父は木版画の摺り師であった。父の死後兄がその仕事を引き継いでいたが、病気のために自分の思うような仕事が出来なくなり、それを引き継ぐ者が無く廃業してしまった。最近父の家を処分する事になって父の仕事に関係する一切を神奈川県立歴史博物館に寄付した。それらの整理が出来たのでその一部を展示をしているというので娘と一緒に見に行った。父が仕事場で使っていた絵の具だらけの道具達は綺麗になって、丁寧に説明つきでガラスの向こうに並んでいた。50年以上も前の印刷物が綺麗なままで残されていたのは驚いた。あの古びた家の中のどこにどんな風にしまってあったのか私は思い出す事が出来ない。あの馬簾の中の芯はひも状のものを数箇所糸で結びながら丸くしていくのだがその糸を結ぶ事を良く手伝わされたものだ。そこに並べられた道具のどれもが父や、兄の手にしたものだと思うととても懐かしい。父のしていた仕事がなくなってしまったことを本当に残念に思っていたが、その証が博物館にこのような形で残ったことは大変嬉しい事であった。
父は木版画の摺り師であった。父の死後兄がその仕事を引き継いでいたが、病気のために自分の思うような仕事が出来なくなり、それを引き継ぐ者が無く廃業してしまった。最近父の家を処分する事になって父の仕事に関係する一切を神奈川県立歴史博物館に寄付した。それらの整理が出来たのでその一部を展示をしているというので娘と一緒に見に行った。父が仕事場で使っていた絵の具だらけの道具達は綺麗になって、丁寧に説明つきでガラスの向こうに並んでいた。50年以上も前の印刷物が綺麗なままで残されていたのは驚いた。あの古びた家の中のどこにどんな風にしまってあったのか私は思い出す事が出来ない。あの馬簾の中の芯はひも状のものを数箇所糸で結びながら丸くしていくのだがその糸を結ぶ事を良く手伝わされたものだ。そこに並べられた道具のどれもが父や、兄の手にしたものだと思うととても懐かしい。父のしていた仕事がなくなってしまったことを本当に残念に思っていたが、その証が博物館にこのような形で残ったことは大変嬉しい事であった。
ダリの展覧会が見たくて上野に出かけた。公園の木々は紅葉の盛りが過ぎてハラハラ、ハラハラと色づいた葉が落ちてくる。上野の森美術館へ続く道は黄色い銀杏が見事だった。ズーット前に日本であったダリ展を見たときには、やわらかい時計が」印象的だったので
期待していたのだが絵の前でダリが何を言いたいのか、解説を読んでも分からなかった。展覧会の後には印象に残った絵の、はがきを2,3枚いつも買って帰るのだが今回は余り気が進まず買うのをやめた。
東京都美術館のエルミタージュ美術館展では、印象派のモネ、ルノワール、ゴーギャン。ボナール、ルソー、マティス、ピカソ、ユトリロなどなじみの画家の絵が「人間と自然の調和の取れた統一」というテーマで分かりやすい展示で楽しめた。エルミタージュ美術館に是非行ってみようと思った。
「今日、明日は何とか、、、」というので早速川越・喜多院へ紅葉を見に川越駅から歩いて行った。人が少ないという事はと少々気になったが急いで庭園の見えるところまで行ったら、やはりほとんどの木は時期を、過ぎて葉が薄茶色になっていた。真っ赤な葉を残す木があちらこちらに残っていたからもう1週間ほど前なら素晴らしい紅葉を楽しめたかもしれない。
五百羅漢様に一寸ご挨拶をして、直ぐそばの成田山別院によって、社殿から見上げて直ぐ上にある父の千社札を写して、
帰ろうと、前から乗ってみたかった観光用のバス(小江戸号)に乗って見た。喜多院前のバス停の次は矢印で川越駅を指し示していたので直ぐ着くのかと思っていたら、途中から駅とは反対のほうに廻ってしまった。博物館、川越本丸御殿、氷川神社、、、、等、観光スポットを廻って最後に着いたのが川越駅だった。観光スポットを一回りした事で今まで部分的に見ていた川越の街の位置がすっきり頭の中で整理された。それにしても乗客は私だけでそれもたったの180円では、何とも申し訳ないことであった。
武蔵野に占へ象灼きまさでにも
告らぬ君が名トに出にけり (巻14 3274 東歌)
武蔵野で占いのために鹿の肩骨を焼いたので、私が口にしたことのない君の名が占いに出てしまいました。
この歌に関係しているのではないかといわれる鹿見塚(シシミ塚)は大正3年東上線建設のときに破壊されてしまったが、この歌の遺跡を記念する碑が川越市富士見町の浅間神社の境内に建てられている。
「象灼き」とは鹿の肩骨を焼いてその割れ方により占いをする事で、その頃武蔵野の原野には鹿がたくさん生息していたのでこのあたりで歌ったものと思われているが定かではない。
浅間神社は古墳の上に建っていて、国道16号のすぐ脇にある。車がひっきりなしに通っていて、往時を思い出させるものはない。
木曜日に懐かしい仲間とのクラス会があった。せっかく横浜まで出るのだから先ずはしばらくご無沙汰していたお墓参りのため根岸線の新杉田で降りると雨がポツリと落ちてきた。お花とお線香を上げて、駅でお昼を食べて、傘を買って、山下公園の銀杏を見ようと関内駅で降りた。横浜公園ではチューリップの植え込みの準備をしていた。県庁前の道は丁度お昼時で人が大勢歩いていた。昔はもっと殺風景な道だったと思うが随分おしゃれに変わっている。雨の山下公園はベンチに座る人もなく静かだった。端まで歩いて陸橋から通りの銀杏を見たが木が老いてしまったのか、排気ガスのせいか一寸あてはづれであったこの時期には真っ黄色の銀杏が見えると思ったのに葉が半分落ちてしまったのや、青い葉が残っているのが有った。
クラス会では11人のうち40年ぶりの友人が3人見えていたが、長いブランクもあっという間に解消して、はじめは「おや?」と思っていたお顔も直ぐ昔に戻っていた。
また来年元気でお会いしたいものだ。