思いつくままに

日記のようなメモのような日々思いついたことなどを書き付けていこうと思います。

高麗錦紐解き放けて、、、

2005-11-26 17:27:25 | 埼玉の万葉歌碑

秋には彼岸花で賑わった埼玉県日高市の巾着田は、遠足の小学生の他は散策する人もわずか。日和田山を後ろに歌碑が立っていた。

 

 

      巻14 3465  高麗錦紐解き放けて寝るが上に

                 何ど為ろとかもあやに愛しき

 

(高麗錦の紐を解いて共寝もしたのに、まだ恋しさがます。この上いったい何をすれば好いのか。不思議なほどに愛らしいことよ。)

 

 

 

高麗錦は高句麗からの渡来人が本国から持ってきた織物で着衣の紐として普及していた。其の辺りからこの辺で歌われたという説があるが断定は出来ないという。巾着田の向かいにある日和田山は、当時渡来人たちが高麗郷で高度な技術を周辺諸国に伝えていたという事実をじっと見てきたことでしょう。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大君の命かしこみ、、、、

2005-11-16 15:09:23 | 埼玉の万葉歌碑

秩父札所巡りの途中33番札所近くに万葉の歌碑があることがわかったので早速よってきた。埼玉県吉田町吉田小学校の校庭にあった歌碑。

 

 

        巻14 3362 武蔵峯の小峯みかくし忘れ行く

                 君が名かけて吾を哭し泣くる

(武蔵の峯が峰が見えないところまで来て、私が次第に忘れてきた恋人の名を呼んで、私を泣かせる事よ)

        巻20 4414 大君の命かしこみ愛しけ

                  ま子が手離り島伝い行く

(大君の命令をかしこく承って、最愛の妻の手元を離れて、島々の間を渡りながら海を渡って行く事だ)

 

 

こちらは吉田下橋のバス停のそばにある民族資料館に有ったもの、もともと吉田小学校に有ったが大変古くなってきたので保存のために新しく作り直し、古いほうをこちらに移動したとのこと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅の浅葉の野らに、、、

2005-11-02 15:43:15 | 埼玉の万葉歌碑

日高川島線が関越道と交わる辺り、坂戸市浅羽の古墳の上に祭られた土屋神社の裏手の土屋公園にある。

 

   (2763) 紅の浅葉の野らに刈る草の

                 束の間も吾を忘らすな

 

「浅羽野で刈る草の束のように短いほんの束の間も私を忘れないでください」の意。浅葉の野は坂戸市と静岡県磐田郡浅羽町のどちらかであろうといわれている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入間道の、、、2

2005-11-01 18:43:00 | 埼玉の万葉歌碑

東武越生線西大家駅のそば、坂戸西高校への道の脇、草むらの中にあった。和名抄所載入間郡の郷名に大家(於保也介)とある事からここでこの歌が歌われたのではといわれている。

   (3378) 入間道のおほやが原のいはゐづら

                引かばぬるぬる吾にな絶えそね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入間道の、、、

2005-10-28 17:12:31 | 埼玉の万葉歌碑

「万葉の埼玉散歩」(藤倉明著)を手に入れて読んでみたら意外と身近なところに万葉の歌碑があることがわかった。それでこの本を手がかりにそれらを探し当ててみたい。まずは一番近いところに行ってきた。

     3378  入間道のおほやが原のいはゐづら

              引かばぬるぬる吾にな絶えそね

 

この辺りでは日光街道杉並木として親しまれている国道407号、その上を圏央道が交差している辺りにある大谷沢のJA農産物販売所のわきにある。「おほや」の地名があるところからこの辺りを歌った歌ではといわれているが、

この他に5箇所に同じ歌の歌碑があるという。

 

 

近くの高萩の交差点は大変交通渋滞するところで「じゅんさい」ではないかといわれる「いはゐづら」が生えるような湿地は面影も無い。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする