても俺が悪いわけではないと思っていることは疑いない。
そしてこのことは、住民監査請求の過程ではっきりと文書で示されることになるに違いない。これが、ミスは認めても責任は認めないということの証明となろう。
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/287.html
まだまだ書き足りないが、続きは明日としよう。